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Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_1842651.jpg朝晩は少々冷え込むので、沢山持ってきたホッカイロの残りが役立つ。8時半に起き、9時ギリギリに朝食に駆け込む。すぐにでも町に出かけたかったが、午前中いっぱいかけて原稿を書く。
午後1時半にやっと外出。もう日暮れまで4時間しかないが、エジプト人は夜中過ぎまで外出しているのだから、僕達もエジプト人時間に適応したとでも言おうか。

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_1843015.jpgエジプトは日本やトルコやフランスやシンガポールと比べると、飯屋が圧倒的に少ない。その上、目立つのはテイクアウェイ系。昼過ぎになると数少ない街角のコシャリ屋、サンドイッチ屋は我先にと手を伸ばす若者でごった返している。そういう店なら揚げ物の油も悪いものを使ってはいないだろう。ということで、まず最初に目に付いたのはサンドイッチ屋。ターメイヤかなと思って一つ頼むと、揚げレバーのサンドイッチとのこと。3.5LE=50円。この店はコシャリもやっていて、肉を煮込んだスープをトッピングにかけてくれるようだ。これは美味そう。
もう少し歩き、ターラト・ハルブ通りに入り、有名店フェルフェラで今度はシャワルマを妻が頼む。僕は我慢しようかと思ったが、店頭のコシャリブースを見て、つい「コシャリにシャワルマ載せ!」と頼んでしまう。店の奥が日本の立ち食いソバやのような立ち食いブースになっていた。シャワルマはトルコのドネルケバブを1/4くらいに貧弱にしたものだった。レバノンだってこの2倍以上はあったぞ。コシャリも昨日と同じもののはずなのになんともベシャベシャして美味くない。半分くらい残した。

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_18444357.jpgそのままターラト・ハルブ通りを北上。15年前に3週間泊まったホテルMinervaはNew Minervaと名前を変えて改装され営業していた。コロニアルな内装だったので、モロッコのリヤドくらいキレイに改装出来れば人気ホテルになっているだろうが、果たして?

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_1845472.jpgその路地の路面に2.5ポンドショップが入っていて、日本の100円ショップと同じような品揃えのものが全てが40円で並んでいる。7月26日通りを渡り、そのまま北にオラービ広場。15年前、ここら辺のカフェによく入った。爆食いして、妻が腹痛に倒れた鳩のパイの有名店もそのまま残っていた。日本人貧乏旅行者の定宿が入っている通りは相変わらず野外の市場が立っている。その脇に入った所にあるカフェ。僕は当時「キチガいカフェ」と命名していたカフェももちろん健在だった。壁に粘土を盛り、その上にサイケデリック・ナイーヴ・アートのようなエジプトの歴史画が壁一面に描かれていたのだ。根本敬さんも随喜の涙を流しそうな画風のすばらしさに、「キチガ委カフェ」と僕は名付けた。15年ぶりに行くと、壁の絵は全く識別出来ないほど水パイプの煙でいぶされ、キチガ委カフェというより忘却の彼方カフェに変身していた。店内の写真を撮らせてもらい、店の主人に店名を聞くと、レジの上を指さされた。カフェ・シャムス(太陽カフェ)と書かれていた。15年間の謎が解けた。池尻大橋のカフェ太陽とも繋がっていたのか!

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_18464136.jpg近くの通りからタクシーを拾って、イスラーム地区ハーンハリーリーを目指すが、行き先を告げると二台連続で乗車拒否。多分夕方のハーンハリーリーは激コミなのだろう。三台目は乗ってから「20ポンド!」と言われたので、走行中に扉をガツンと開けて、運転手を困らせてから降りる。四台目のタクシーでやっときちんとした運転手がつかまった。首都高のような高架を通り、ハーンハリーリーまで一気に行き、一般道に降りるとやはり渋滞だった。
ハーンハリーリーでは妻がベリーダンスの衣装と土産物、そして僕が出来るならCDを買おうと思っていた。通りを歩くと、次々に土産物屋のアニキ達が話しかけてくる。
「My Friend, Give me five!」
「コンニチハ、オチマシタ」
モロッコの常に殺気だった偽ガイド、イスタンブール・スルタンアフメット地区の狡猾な絨毯売り達と比べると、ハーンハリーリーの客引き達はみんなアマちゃんだ。幼稚園児レベル。日本の雑誌「ベリーダンスジャパン」に載っていたCD屋に入り、値段を聞くとだいぶ上乗せした値段を言ってくる。「この雑誌にもこの値段で書いてあるでしょ、ほら」と見せてくれるが、その書いてある値段自体が高いように思えたので何も買わずに店を出る。
モロッコ、そして今や買い物天国と化したインドと比べると何も欲しいものはない。妻はベリーダンス衣装屋を数軒周り、最後の店AFIFIで色々物色している間に、お店の若旦那モハメッドと音楽談義となる。
「CDを買うなら何処がいい?」
「ヴァージンメガストアだよ」
「町から遠いだろ?」
「それでも定価販売だし、品揃えがイイから」
「今夜はタンヌーラを見に行くんだよ」
「音楽ならオベラハウスは行った? マカーンもイイよ」
「エル・タンブーラ・ホールには二晩行ったよ、オベラハウスは明日行くんだ」
「マカーンでもザールとジャズのフュージョンが見れるから、是非行ったほうがいい」

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_18472813.jpgお店を出て、アズハル通りを横切る歩道橋を渡り、南に衣料品のスークを歩き、ズウェラ門まで歩く。夕暮れ時でロウソク型のミナレットからアザーンが流れ、巨大な石造りのモスクの近景には女性向けのセクシー下着「ベイビードール」が所狭しと並んでいる。それを全身黒ずくめの女性達が品定めしている。あの黒い全身を包む布の下にこんな服を着ているのか!

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_1849268.jpg6時半にミレイユさん、サイードさんと待ち合わせ、サイードさんの友達ヌールのやっている骨董品というか、趣味のグッズ屋に入る。古いスライド上映器から、中国製のバリカン、ぬいぐるみにヒップスカーフまで所狭しと色んな半分ガラクタが置いてある。ヌール自身もパーカッショニストのトモさんみたいなキャラだ。彼にもマカーンに行くべきと言われた。
7時前にタンヌーラの会場に入ると、既に席はほとんど埋まっていた。サイードさん達が僕達の席を用意していてくれたので、着席出来たが、開演二時間前で既に満席。後は中央の泉の端や床、左右の廊下に立って見るしかないのに、そこまでが時間とともに埋まっていく。

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_18494263.jpg待ちくたびれた8時半に開演。まずは全身白衣のパーカッション集団。エジプトは中東〜アラブであると同時に、アフリカでもあるんだなあ。ダルブッカやドフを叩いているのに、西アフリカのジェンベ隊、またはブラジルのバトゥカーダのようにリズムの切れが良く、全員のリズムが揃っている。これはトルコとは全く別ものだ。日本でダルブッカを習っている人は、エジプトやトルコで習う以前に、ブラジルかアフリカに行ってから、それをダルブッカにフィードバックすると良いのではと余計な事まで考えてしまった。
続いてはスーフィーのタンヌーラ・ダンス。トルコのメヴラーナ教団のセマーに影響を受けて、エジプトにてより大衆的な要素を取り入れて発展したダンスだ。15年前に見た時は、トルコと比べて随分エンタテインメントしてるなあとしか思わなかった。が、この15年でショーとしての完成度が格段にアップしていた。青、赤、白、緑、黒の柄のスカートを履いたタンヌーラ・ダンサーが中心で旋回を続け、その周りで揃いの白衣装のパーカッション隊がそれぞれに旋回をしながら周回をする。欧米の振り付け師が入ったのだろうか? トルコのセマーと同じく、天体の動き、原子の動き、生命の動きを模しているはずだが、トルコの静謐な周回と比べて躍動的でエジプトらしさがふんだんに盛り込まれている。主要な歌手や演奏家達を二階のベランダに配置して、舞台の邪魔をしないのも見た目に美しい。
インタールードにサイーディー民俗楽器演奏を挟み、最後は三人のタンヌーラ・ダンサーによる奥義大放出だ。一人、二人と旋回しながらステージに現れ、三人目の鮮やかな緑色の衣装を着たダンサーはサイードだった。サイードは一番左側で、ちょうど僕達の席から見えにくい場所だったので良い写真は撮れなかったのが残念。三人のダンサーがそれぞれに微妙に異なる鮮やかな柄のスカートを履き、それらを回転させながら上下斜めに回し、更に三人が惑星直列のように一直線に並びながら旋回したりと、単にアクロバティックなだけでなく、見ていて非常に美しい作品に出来上がっている。15年前とは別物になっていた。これが無料で見られるのだから、週三回の公演が満席なのは当然だ。10時過ぎまで一時間半、音楽生演奏とタンヌーラダンスを堪能出来た。もう一度見に来ようかな。
終了後、着替え終えたサイードに案内され、このタンヌーラグループの創設者、マフムード・エイサさんにインタビュー出来た。
「コンヤのメヴラーナ教団のセマーに基本的なアイディアは頂いているが、タンヌーラはまるっきりエジプトのものだ。カラフルな色、ダンスのアイディアなどはエジプトの要素が元となっている。それにメヴラーナのセマーはエリートのものなのに対し、タンヌーラは大衆に向けたものだ。
1988年にグループを結成する以前はタンヌーラのダンサーはモスクやメデルサの中、路上などで、それぞれ孤独に踊っていた。それをエジプト文科省の力を借りて、スルタン・ゴーリーの建てた宗教学校、モスク、隊商宿の施設を使わせてもらい、グループを結成した。以来今日までに既に老人、中年、若者の3世代のダンサー、音楽家達が育ったグループとなった。日本にも公演に行ったことがあるよ」

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_23384851.jpgサイードが、妻が真鍮製のお盆が欲しいという妻のリクエストに応えて、ハーンハリーリー外れの友人の店に案内してくれた。新品の直径40cmほどのお盆を色々と見せてもらうが、こちらのお盆は僕達が欲しいお盆とは微妙に縁の形が異なっているため、申し訳ないが希望のモノと違うと言うと、じゃあどういうお盆なんだと聞かれたので、その辺に放ってあった、おんぼろのガラクタの中から縁の立ち上がっている希望のものに近いものを見つけ、「こういうの」と見せると、それなら、それを売るよと言われた。きったない、ガラクタである。しかし、店主のムハンマド・アリーは「磨けばキレイになる。今、磨いてやるよ」という。言い値は120le=1700円。モロッコで買うより遙かに安い。磨いてもらったものを見てからと言うと、小僧にその場で磨かせ始めた。5分後、磨き上がったお盆を見てびっくり。新品とまでは言わないが、十分に使えるし、新品の華美で華奢な作りと違い、重くてしっかりしている。言い値をまけずに買う。

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili_c0008520_18504563.jpg夕食はハーンハリーリー名物の鳩のご飯詰め専門店フラハトへ。サイードに鳩のご飯詰めの正しい食べ方を教わりながら頂く。これが感動する美味さ。鶏と比べて身は少ないが、コクがあり、まさにジビエの味。付け合わせの鳩出汁スープもレモンを搾って濃厚な出汁をガラスのコップで頂く。中のご飯にも鳩の味が染みていて最高。ミレイユさん曰く「精が付くと言われている料理なんです。日本で言うとウナギかしら」。まさにその通り! ウナギもご飯とセットだし、精が付く料理だし、味付けもなんとなく似ている。お店のオンボロな佇まいも含めて! 鳩のご飯詰め「ハマーム・マハシー」はエジプトの鰻重なり!
鳩を食べ終わると既に午前12時。宿まで車でおくってもらい、宿に帰還し、大量の写真を取り込み終わらないうちに眠ってしまう。

by salamunagami | 2011-01-23 18:51 | エキゾ旅行  

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