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Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_1110143.jpg1月31日月曜。長かった旅も今日が現地滞在最終日。こちらの予想していた形とは全く違う旅になってしまった。アルジャジーラによると、今日も午後3時から外出禁止令が出るという。その前にちょっとだけでも道を歩いてこよう。この宿にいる限り何も心配はないが、明日は必ず帰国の飛行機に乗るのだ。
音楽の取材はやり残したことばかりだが、もう何も出来ない。朝風呂に入り、ヒゲを剃り、洗濯をして、朝食を取り、11時前に表に出る。今日はゼネストと報道されていたが、通りに出ると店は半分くらいは開いている。閉じていても仕方ないのだ。スーパーマーケットの表には大量のミネラルウォーターの箱が積まれていた。今日の外出禁止令が出る前に売り切れるのだろうか。
通りを流している黒いタクシーには通常は乗らないのだが、しつこいオッサンが着いてきている。少しは英語が話せそうなので、ハーンハリーリーに行って10分待ち、ここまで帰ってくる往復で幾らかと聞くと、120LEと言うので、50LEなら乗るよと言うと、55LE=800円でどう?と返されたので乗り込む。このオッチャン、アシュラフはタクシー経験が長いので裏道や混んでいない道を知り尽くしていた。オベラから橋を渡り、タハリールを通らずにガーデンシティに入り、そこからオールドカイロ、シタデルと抜け、環状線状の道路を周り、北側からアズハル地区に入った。そして一つ一つの名跡や町の特徴を頼みもしないのに丁寧に教えてくれた。これはイイ運ちゃんに巡り会ったかも。

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_1195121.jpg空いている通りを抜けてハーンハリーリーの入り口で少し待ってもらい、ヌールの店に行くが、通りに面した彼の店はさすがに閉まっていた。次にベリーダンス衣装のアフィフィに行くと、店は開いていて、表でモハメッドがお茶を飲んでいた。
「モハメッド、元気だった? 僕達は明日の飛行機で東京に帰るから、最後に挨拶に来たよ」
「今日、よくここまで来たね。とんだ時期だったね。でも、サラーム達はまた来るだろうけど」
「うん、また来るよ、次回は日本のシャアビ音楽を沢山持ってくる。それまでモハメッドも元気で!」
「ありがとう。インシャアラー」
「ヌールは?」
「ヌールはまだ来ていない」
「ヌールに僕達から、また会おうと伝えておいてくれよ」
「了解。じゃあまた!」
ハーンハリーリーは2/3くらいの店が閉めていた。通りには真っ黒に燃え上がった警察の人員輸送車がひっくり返されている。

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_11102774.jpgアシュラフの車に戻り、さてホテルに戻ろうと思ったら、ピラミッドでも何処でも連れて行くよと申し出があった。いいねえ。この際、最後にピラミッドまでひとっ飛びしてもらおうか。今日なら観光客はほとんどいないはずだから。値段を聞くと、200LE=3000円と言うが、130LEで話が付いた。さてここからどうやってピラミッドまで行くのだろうと思ったら、ファイサル道路という7月26日通りから続くバイパスに乗り、一気にギザまで飛ばして行く。今日は全く交通がないのであっという間にギザの入り口に着いてしまった。途中、道路の上には燃やされた車が何台も残されていた。高速の出口で地元の自警団に停められる。自警団にピラミッドは今日は閉まってるよと言われるが、5分だけ表から見たいだけと言うと、トランクのチェックをされてから通してくれた。そこから未舗装の道に入る。なんで世界で最も有名な観光地に続く道が今も未舗装なんだろう。この地域には墓泥棒でリッチになった家とか幾らでもあるだろうに、それに観光地の入場料収入だって莫大に国に入ってるんだし、少しはインフラ作れよ!

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_11143062.jpgピラミッドの入り口でアシュラフを待たせ、ゲートに向かうが、観光客は誰もいないのに、ラクダ遣い達は数十人たむろっていて、お店もほとんどが閉まっている。観光客が来ない=お金がなくなる、とダイレクトな人達だけに、相当気が立っているらしく、ラクダ遣い達は随所でけんかしている。ピラミッドのゲート前のラクダ遣い達もまったく精気がない。ゲート越しにピラミッドとスフィンクスの写真を15年ぶりに見た。誰もいないピラミッドとスフィンクスなんてなかなか見れるもんじゃない。

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_11143751.jpgそしてその真っ正面で絶賛閉店中のグローバル企業の写真も忘れずに撮る。タクシーに戻ると、アシュラフが友人の店の表でコーラを飲んでいた。お茶をごちそうになる。帰りはギザの町中からピラミッド通りを少しだけ通ると、ベリーダンスを行っているナイトクラブが燃やされていた。アシュラフによると、ギザの暴徒は最初にお金持ちが集うナイトクラブを襲ったらしい。ベリーダンスクラブは不味い飯がついて一人5000円から15000円もするのだ。現地の人間が行ける値段ではないし、内容の質を考えると我々日本人にも高過ぎる値段だ。湾岸の金持ち狙いの店なのだから仕方ないけど。往路に通った高速に乗ると、ワゴンタクシーにその湾岸の人達が寿司づめの大荷物を持って空港に向かっている。

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_11154310.jpgあっという間にカイロに戻り、モハンデスティーンからザマレクに入り、宿の前で停まってくれたアシュラフにまず100の札を渡す。
「これはアンタ、アシュラフの分」
そして10を一枚ずつ、
「これは娘さんのシェリーンの分、これは長男のマフムード、これは次男のモハメッドの分」と渡し、最後に20を上乗せして、
「そしてこれは奥さんのアッザの分だ。けっしてアンタのためじゃないよ! 次回会う時まで元気で!」と別れる。
宿に戻らず、そのまま近くのコシャリ屋へ。今夜は宿で食べるから、これが今回のエジプト旅の最後のエジプト飯になる。そして隣のマンチー&ベーグルでアメリカンコーヒーを飲む。
ドイツ人のアレックスはどうしただろうか? 昨日、一昨日と電話したが通じなかった。ダウンタウンの安宿に泊まっていたので、ちょっと心配だ。今日は電話に出た彼は「今はカイロの空港にいるんだ。これからシャルム・イル・シェーフに行って、騒ぎが収まるまで紅海で泳いでヴァカンスしてくるよ。ダウンタウンの騒ぎはさすがにトゥーマッチだから」とのこと。さすがに毎日この騒ぎのど真ん中にいるのは辛いだろう。彼のドキュメンタリーの計画だって、一旦流れてしまっているはずだ。
お店を出る時、すれ違いに入ってきた在住の日本人男性とちょっと立ち話をする。空港で足止めを食らっている日本人の話は知らなかったらしい。彼は日本政府の退居命令が来るまで、居続けると言う。僕達もこうなったら国民が勝利する瞬間まで見たくなっているが、どうやらもう少し長期戦になりそうだ。

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_11154828.jpg宿に一旦戻り、荷物を置き、今度は7月26日通りから続く5月15日橋のほうまで歩く。いつの間にか5月15日橋を渡ってしまい、そのまま、人の流れに乗り、燃やされた内務省までいつの間にか着いてしまった。道路は大きなコンクリートでブロックされ、旧式のM60戦車、M113装甲輸送車、そしてM1エイブラムスまで控えていた。中学生の頃、田宮のプラモデルを作ったよ! これまでM60やイスラエルのメルカバ戦車は見た事あったけど、エイブラムスとM113は初めて見た! そこからタハリール広場まではすぐだったが、そこで引き返すことにする。内務省の前の10月6日橋をザマレク方面に戻り、ザマレクの道で少々迷いながら、宿に戻ると、3時40分、午前中あれほど買い出しで忙しそうだった店は全て閉まっている。表通りにはダウンタウンへと向かう若者達がいるが、裏通りは誰も通っていない。7月26日通りには交通整理の警官が戻ってきていた。今夜は自警団はもう必要ないだろう。

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_11155348.jpg部屋に戻り、テレビを点け、これまでに撮影した写真をバックアップする。この40日間、毎日朝から晩までずっと首にかけていた1.2Kgのカメラはこれにてお役目終了。首から下ろす。すると首が回らないほど肩こりがひどいことになっていた。日本に戻ったらすぐに永福町の天野頸骨カイロプラクティックオフィスに直行せねば。
さて、5時になるともう日が暮れてきた。日本の花井さんに電話し、Skypeoutでこちらに電話かけてもらい、トルコ航空のオンラインチェックインを頼むが、明日のカイロ発の便はオンラインチェックインに対応出来ず、空港でチェックインしてくれと出てしまった。まあ、この状況ではそうなるだろうと思っていた。明日は早めに空港に着いて、誰よりも先にチェックインカウンターに並ぶこと。それが僕達に出来る全てだ。
実は週末原稿の締め切りがあるのだが、インターネットがシャットダウンしたままなので、ファイル受け取りも送付も出来ない。全ては明日の飛行機に乗り込んで、明後日に日本に着いてからだ。


Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_11155721.jpg夜7時半、明日の朝の空港タクシーの予約のためにレセプションに行くと、話の途中に電話が鳴り、レセプショニストは目の前にいる僕の話ではなく、鳴った電話を優先した。これはアラブ人やインド人の悪い癖である。目の前の客より(私用でも)鳴り出した電話を優先する。インド人相手なら頭をつかんで、こっちに向かせてから、顔にツバを飛ばして怒る所だが、この宿なら、そのうちに女将のヘバさんがこのガイを叱りちらし、教育し直すだろうから、僕が何も言う必要はない。
電話を立ち聞きしていると、なんとエジプト航空のキャンセルにより一週間の足止めをくらったお客が、今夜から一週間この宿に泊まりたいという電話だった。一週間の足止めってすごいことになっているなあ。テレビでもエジプト航空は明日の午後からあさっての朝まで全便ストップと出ていた。東京行きも明日の夜にあるはずだ。

Egypte 13, Should I Stay or Should I Go?_c0008520_1116215.jpg午後10時前、アルジャジーラを点けると、タハリール広場の抗議活動は若い男女も集まり、太鼓を叩く連中、それにあわせて踊る連中も繰り出し、まるでリオのカーニバルのような楽しげなお祭り状態になっているようだ。軍隊と市民は最初から仲良しだし、市民は数日前まで市民をコントロールしていた警察ともついに和解したし。するとムバラクと彼が作り直したエジプト新政府とは一体何が実体なんだ。一体誰がエジプト航空の運行をキャンセルさせ、エジプト全土の鉄道を停め、銀行を営業停止させ、インターネットを遮断しているのか? 誰がどんな権限をもって夜間外出禁止令を出していて、誰がそれを忠実に施行しているのか? 
11時半になると、僕達のいるザマレク地区でもナイル川の川岸に人々が集まり、歌を歌い出しているとニュースが流れた。警察も兵隊も市民と一緒らしい。ムバラクだけが仲間はずれなのだ。
その場所は先日まで泊まっていたウンム・クルスーム・ホテルの真っ正面かもしれない。僕達はそこからほんのちょっとしか離れていない場所に閉じ込められ、テレビの画面を見ながら、明日の出発の用意をしている。この歴史の変わる事件を現場で見られないなんて一生後悔することになるかもしれないし、そうでないかもしれない。

今回のデモがこれほど大きくなるなんて、僕の会った誰も想像していなかった。モハメッドもヌールも、Sサンも、ミレイユさんも、泊まったホテルのオーナーも従業員達も、出会ったタクシーの運ちゃん達も。最初は25日火曜に予定されていた、政府によって事前に認可されたデモに過ぎなかったのだ。それがここまで広がったのには幾つものの要因があると思うが、僕が見ている中では、ムバラクの取った下記の三つの手段が彼の思惑に反して、全て失敗し、デモの拡大、火に油を注ぐ要因になっているのではないかと思う。

*携帯電話ネットワークをまる一日止めたこと
*インターネットを現在まで四日間以上止めていること
*四日間続いている夜間外出禁止令

携帯電話とインターネットを止めれば、コミュニケーション手段が閉ざされると予想したのだろうが、そうした21世紀的なコミュニケーション手段以前に、エジプト国民は90%がイスラーム教徒だ。モスクを中心にした信徒システムが完全に出来上がっている。木曜夜にインターネットを、金曜朝に携帯電話を止めた所で、信徒は金曜のお昼には集団礼拝のため、地域のモスクに集まってくるのだ。携帯なんかなくとも、信徒全員に情報は伝わる。日本人から携帯を取り上げたら、社会的な繋がりは会社くらいしかないだろうから、簡単にコミュニケーションを遮断出来るだろうけどね。ムバラクはどこの信徒コミュニティに属していなかったのかな。寂しいイスラーム教徒だねえ。

インターネットを四日間も止めた事は、現地の英字新聞では「インターネットが始まって以来、初となる恥ずべき事件」と書かれた。それに国内以上に海外からの非難を集めている。twitterやfacebookで様々な立場の意見が交換されていた四日前までと違い、ネットが遮断された今では、家庭電話でフランスのISPに国際電話をかけてアナログ回線を使ってアップ出来るような、テクニック持ちのごくごく一部のハッカー達だけ(庶民は家庭電話を持たず、携帯しか持っていない)がエジプトから情報をアップし、それを見つけた世界中の人達が、彼の発言をまるで英雄のように祭り上げる。そして、ネットが遮断された事により、CNNやアルジャジーラの報道が全ての視点を代表している事になる。そして扇動的な報道を見た海外の人間が更に火に油を注ぎ、ムバラクが国際的な極悪人になる。ムバラクの事が嫌いでも、それと同時にアルジャジーラのトゥーマッチな報道を全てだと思うなと言うカイロ市民もいるのだ。
CNNでは、二日前にカイロ中の警官が突然持ち場を離れ、町から消えたのに対応して、カイロ郊外の刑務所の囚人が集団脱走した事を、囚人の開放はかつてサダム・フセインがイラクで行った事と同じだ。中東の安全な都市カイロがバグダッドになる云々などと、とんでもないことを言う解説員までいた。

そして、今回のムバラクの対応で一番の失策は四日連続で行われた夜間外出禁止令だ。最初の晩はそれなりに静かに従っている市民もいたが、二日目には警察が町から消え、凶悪な囚人が1000人近く野に放たれた事で、夜間外出禁止令を守る事より、地域ごとに自警団を作り、サムライソードや棍棒やナタやアーミーナイフや金属の鎖をもって夜通し自警することで地域の安全を守る方が優先されることとなった。そして四日目の今日となると、夜間外出禁止令は午後3時からに早められ(外出していいのは午前8時から午後3時までの7時間だけなんて信じられる? 僕の友達のベリーダンサーやクラブやバーのオーナー達は寝てる時間だよ!)、仕事もそれまでに終えなければならないし、町も全てのお店が閉まってしまったので、退屈な市民達は「外出禁止令が出たから、仕事も終えなきゃならんし、そろそろデモに行ってみるか」とばかりに、そろってデモに向かい始めたのだ。
エジプト人は元々夜行性で(厳しすぎる気候のせい?)、夕方になって初めて自由に活動を始める人達だということも付け加えておきたい。

情報を制限すること、人の行動を制限すること、これらはきわめて旧世代的、20世紀的な独裁者の取る方法であって、21世紀の現在にはあまり意味をなさないのではないか。それは日に日にデモに参加する人数が増え続け、明日に至っては「100万人デモ」とまで呼びかけが行われている事からもわかるではないか。
ムバラクは82歳の爺さんとしては、ただならぬ人間だと思う。かなり年下の独裁者キム・ジョンウィルは贅沢病で死にかけているらしいのに、カストロやカダフィやプーチンと同じく、さすが軍人上がりは強い。ただ、その人間力の強さゆえにこのヴァイラル時代にはもはや通用しなくなっているのだ。
私ごとだが、数年前に僕のブログが一瞬だけ炎上したことがあった。僕がある大企業の悪口を書いたら、途端にヴューワー数毎日200程度の僕のブログが1000にまで跳ね上がり、コメント欄に僕への個人中傷があふれかえった。その時にネットの怖さを僕は初めて知った。一つ一つの攻撃は蚊の一刺し程度で、その毒は仮に0.1としよう。たいしたことない。しかし、蚊の攻撃が1000も連続するとトータルでその毒は100にもふくれあがり、致死量に至るのだ。
ムバラクのような強すぎる人間は、蚊の一刺しを恐れない。だが、このヴァイラル時代、蚊は全世界から彼を一刺しし続ける。一匹一匹をたたき落としているうちはその恐ろしさに気づかない。しかし、蚊はたたき落とすよりも早い速度でウィルスのように幾何学数的に増殖し続けるのだ。

以上、政治の事など全くの音痴で、事実の裏を取らなくても許される気楽な音楽ライターふぜいの僕ですが、この数日間、夜間は宿に閉じ込められ、ちょっとした自由を奪われ、その上で感じた全くの私見を書きなぐってみました。ご意見無用です。

by salamunagami | 2011-02-02 03:39 | エキゾ旅行  

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