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Maroc 15, From Sahara to Marrakech

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_1859823.jpg朝6時起床。7時までに荷造りし、7時に一階のレストランで朝食を取る。一泊だけのibisホテル滞在だが、久々に明るい室内、エアコン制御、広くて無機質なベッドで思っていた以上の役割を果たしてくれた。ただ、エアコンのウイ〜ンという音だけはこの2週間耳にしていなかったので妙に気になってしまい、耳栓をして寝た。
ホテル一階のレストランから外を見ると、東の空が漆黒から群青色、青、白、黄色、オレンジと変わりつつある。
7時半にチェックアウトし、タクシーに乗ると、東の空から道路にオレンジ色の光りがピカーっと射し込んだ。サハラ砂漠の夜明けだ。ここからアトラス山脈を下ってしまうと、こんなオレンジ色の光りは見られない。砂漠にもう一日くらい滞在したかったなあ。また来ることがあるだろうけど。
8時前にモロッコ国鉄の路線バス会社スープラトゥールの事務所に到着。まだ誰も乗客が来てないと思ってチケットを見直したら、発車時間は8時ではなく8時半だった。ガクッ!

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_18594347.jpg8時半を周り、バスが到着。既にお客が乗っている。中からフェズ、メルズーガで一緒だったギリシャ人女性二人が乗っていた。聞くと、ティネリールを朝5時45分に出たのだという。ほぼ満員のバスでアトラス山脈を降りる。最初30分は普通の道だったが、二時間近くつづら折りが続き、本も読めないし、多少気持ち悪くなってきた。この道はいつもキツイ思い出がある。15年前には途中のドライブインで飲んだカフェオレにあたり、バスを停めてもらい、荒野の真ん中で下痢をしてしまった。そんなことを考えはじめていた矢先の10時半、やっと休憩地に着いた。ここは四年前に大石始夫妻とともにバスに乗った時に立ち寄った場所では? 路肩のカフェや食堂には今回訪れた場所では見ることになかった炭火七輪のタジン鍋が並んでいた。これの写真を撮りたかったのだ。店のオヤジは、やれタジンはどうだ。串焼きはどうだ?と降りてくる客に聞いてくるが、つづら折りを降りてきた顔色の悪い乗客がそんなもの食べたいわけがないだろう。しかも朝10時半だぞ。何考えているんだ? つーか何も考えていないんだろう。ニンジンを目の前に吊られて走る馬みたいな人達だ。

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_1902396.jpg20分休憩後、しばらく走ると、それまで赤茶色のはげ山だったのが、緑で覆われ始める。アトラス山脈の北側に降りてきたのだ。そこからは次第に緑が増え、穏やかな色の土地になっていく。一時間ちょっとでマラケシュの郊外に入り、あっという間にマラケシュのバブ・ドゥカラに着いていた。スープラトゥールのバスは鉄道駅の横が終点だが、僕達はここで降りることにした。降りると目の前にスープラトゥールの窓口があったので、次の目的地へのバスを予約し、それからタクシーを拾い、マラケシュのメディナの市庁パーキングまで行ってもらう。そこで泊まるリヤドの主人に電話すると、すぐに褐色の肌のまだ30歳くらいのガイが現れた。宿の主人ケヴィンはモーリシャス人、ということは母国語はフランス語のはずだが、僕達には英語で話しかけてくる。イタリア人の奥さんと共同で一年前にMONRIADというリアドを始めたばかり。ずっとフランス人経営の宿ばかりが続いたので、ちょっと河岸を変えてみたくなったのだ。リアド・ジトゥーン・ジャディード通りをちょっと北に歩き、内側に入った所にある入り口を入ると、イタリア人らしく明るくポップな内装の宿が開けていた。部屋は15部屋もある。結構でかいリヤドだ。

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_1912742.jpgあまり昔の話ばかりをするのはイヤなのだが、リヤド・ジトゥーン・ジャディード通りもこの四年間でカフェや雑貨店が建ち並ぶオシャレな通りに一変していた。22年前は舗装もされていない通りだったし、15年前には銀細工の店で買ったトゥアレグの南十字星のペンダントが単なる銀メッキだったことがある。その店はまだ残っていたが、周りに出来たばかりの色とりどりの雑貨屋やカフェの存在に負けてしまっている。フェズやタンジェでは見かけなかった女性好みのしそうなファンシーな商品が、買え、買えと並んでいる。まるでアメ村か代官山みたいだ。

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_194266.jpg宿にチェックインし、すぐにマラケシュ在住の日本人女性Mさんに連絡を取ると、午後にリヤド・ジトゥーン通りの南側で会うことになる。それまでウィンドウショッピング。良い顔のオヤジがやっているスパイス屋を見つけ、オヤジの写真を撮りたさでシナモンやカルダモンを使ったスパイスティーを買った。100gで60ディラハム、600円。かなりボッタクりだ。ミックス・スパイス「ラス・エル・ハヌート」も100g80ディラハムとフェズやタンジェの三倍くらいの値段を言ってくる。
乳母車に娘さんを乗せたMさんと無事合流し、在住の日本人マダムが自宅を開放して運営している完全予約制のカフェに伺う。150mくらいの部屋が三階くらいまでの吹き抜けになっていて、まるでトルコのモスクの中のようなシャンデリアが天井から下がっていて、壁は白地に紫。モロッコ・デコの本などに搭乗しそうなすごい邸宅だ。そこで日本人マダムのいれてくれたカフェオレと手作りのほろ苦いガトーショコラをいただく。

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_1922865.jpg夕方はMさんがジャマエルフナのスークを案内してくれた。妻が欲しがっていた客人用のバブーシュ数足、皮のクッション、カーテン用のタッセル、そして僕が欲しかったアンティックのアッツァイのポットなど一気に買い物を済ます。これでまた日本に郵送せねばならなくなった。Mさんの紹介のおかげで、全てがリーズナブルで、値段交渉のわずらわしさも感じずに済んだ。Mさんは最近、某有名人の買い付けを手伝ったようで、実は僕達は昨年9月にインドではその某人のインドでの買い付けを手伝った方とお会いしていたので、世の中は狭いなあと驚いた。

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_19115862.jpgMさんと別れた後に、妻が近くの籐製品屋に飛び込みで入ると、籐で編んだ20cmほどのパンかごが言い値、70ディラハム=700円だと言われる。「日本なら100円ショップで買えるものをなんでモロッコで700円で買う奴がいる!」と日本語で怒って、店を出ると、しばらくして妻が手にパンかごをもって店から出てきた。その場で250円になったらしい。CD屋は他の土産物屋のようにボレないので儲からないのか、在庫は少ないし、コピー商品しかおいていない。郊外の大型店に行くしかないかな。

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_19133039.jpg夕方のジャマ・エル・フナは以前同様に地元客、外国人観光客入り交じってごった返していた。オレンジジュースの屋台にカタツムリスープ専門屋台、ハリーラとデーツの専門屋台もある。焼き肉専門の屋台からはもうもうと炭火の煙が立ち上っている。にわかに建った屋台通りを流して歩くと、幾つかの屋台の客引きに話しかけられる。「後で来るよ」と言うと「ヤクソクですね」と日本語で言われる。「いや、知らない人とは約束なんてしないよ」
午後6時過ぎに宿に戻り、荷物を整理し、7時半に新市街のレストランal fassiaへ向かう。新市街も大型ショッピングセンターが建ち並び、いけてる若者達が練り歩いている。Al Fassiaはなんと火曜定休で休みだった。
仕方ないので一旦ジャマ・エル・フナに戻り、一番お客が多く並んでいた31番の屋台に入る。ブロシェットの盛り合わせ、60ディラハムと、モロッカンサラダを頼んだ後に、周りを見渡すと、全員が、小さなソーセージの煮込みと、どろどろとした茶色い肉の煮込みを頼んでいた。隣の客に聞いてみるとRates、羊のレバーの煮込みらしい。小さな皿なのでそれも付け足すと、すぐに小皿に盛られて届いた。一口食べると、日本の牛の煮込みを野菜なしで濃密に煮詰めたような味だが、トマトをすり下ろしてクミンやパセリを加えた肉のソースとモロッコパンによく合う。ブロシェット盛り合わせは、仔羊のシシケバブ、鶏肉のケバブ、羊のハンバーグ=ケフタ、鶏のつくね、そしてこの店の人気料理らしい小さなソーセージ。どれにも味がしっかり付いていてしかも炭火焼きなのでイケる。いつのまにか僕達の後ろにも順番待ちの人の壁が出来ていた。隣のテーブルを見ると、レバー煮込みとソース、続いてソーセージ、そしてケフタ盛り、アッツアイと一品ずつ食べきってからゆるゆる頼んでいる。後ろに列が出来ているというのにマイペースなんだなあ。こぶりのソーセージを三本だけ頼んでいるカップルとか、持ち帰りにソーセージサンドイッチとか、オーダーの自由度が高い。
食後、カフェ・ド・フランスの一階テラスでアッツアイをいただく。このカフェも看板をきれいに塗り直され、随分おしゃれな雰囲気になったが、中に入ると地元のオヤジ達でいぶした雰囲気だ。
10時すぎタクシーに乗って、再び新市街へ。ベリーダンスの見られるレストランバー「C」ヘ。このレストランはパリのレアールにも支店があるし、専属バンドのCD(内容はどうでも良いアラブラウンジもの)も出しているなど国際的に知られた所だ。黒服のチェックを受けて、中に入るとアラブ美女に「ご食事ですか、それともバーですか」と聞かれたので、バーですと答えると「どうぞ二階へ」と案内される。バーはフランス人、スペイン人、イタリア人のたまり場だった。今もこんな植民地支配の影響が残るバーがあるんだなあ。店の雰囲気は銀座の砂漠の薔薇そのまま、つーか砂漠の薔薇のほうが後だろうが、逆に砂漠の薔薇はよくぞここまで忠実に作ったと、日本人の研究熱心さ、勤勉さに改めて驚かされる。

Maroc 15, From Sahara to Marrakech_c0008520_1915942.jpgベリーダンスは絶望的にレベルが低くてどうしようかと思ったが、妻に言わせると腰から下はきちんと動いているという。まあイスタンブールのベリーダンスレストランでも早い時間に踊るのは新人なので、一人、二人見ただけでものを言うのは間違っているのだが。
11時過ぎにベリーダンスが一段落した後にカシオトーンを中心にダルブッカ、エレドラ、ヴァイオリン、サックス、そして歌手という編成の現代アラブキャバレー楽団が登場。こちらはお客からのリクエストに応え、エジプトの曲、ライの曲、地元のシャアビなどを次々と歌い、気がつくと、着席しているお客はいつのまにか西洋人ではなくアラブ人〜モロッコ人にがらりと変わっていた。テーブルには大型の水パイプが並び、煙がもうもうと立っている。
12時過ぎ、ライヴが一旦休憩になったので、そろそろお暇しよう。入り口を出た所にいるタクシーを拾おうとするとたった1.5kmの距離に100ディラハム1000円と言われる。何言ってるんだ!と言うと、夜間料金だという。たった1.5kmだぞ。運ちゃんを振り切り、通りを歩き、流しのタクシーを捕まえて半額以下で帰る。
どうでもいい話ばかり書いてしまったが、マラケシュはモロッコの中では最も魅力がある町であることは間違いない。6度目となると悪いところばかりが目に付くのだろう。それでもこの町ではやることが沢山あり、時間が足りなくなりそうだ。

by salamunagami | 2011-01-12 19:16 | エキゾ旅行  

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