3月15日木曜
最後のショッピング、そして空港に向かう途中で最後の飯!
僕は今日が最終日。百合子はあと一週間残るので、持って行けるだけの荷物をまとめてもらい、朝から荷造りする。午前10時半にハウスカーズヴィレッジに向け出発。リキシャで20分ほどの距離だ。一年半ぶりのハウスカーズヴィレッジはますますオシャレな店が増えていた。まず最初に知りあいのフランス人女性イリスが経営する雑貨屋Purple Jungleへ行くと、イリスはまだついておらず、テンジンというチベット系の女性が店員をしていた。そこでサラームバワン用のコースター2セットとバッグ、ランチョンマットなどをまとめて買う。結構な値段だ。
それから待ち合わせ時間の12時まで散策し、12時に南インド料理店に到着すると目の前に村山先生も到着していた。中に入るとデリー在住のマルホトラヤスコさんが待っていてくれた。彼女はいつもお土産を持ってきてくれるが僕たちはせっかく持ってきたお土産をホテルの部屋に置き忘れていた。まあ百合子がデリーにいる間にもう一度会うらしいので良しとしよう。
260ルピーのミールスをいただく。今回の旅行の間でミールスを食べるのは初めてだ。小さなキュウリのような野菜の炒め物はケーララで何度も食べた。食前のラッサムスープも濃厚で美味い。
たっぷり食事をいただいていると、午後1時半くらいには広い店内が一杯になっていた。インド人は昼食遅いのだ。南インドならではのコーヒーをいただき、お店を出る。ヤスコさんに案内され、お洒落な書籍店とpeople treeという服屋に入り、そこでも神秘詩人カビールの詩がデーヴァナーガリー文字でプリント&刺繍されたTシャツなどを買い込む。村山先生は紙を貼り合わせて作った丸い箱にヌスラット・ファテー・アリー・ハーンと彼の楽団が手書きで描かれた小箱を見つける。1200ルピーと安くはないが、運命の出会いかもしれない。ハウスカーズヴィレッジにいるとお金がいくらあっても足りなくなりそうだ。
ヤスコさんに買い損ねたCDを買いたいと言うと、グリーンパークマーケットに行きましょう。歩いて15分くらいですとのこと。そんなに近かったんだ。じゃあ歩いてみよう。今回のデリーの気候は歩くのに丁度良い。寒くもなく暑くもない。15分ほど整備された道を歩くとグリーンパークに到着。ここはデリーでも最も歩道が整備されたマーケットだ。何気に入ったホライズンというCD屋がこだわりのオヤジがやっている店でナイスだった。村山先生のリクエストにも即座に応えてくれて、在庫をチェックしてくれるのだ。探していた半年オチの新譜はこの店にもなかったが、50~60年代のヒンディー映画の音楽CDを私のために特別に選んで下さいと言うと、その場で10枚のCDを選んでくれた。これがたった今帰宅して経堂サラームバワンで聴いているのだが、妙に染みるのだ。当時のボリウッドはラター・マンゲーシュカルとアーシャー・ボーズレーの全盛期。たおやかで、それでいてリズミック、多少ラテンなどの非インド兼音楽からの影響も受けている。これは良い買い物をした。
4時過ぎにヤスコさんと村山先生と別れ、ホテルに戻る。村山先生と僕は夜中の1時のフライトで日本に戻る。その前にインド最後の飯を空港近くの有名なBBQレストランAL KAUSERでテイクアウトして買っていこうという話になり、夜8時半に僕たちのホテルに来てもらうことにする。
宿に戻り、買ったものの写真をアップし、最後にもう一度荷物チェック。僕のスーツケースは25kgくらいある。それに加えて無印の黒いショッピングバッグは5kg、僕のバックパックは8kgだ。どこまで持ち込めるかなあ?
8時半にロビーに降り、宿代を精算し、到着した村山先生と二人でACカーに乗り込み、百合子と別れいざ出発。その瞬間にズボンの後ろポケットにインド携帯が入っていたことに気づき、車を停めて、宿にダッシュで戻り、ゆりこに携帯を渡す。危なかったなあ! 旅先の携帯は生命線だから。そして再度出発。まずはAL KAUSERに向け、運チャンが飛ばす。二度、三度と道を歩く人に聞いて回るがその度に違う方向を指さされる。そこで村山先生の携帯を使ってAL Kauserに電話して、行き方を聞いてもらう。そして迷いつつ45分でAL Kauser到着。車通りの多い道路の真ん前でもうもうとカバーブの煙が上がり、カップルたちが野外の席で食べている。とりあえずメニューがなさそうなので、頼みたいもの、チキンビリヤーニー、アフガニーチキン、カコーリカバーブを頼むと、720ルピーを請求された。ちょっと高い気もするがそんなものか。運転手は遠回りの代わりにビールを一本おごってくれと僕の財布から100ルピーを抜いた。もちろんどうぞそのくらいでイイなら! ビリヤーニーのゴツっと重い素焼きの壺と紙の箱に入ったカバーブ類を受け取り、車に戻り、空港までは更に15分。デリーの新空港は二度目だが成田よりも全然デカイ。インド人こんな立派な建物良く作ったよ!
出発3時間前の22時。タイ航空のチェックインカウンターはまだガラガラ。ラッキー! 以前なら3時間前でも長蛇の列になっていたのに、随分進歩したなあ。村山先生の巨大なズタ袋二つと僕のスーツケース、そして無印のバックでトータル65kgオーバー。手荷物にすると言うと、手荷物も一人8kgまでですと、理路整然と係員に言われてしまう。エアインディアは最近一人の荷物を40kgまで上げたがタイ航空はまだそんなことやってない。一人20kgがマックスである。そこで預ける荷物から重い本を幾つか抜き出すが、それでも15kgくらいはオーバーしてる。「貴方の言うことが正しいことはわかっているが、どうすればいいんだ?」と村山先生が得意のインド人泣き落とし作戦を始めるが、それでも若いインド人の会社員にはなかなか通じない。そこで相手のほうから「全部で5kgオーバーにしますので、7500ルピー払って下さい」と言われる。それまでだ。僕がクレジットカードで支払するが、そのカウンターまでは別の若い職員が付いてきてくれて、きちんと対応してくれた。そして残りのチェックインを済ますと、今度は若い女性の職員が税関に来て下さいと案内される。出国カウンター直前に案内され、税関に行くと「キャー・カルナー?」とヒンディーで聞かれる。「何やってる?」ってどういう意味? 「荷物は本と服です」と答えるがこれも通じてない。そこに村山先生が登場し、「私は大学講師です。中身は貴方の国の詩人グルザーの詩集など重い本ばかりです」と答えると、税関のオフィサーはにこりと笑って「よろしい!」と。「キャー・カルナー?」は「職業は?」の意味だったのか。
出国スタンプをもらい、荷物チェック。今度は村山先生の荷物がひっかかった。中身はAL KAUSERの巨大なビリヤーニーの素焼き壺だ。「ビリヤーニーだよ」と答えるとオフィサーに笑われた。
そんなわけで、小さなトラブルがあったものの、全て順調に出国できた。これがかつてのインドだったら、オーバーチャージのカウンターが現金しか対応していなかったり、そのために悪いレートでの両替させられたり、右へ左への大騒ぎに発展していたはずだ。それが我々二人にタイして二人の職員が丁寧に案内してくれるなど、インドの空港も随分変わったなあ。
だだっ広いデューティーフリーショップの真ん前のベンチに陣取り、手を洗い、ビリヤーニーやカバーブを広げると、あたりにむっと香り高い本物のサフランが香りが広がった。これですよ。これ! 村山先生が近くの食堂で紙のお皿とフォークをもらってきてくれた。
中身を広げてみると、これは720ルピー約1200円でも高くない。アフガニーチキン1つと頼んだが、1つとは1羽まるごとだったのだ。そして1.5合ほどのチキンビリヤーニー。そして羊肉のタタキをスパイスで混ぜ込んでペースト状にしたものを焼いたカコーリーカバーブ。どれも絶品。旅の最初にイスラマバードのカブールレストランで食べた羊のシシカバーブにもまけない肉への飽くなきこだわり。素晴らしい味だ。わざわざ旅の最後に立ち寄って良かった! X線検査で怪しまれても! しかし、3〜4人分の食事だ。二人では食べきれない。しかも僕はお腹の調子は本調子ではないので、2/3ほど食べて残りは機内に持ち込むことにした。
飛行機は時間から20分遅れで出発。しかし飛行時間は2時間半、すぐに寝入ってしまった。バンコクでの乗り換えも1時間あり、十分に余裕があった。バンコクからのフライトも3時間は寝てしまい、最後に映画を一本見たらすぐにランディングとなった。アル・カウサルの食事が効いているので機内では何も食べずに済んだ。
日本到着は時間通りに午後3時40分。そこから入国、税関を経て、4時35分の新宿行きリムジンバスのチケットを買い、村山先生と別れる。今回の旅は本当に先生にお世話になった。またいつかご一緒したい。
リムジンバスは渋滞に巻き込まれ、新宿着は午後6時40分。二時間かかったのは初めてだ。35kgの荷物をかかえ、タクシーに乗ろうかと思ったが、エレベーターを上手く使って小田急の各駅停車に乗り、経堂まで荷物を持ちあげることなく到着した。バリアフリー万歳!
駅前のタクシーに乗り、サラームバワンへは5分かからずに到着。午後8時前。郵便物を一部受け取り、部屋に入ると寒いなあ。ストーブには灯油が切れていたのでその場で灯油を入れる。そして箪笥にしまっておいたimacを机の上にセットアップし、ネットをつなぐ。百合子とすぐにtwitterが繋がり、彼女は既にジャイプルに着き、アールヤニワースホテルで一休みしていることがわかった。
荷物を分解し、スーツケースと旅の用品は全て箪笥にしまい、洗濯する服、これから着れる服を分類し、CDや本やお土産も分類する。百合子の服は彼女の部屋の中に押し込む。服を着替え、チャリに乗って駅前のアイバンラーメンプラスへ。しょう油ラーメン全部のせ950円を頼む。三週間ぶり(本当はジャイプルのフランス人宅でチョリソを食べてるけど)の豚肉。しかもトロトロに煮込まれた三枚肉がたっぷり乗っている。950円を580ルピーと考えてしまうのはよくあるインド病の症状だ。謙虚に日本の物価を受け入れよう。帰りにミニスーパーに行き、牛乳と明日の朝飯のチョコドーナツとプリンを買う。帰宅後、ラホール以来、久々の風呂に入る。コーラがどうしても飲みたくなり、隣のスーパーの横の自販機まで買いに行く。日本の夜は寒いなあ。ネットでは沢山の人に「お帰りなさい、お疲れ様です」との連絡をいただく。
村山先生は来週のバダル・アリー・ハーンの東京公演が成功するまでまだ旅が続いていると言っていたが、僕のほうも百合子が戻ってくるまでは部屋も片付かないし、一人暮らしだ。まだ半分旅が続いているような気分が抜けないでいる。
この数時間のうちにラジオ出演一本と新作CDの案内、DJの依頼の連絡をもらう。一時止まっていた下痢がなぜかまたまだ始まった。3時間半の時差のせいで、午前1時になってもまだ眠くならないが、来週は忙しくなりそうなのでもう寝よう。とりあえず三週間、お疲れ様でした! そして東京の皆さんまたよろしく!