2.29 Wed. Mekaal Hasan Interview

c0008520_21533445.jpg2月29日水ラホールのプロデューサー/ギタリスト、ミカール・ハサン取材

 疲れていたはずなのに、午前7時には目が覚めてしまう。寝る前にセットしたカメラのバッテリーの充電器がまだ赤いままだ。ということは三時間ちょっとしか寝ていないのか。カウワーリーの興奮、そしてサッチャルジャズの興奮で身体が覚醒してしまっているのだろう。
 今日は午前中はゆっくりする予定だったが、バダル・アリーと弟が最後にもう一度挨拶に来てくれた。彼らは日本ビザを取得するため今夜イスラマバードに行き、アトハルさんに会う予定となっている。前夜の盗難は念のため警察に申告してくれたという。あの悪ガキ、警察でリンチ受けてないかなあ?
 12時前にフォートレスプラザに向かう。途中、軍隊のチェックポイントを通り、パスポートを見せろと言われる。パスポート持ってきて良かった。僕はいつもの旅ではパスポートはホテルに預けたり、スーツケースの中に施錠して入れたりして、持って歩かないのだが、この国では何があるかわからないので、持って歩いていた。そしたらこういう事になる。
 フォートレスプラザは軍のカントンメントの中にあるので、どうしてもチェックがあるらしい。着いた先は巨大なスタジアムを取り囲む形でお店が広がっている。一軒一軒を見て回り、ゆりこが二軒で服を買い、中華料理屋でお昼を取る。スープを飲むとどういう訳か身体中に疲れが回り、気持ち悪くなり、クラクラし始めた。それが僕だけでなく、ゆりこも村山先生も同じ事を言っている。中華スープに入っていたドンコが日本製で猛烈な放射能を発していたのか? それとも中途半端に座面の高いイスで足が宙ぶらりんになり、鬱血していたのがスープによって全身に血が回り始めたのか? それとも先ほどの店で付けられた安物の男性用香水のニオイに気持ち悪くなったのか? 席についているとますます気持ちが悪くなってきたので洗面所に行くと、その歩く行為が良かったらしく、気持ち悪さがすぐに消えていった。二人も座面が高いイスが合わないらしく、店を早めに出たら、気分が良くなったという。一時はどうなるかと思った。
 午後2時の日差しはもうギラギラ。日に日に暑くなっている。日本は真冬が戻ってきたというが、こちらは確実に酷暑期に近づいている。もうジャケットを着てられない。
 フォートレスからリキシャでホテルに戻り、4時半に今度はミカール・ハッサンの自宅兼スタジオに向かう。前日のサッチャル・ステュディオと同じワーリス通りにある。リキシャを降り、道を迷いながら探していると、サッチャルの前で、あのメンバーが楽器を持って降りてきている。その前には西洋人のテレビクルーがカメラをセットしている。前日にアメリカ人のテレビ局がドキュメンタリーを作り始めていると聞いた。それが早速来ているのだろうか?

c0008520_21511186.jpgミカール・ハサンの家はワーリス通りを脇に入り、途端に広がる閑静な住宅街の奥の奥にあった。
 広い緑の庭の手前にガレージがあり、そこにヘビーメタル風の長髪をしたミカールがいた。
 「ちょうど、迎えに行かせた所だったんだよ」
 握手をすると途端に彼の携帯が鳴り、インド英語で話し始める。「僕の父親がいつ生まれたかって? 1942年、ジャンムー生まれだよ。英国領インドさ。それからラホールに来た」
 今月中旬から行われる彼のバンドのインドツアーのため、インド側のマネージャーが彼のビザ申請のための手続きで色々電話してくるとのことだった。緑に囲まれた庭と、木造二階建ての洒落た母屋、そして離れが彼のレコーディングスタジオになっている。スタジオの内装は日本のプロのスタジオと同じような木張りのえらくゴージャスな防音内装で、奥にはロックバンドがそのまま入れそうな広さの録音ブースがあり、手前がミキシングブース。個人の家でここまですごい作りとは、両親がさぞかしお金持ちなのだろう。
 日が暮れる前にまず写真を撮らせてくれと頼むと、彼は照れながら庭で撮影会に応じてくれた。写真に照れが写っている。

c0008520_21511878.jpg録音ブースでインタビューを始める。スタジオはかつての駐車場と物置を改装したもので、12年前に建てた。彼の父親は詩人で物書きで、ラホール一のジャズのコレクターで、ラジオでジャズの番組を持っていた。そして母親は文学教授で、彼の家族にはスーフィー詩人の詩の翻訳で有名になった叔父がいると言う。音楽家は彼だけだが、芸術に理解のある家族の中で彼は育った。
 「僕は理解のある両親に恵まれて、自分の好きな事を追求しろと育てられた。僕は本当にラッキーだった」と言う。
 彼は1972年ラホール生まれ。11歳でピアノを習い、その後ギターを学び、パット・メセニーに多大な影響を受けた。
 21歳でアメリカのバークレー音楽院に入学し、二年ギターを学んだ。そこでトニーニョ・オルタやアストル・ピアソラの音楽を知り、自分がパキスタン人として音楽を作るにあたり、それまでに学んできた西洋音楽だけではダメだと気づいた。
 パキスタンに帰国後は、様々なバンドや音楽家とセッションを行い、その中で北インド古典の演奏家たちと出会い、現在のミカール・ハサン・バンドのメンバーと出会った。同時にラホールの既存のスタジオでは自分の求める音楽は作れないことがわかり、録音やエンジニアリングを自力で学び、自分のスタジオを作り、他人のための録音やプロデュースを始めた。なのでまず音楽家としてより、エンジニアやプロデューサーとして彼は有名になった。プロデュースしたのはパキスタンを代表するロックバンドJunoonやイケメンSSWのAtif Aslaf他。事務所にはこれまでに受賞した数々の賞のトロフィーが並んでいた。
 自分のバンドと音楽を追究するにあたり参考としたのはかつてのウェザー・リポートだった。ジョー・ザヴィヌルの多文化音楽を取り入れながらの作曲方法に多大な影響を受けた。自分の音楽は100%西洋音楽ではあるが、バンドでは古典音楽の音楽家たちと常に新しい音楽を模索している。
 パキスタンではバンドの公演が厳しく制限されていて、今では学生ホールなどの小さなホールでしか演奏出来ない。すると箱の規模は小さくなり、バンドのメンバーのペイも減り、同時にスポンサーも付いてくれなくなるのでとてもハードだ。それに海外公演のためのビザも取得が難しい。「今、インド人の若者なら、無限の可能性があるだろう。世界中からインドの文化は求められているし、経済も強い。しかし僕たちはそのインドで演奏するにもビザやその他の問題で苦しめられる。パキスタンで自分の音楽を続けるのは本当にタフなことだ。僕は家族に恵まれ、とてもラッキーだった」
 こんな話を続けているうちにスタジオにミュージシャンたちが集まってきたので、ブースでのインタビューを中断し、事務スペースでインタビューを続ける。その間ひっきりなしに彼の携帯が鳴り中断させられる。スタジオを他の音楽家達に貸すこともあるのか?と聞くと、「今日は彼の助手たちがジングルのレコーディングを行っている。それがサバイバルするための仕事なnだ」とのこと。
 そして「スーフィーロック」というジャンルについても聞いてみた。「ジュヌーンはインドのメディアによって「スーフィーロック」と呼ばれるようになったけど、彼らがスーフィーの詩を用いているのは2曲くらいで、他はスーフィーの詩は用いていないんだ」とのこと。
 それに対する僕の質問。「君の曲はインストルメンタルの曲でも僕達日本人にとってスーフィー的に聞こえる」
 「それは多分、ジャズに用いる三連のリズムを用いていること、重いサウンドを心がけているが、それをハードロック的な重さではなく、別の方法を用いて表現していることで、サウンドにそうした感覚が生まれるのかもしれない。自分のサウンドはスーフィーを意識したことはないけど、僕は歌詞よりもサウンドやメロディーを常に先行して聞いているからではないだろうか」とのこと。

c0008520_21512547.jpgそれから彼の名前Mekaal Hasanはなんと読むのか、本人に直接聞くと「ミカール・ハサン」とのことでした。
 インタビューを終えると、彼の父親が挨拶に来て、僕達に「なぜ君達は日本の素晴らしいジャズを聴かないのか?」と聞いてきた。日本のジャズを聴かないような人間だから、ここに来ているんですよ!
 帰り道はミカールが車でホテルまで送ってくれた。別れ際に「ラホールの音楽シーンに興味があり、会いたい人間がいたら、いつでも連絡してくれ」と言われた。

c0008520_21512541.jpgホテルに戻ると、連日の疲れが出て、ゆりこは部屋で休むと言うので、僕と村山先生だけで近くの路上食堂に行く。ホテルの目の前のマウルロードは片側三車線の広い道路。夜8時から9時の計画停電で街灯がない。そのため、突っ込んでくる車のヘッドライトだけが灯りだ。車のライトをよけながら、道を渡り、ちょっと歩いた所にある路上のシャワルマ屋で、チキンスープとシャシャリクというストリートジャンクフードを頼む。もちろんシャワルマはアラブ起源であり、パキスタンに入ってきたのはこの10年ほどらしい。シャシャリクはそのシャワルマ400gくらいをトマトケチャップでちょっと煮て、2合分くらいのバターライスの上に乗せ、サラダを散らした、沖縄のタコライスのパキスタン版か。日本にいてもケチャップやマヨネーズを買ったことのない僕には刺激が強い。しかも量が多くてビックリ。二人分にしても多いほどだ。値段はスープとスプライト、さらに持ち帰りのチキンスープをつけて530ルピー、約500円だった。
 近くの友人を訪ねるという村山先生を残し、僕だけホテルに戻る。夜9時、ゆりこにチキンスープを渡し、ルームサービスのチャーイを一口飲んだ段階で、疲れきっていてもう起きていられない。9時半に耳栓とアイマスクをして、ベッドに倒れ込んだ瞬間、眠りについた。
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# by salamunagami | 2012-03-02 21:56 | エキゾ旅行  

2.28 Tue. Pt.2 Badar Ali Khan's Qawalli Party

c0008520_1943968.jpg2月28日火曜 その2
バダル・アリー・ハーンのカウワーリー

ホテルに戻り、荷物を片付けていると、6時過ぎに今度はカウワーリー歌手バダル・アリー・ハーンと彼の兄弟たちが4人で村山先生のところに遊びに来た。来日公演のためのビザの取得方法の打ち合わせなのだ。彼らは今週は今晩だけ結婚式会場で公演を行い、あとは公演なしとのことなので、急遽今夜の公演を見に行くことにする。
 

c0008520_19271116.jpg7時半にホテルから二台のオートリキシャで出発。二台に7人は乗らないだろうと思っていたら、メンバーがリキシャを運転している。リキシャ自体を借りてきていたのだ。
 20分ほど庶民的なエリアに入りこみ、街灯が暗い一角になにやら賑やかな場所がある。庶民的な結婚式会場らしい。一階には大きなキッチンがあり、なにやら料理を作っている。二階に上ると、奥にステージがあり、床には白い布が敷かれている。靴をぬいで座り込むようだ。
 女性は二階ではなく更に上の三階に専用スペースがあり、ゆりこは一人そちらに連れていかれる。イスラム教国のこうした催しものでは男性と女性が完全に隔離されることが多く、たいていの場合、外国人女性は男性扱いされるのだが、ここでは女性は女性ということらしい。
着いてみるとカウワーリーの公演の前にナートというイスラーム教のありがたいお経を詠む演目が最初に行われ、次が食事、そしてカウワーリーという順番らしい。まあラートを生で聴く機会もなかなかないので、良い経験だ。8時ちょうどにあごひげに正装の集団がステージに座り込み、コーランの一節を詠むことからラートは始まる。一つの曲(というかお経? 講談?)ごとに詠み手が交代する。真っ白なあごひげを伸ばした老人から、まだ声変わり前の少年まで十数名がステージに上っていて、次々にそれぞれのお経を詠む。
 9時前に階下から人がドバっと集まってきた。その中には緑と白の正装を来た、ピール(聖者)さま、サイード・アッラーウッディーン・ギーラーニー氏の姿が目立つ。ナートが盛り上がると、正装のオッサンたちが少額5~10ルピーを100枚、200枚と集めた札束を花びらのように宙に投げ散らかす。聖者の手を通り、浄化されたお布施なのだ。村山先生や野上君のビデオで何度も見てきた光景を目の前にする。

c0008520_1943418.jpgナートは次々と歌手が入れ替わり、中にはヒューマンビートボックスのようなリズムをつける歌い手もいるだが、声だけなので、さすがに二時間を過ぎると飽きてきた。バダル・アリーの弟、バハドゥルに呼ばれ、階下に降りると、バダルたちも下で手持ちぶさたにしていた。主催者もラートが長すぎると怒り始めている。一時間くらいの予定だったらしい。そこで質素なダールとナーン、コーラを夕飯としていただく。パキスタンに来てからずっとそれなりに豪華な食事ばかりしてきたので、こうした庶民的な料理は初めて食べた。ダールはインドのものほど凝ってはいない。レンズ豆をターメリックとカイエンヌを加えてドロドロになるまで煮たものだ。
 一方、ナーンにはこだわりがあるらしく、バダルたちは「ガラム、ナーン!」などと頼み、熱々のナーンを買いに行かせている。ナーンには表面に白ごまを振られ、格子状の切れ込みが入っている。トルコやシリアのナーンにそっくりだ。
 結局ナートが終わったのは11時過ぎ。3時間も歌っていた。しかも後半はカウワーリーの有名曲ばかりが続いた。タブラや手拍子なしで歌ってもバダルたちに負けてしまうだろうに。それだけ今夜はお布施が出たということかもしれない。

c0008520_19265657.jpg二階では食事が振る舞われ、12時過ぎにバダルたちがステージに登場。まずインストでイントロ、続いてジャパニソング「幸せなら手を叩こう」のインスト版を軽く演奏する。だが、まだピールが席に戻ってきていないので、一旦休憩。周りには子供や大人までいつのまにかフロアが埋まっている。ゆりこは階上で女性たちだけで食事をいただき、掌にメヘンディーまで施されて、一人男性だけのフロアに戻ってきた。他の女性達は別の場所に行ってしまったようだ。カウワーリーは男性だけの楽しみということか?

c0008520_21414214.jpg五分ほどしてピールが現れ、カウワーリーがスタート。一曲目はおなじみ「アッラー・フー」! ヌスラットの十八番として知られるこの曲、バダル・アリーたちもヌスラットのバージョンに忠実ながらも、別の歌詞を加え、少々メロディーも付け加え、彼らなりにドラマティックに作っている。しかし、そんな細かいわざなどどうでもよくなるほど、手拍子の倍音、タブラのグルーヴ、そしてなにより脂が乗りまくった31歳の巨漢バダル・アリーの歌声とアドリブが素晴らしい。歌い始めてしばらくすると、まだ一曲目にもかかわらず、ピールが立ち上がり、最前列までやってきて、札束の花びらをまき散らす。その際、今夜のメインゲストとされた、僕達三人のジャパニもピールに呼び出され、頭を垂れて、その上にピールと彼の周りのオッサンたちが札束を僕達の頭の上でまき散らす。ひとかたまりが200枚くらいだから、三人に取り込まれて600枚の札が僕達の頭の上で舞っている。

c0008520_1927669.jpgアッラー・フーの後の曲の解説は村山先生が後ほどfacebook上で行ってくれる予定。一曲ごとに山があり、パワフルで、次第に観客たちが興奮していく。その度にピールたちが新たな札束をばらまき、それを札集め係りの若い衆が寄せ集め、再び200枚ほどの束にして回収している。寄進者は1000ルピーなどの大きな額の札をその場で細かい札の束と両替し、その札束をピールに渡すと、ピールが立ち上がって、カウワールたちの頭の上や、僕達のような参加者の頭の上で撒く。それを集めてカウワール達の収入にするのだ。

c0008520_21414361.jpg1時間半をすぎて、これまた有名曲「シャーバーズ・カランダル」を歌い出すと、ピール達が撒いた札の上でオッサンが一人横になって暴れ出した。トランスに入るか、トランスに入ろうとしているのか? 札の上でトランスに入るのだから、楽しいには違いない。ピールと周辺の人達にたしなめられ、少しは大人しくなるが、それでも床の上でグルグルと回り続けている。
 次の曲では、10年前の日本のトランス・レイヴ・パーティーで問題になった「ギャル男たち」を思い出すやたらと粗暴なダンスを少年たちが踊り出し、周りの大人は手をつないで輪を作り、少年たちを輪の中だけで踊らせている。

c0008520_19265120.jpgカウワールたちは預言者や聖者を讃える歌を延々とパワフルに歌い続け、その強力なリズムにあわせて、現世の成功の証であるお札をバラバラとまき、そのお札の上で我を忘れて踊り狂い、転がり続ける。大人も子供も(ただ、ここには女性は入れないが)。それを聖者が見守っている。この現世においては非常に自虐的な行為であるが、そこに宗教的法悦が生まれてしまう。

c0008520_19271099.jpgバダル・アリーはステージの上で立ち上がり、手にマイクを握り、絶叫し、周りの手拍子とコーラスの楽士たちも全身汗まみれになって手を叩き歌い続けている。二時間があっという間。彼らが始まるまでの三時間待たされたこと、その段階で疲れきっていたことなど忘れてしまうパワーが彼らの歌と音楽にはあった。僕は20年前のwomad横浜でのヌスラット・ファテー・アリー・ハーンをはじめ、インドのダルガーや各国のワールドミュージックフェスティバル、そして日本への来日公演などで何度もカウワーリーを見て、聴いてきた。しかし、現地のコミュニティーにおいて、プライベートな場所で、歌われるカウワーリーがこれほどスピリチャルで、ドラマティックだったとは全然知らなかった。ヌスラットがもてはやされた頃、カウワーリーはイスラーム教版のゴスペルと形容されたが、まさにその通り。

c0008520_1927521.jpg3月22日に行われるバダル・アリー・ハーンの東京公演が、現地での音楽体験のうちの多くの要素を持って来られるかはわからないが、彼らは初めての日本公演に最高のカウワーリーを聴かせてくれることを約束してくれた。
 2時過ぎに終了すると、周りにいたオヤジやアニキたちが、じぶんの写真を撮ってくれと僕に話しかけてくる。そこで30名ほどのイイ顔写真を撮った。僕も楽しいし、あちらも喜んでいる。カメラをしまうため、バックパックとジャケットを手元に寄せると、外側にくくりつけていたMP3レコーダーがなくなっていた。いや、実のところいつか無くなるんじゃないかと思っていたんだ。バダルの弟にその旨伝えると、その場でアナウンスしてくれて、参加者全員がこの盗難事件を知り、その途端に普段から素行の悪いガキが「お前がやったんだろう!」とみんなから叱責を受け、泣きながら、僕のところに来て、「僕はやってません!」と繰り返すが、周りの大人たちに相手にされず、怒られている。

c0008520_21455520.jpgカウワーリーを通じてコミュニティーの一体感を確認する儀式なのに、不用心な僕のせいで、水を差してしまった。いくら外部の人間がいないとはいえ、もうちょっと荷物に用心するべきだった。とは言え、盗難は常に僕の旅について回ってきた。フランス留学中は自転車を盗まれ、モロッコでは路上でGショック強奪、イランでは長距離バスの中で、アフガニスタン難民にカンゴールのベレー帽とcontaxのカメラを盗まれた。イスタンブールでは妻が財布をすられた。チュニジアでもカンゴールのベレー帽が無くなっていた。最近では去年のモロッコ・エッサウィラの宿で妻がお気に入りのペンダントを掃除の姉ちゃんに盗まれている。なので旅先での盗難は一種の通過儀礼というか、税金のようなものだと思っている。「サラーム」という名前を使っている使用料とも言える。それが今回はちょっと値段のはるEdirolのMP3レコーダーだった。しかし、あんなもの盗んだってどうにもならんだろうに。MP3レコーダーなんて意味わからないだろうに。携帯やカメラじゃないんだし。
 パキスタンは会う人誰もが親切で、イスラーム的な義理人情に富んでいるが、その一方で貧しい国なのだ。不用意に荷物を置きっぱなしにしている僕のほうが悪いのだ。
 バダル・アリーたちは僕に向かって「申し訳ない!」と何度も繰り返してくれるが、「大丈夫だ。神はいつも見ているから」と答える。彼らのリキシャに乗ってホテルに戻ると午前3時だった。盗難にはあったが、カウワーリーの興奮のほうが何倍も強い!
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# by salamunagami | 2012-03-02 19:49 | エキゾ旅行  

2.28 Tue. Pt.1 Sachal Studios Orchestra

c0008520_19144885.jpg2月28日火曜 その1
サッチャル・ステューディオ

8時半にホテルの部屋で朝食を取り、10時前に旧市街に向け出発。デリー門でリキシャを降り、デリーのチャンドニーチョークによく似た市場の道を進んでいく。女性用の布地を扱う店が延々と続き、ゆりこと村山先生はお土産を探し、お店を冷やかし進む。路上にはビリヤニやハルワやチャーイなどの屋台も並んでいる。ビリヤニを一口いただいたが、色は薄いながらも、鶏肉の味が染みていた。デリーなどの北インドではビリヤニは特別料理だが、ラホールでは薄口のビリヤニは日常食のようだ。細い道をしばらく進むとワジール・ハーンのモスクを見つける。赤い玄武岩の中庭がムガル帝国風だが、本殿の部分はイランのイスファファンで見たモスクを思わせる、直方体をミフラーブ状のくぼみで削ったようなデザイン。インドとイランが合わさっているような。このモスクはタイルの装飾が美しいので有名らしい。モスク自体はそれほど大きくはないし、参拝客もほとんどいない、修復も進んではいない。それでもタイルが美しく、そればかり何枚も写真を撮った。本殿の右奥では小さな子供達が身体をゆらしながらコーランを朗誦している。
c0008520_19154122.jpgモスクを出て、再び旧市街の通りを進む。自動車のタイヤの市場などを抜けると、いきなり城壁に出た。そこを抜けるにはラホールフォートの入場料、地元民なら10ルピー、外国人料金は200ルピーを払って、フォートの中を通る。旧市街の細い道と違い、フォートの中は広々とした公園のように緑が広がり、子供達がスポーツをしていた。フォートを抜け、更に城壁の門をくぐるとそこは前夜に来ていたマリクさんの家の目の前だった。その横にある、前夜にミナレットがライトアップされていたバードシャーヒー・マスジッドに入る。赤い玄武岩にタマネギ型のドーム。まるっきりデリーのジャマーマスジッドにそっくりだ。地球の歩き方によると、広い中庭は一辺が160mもあり、一度に10万人が礼拝出来るらしい。こちらのほうはさすがに参拝客が沢山来ていたが、タイルの装飾などは先ほどみたワジール・ハーンのモスクのほうが断然キレイだった。
c0008520_19164921.jpg昨夜も通った道に戻り、フードストリートに抜けると、さすがに昼間の通りはまだお客もいないし、レストランも開いていなかった。一角にあるレストラン兼ホテルの部屋を見せてもらう。三階から上の角部屋は全面ガラス張りで、目の前にバードシャーヒー・マスジッドが広がっている中、どうにも連れ込み宿っぽい作りだ。風呂場もガラス張り。ラブホテルかな? まあ女郎街だからね。通りに戻ると、スキンヘッドの小柄なオッサンに話しかけられる。有名なオシャレカフェCockco's Denのオーナーで画家のイクバル・フセインさんだった。彼の仕事場兼ギャラリーを見せてもらう。彼は女郎街で生まれ、女郎や娼婦達の生活を描いた西洋画を描き続け、近年は自宅の階上を改装したオシャレカフェを開き、成功したらしい。普段は一階で画を描き、夕方からはカフェでお客たちと話しているようだ。ギャラリーを見せてもらった後に屋上のカフェで昼食を取る。午後1時前でまだ、お昼にはちょっと早いらしく、先客は地域の警察官だけだった。旧市街を眺めながら、ハンディーという土鍋焼きのカレー、そしてビリヤニをいただいた。

c0008520_1918387.jpgリキシャに乗ってホテルに戻り、午後3時に宿からほど近い、ワーリス通りにあるサッチャルスタジオを訪ねる。今回のラホール訪問のハイライトの一つだ。
 ワーリス通りに入り、リキシャの運ちゃんが道端の人に聞くと、サッチャルスタジオか?とすぐに行き先を教えてくれた。
 新築の灰色のビル、入り口にはサッチャルと書かれている。三時にマジードさんと会う約束と、守衛に伝えると、すぐに中に通され、エレベータで三階に上り、そこから階段で二階に下り、スタジオのミキシングブースに通される。そこにマジードさん、そしてもう一人のプロデューサーのスーフィーさんがいた。
c0008520_19183244.jpg二人と挨拶を交わしたのち、ブースの一角のソファーに腰掛ける。たった今もレコーディングの最中なのだ。ミキサーの正面のレコーディングブースでチェロ奏者がヘッドフォンをしている。トラックが流れると、とあるラテンの有名曲。もしかしてサッチャル・ジャズの二枚目のアルバムを作っているのか? 彼らに聞く余裕もないままにレコーディングが進み、チェロの次はバーンスリー。サッチャル・ジャズの「イパネマの娘」や「デザフィナード」で流麗ながら欧米や日本の演奏家には絶対に思いつかないインド古典ならではの演奏を聴かせてくれたあのバーンスリー奏者が目の前で、誰もが知る有名曲のメロディーを吹き始めた。うわ〜、プロデューサーにインタビューするためだけに来たのに、まさか「サッチャル・ジャズ」のセカンドアルバムのレコーディングに出会えるとは思わなかった!
プロデューサー二人と、指揮者(take fiveのビデオにも登場する頭頂部ハゲで、後ろ髪が長いオッサン、名前失念)がバーンスリー奏者にパンジャービー語で細かい指示を与えつつ、演奏を作っていく。僕にはパンジャービー語は聞き取れないが、「ロマンス・ナヒーン」というのだけは聞き取れた。「ロマンスが足りない!」と言っていたのだろう。「サッチャル・ジャズ」のあの、リピートする度に全く異なる演奏はこういう、うるさ型オヤジたちの細かい指示によって生まれていたのだ!
c0008520_19192289.jpg一時間ほどレコーディング作業を行った後に、休憩となり、マジードさんとスーフィーさんにインタビューの時間が取れた。
 マジードさんはUK在住の成功したビジネスマンらしい、いかにも厳しそうな感じ。逆にスーフィーさんはラホール在住で、30年以上もテレビ局で働いてきた、人あたりの良いおじいさん。二人ともよく手入れされたブルージーンズを履いている。スラックスが重要なこの国で、ブルージーンズというのは某かの主張が込められているはずだ。
 インタビューの内容はテープ起こしした後に雑誌などで発表するつもりだが、ここでも少々書いておこう。
 
 マジードさん曰く「パキスタンの文化は80年代のソビエト政府のせい(アフガン侵攻やそれによるアフガン難民のパキスタン流入)で破壊されてしまった。現在、音楽は死につつある。インドと異なり、ここでは音楽家も演奏する場所を失ってしまった。一方、インドでは古典音楽はかつての音楽とは違う方向に進んでしまい、かつての演奏家たちは毎月のように亡くなっている。なので、私達は私たちの好きな音楽、聞きたい音楽を私達の手で作りあげるためこのスタジオを作った。スタジオはアビーロードスタジオの協力を得て、パキスタンで一番の機材を揃えた。もちろんラホールにもスタジオは存在していたが、ゴミのような録音はどう加工してもゴミのままだ。ここで素晴らしいクオリティーで録音したものはアビーロードに持って行っても驚かれるほどだ。
 近頃はワールドミュージックとして、アフリカ人の音楽家がシンセサイザーやエレキギターを使った音楽などが沢山生まれている。しかし、それではダメだ。やはり自分達の楽器を用いて、自分達の音楽を作り上げることが重要なのだ」
 
スーフィーさん「西洋楽器の演奏家と民俗楽器の演奏家が一緒に演奏すると、人々はそれをフュージョンと呼ぶ。私達の音楽はそんなレベルではない
マジードさん「1958年に私はラホールでデイヴ・ブルーベックの生演奏を聴いた。当時はアメリカが世界中に自国の文化を紹介するための音楽コンサートを世界中で開いていた。ラホールにも沢山のジャズの音楽家が来た。私はそこでブルーベックを聴いたが、実はその時は「take five」は演奏しなかった。というのもあの曲は59年に作られたから。「take five」はパキスタンでも当時から現代までずっと知られている曲だった」
 
c0008520_1920116.jpg40分ほどインタビューを終えた後、今度はリハーサルルームへ。「take five」のビデオに出てくる、あの白髪のギタリストが、あのタブラ奏者が、その場に集まっていた! そして、別のとある有名曲のリハーサルを行っていた。あの指揮者のオッチャンが各人の演奏に細かい指示を出し、タブラ奏者はドーラクなどのパーカッション奏者たちとリズムセッションを詰めていく。ハルモニウム奏者はそれを楽譜に記していく。それをマジードさんとスーフィーさんが遠目に見ながら指示を出していく。
 セカンドアルバムのためのリハーサルなのかと思っていたら、実は4月中旬にロンドンで行われるロンドン五輪のオープニングイベントの一つにサッチャル・ステュディオズ・オーケストラのコンサートが予定され、そのためのリハーサルも兼ねているらしい。4月中旬にロンドンにいる予定の方は是非見に行くべきだ!
 
c0008520_19203710.jpgリハーサルをしばらく見て、そろそろお暇しようと思っていると、スーフィーさんがサッチャルのロゴの入ったマグカップと、これまでのサッチャルの作品を一つに集めたCDボックスを用意してくれ、ラホールにいる間はいつでも遊びに来てくれと言う。ありがたく頂戴し、5時過ぎにサッチャルを後にする。
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# by salamunagami | 2012-03-02 19:21 | エキゾ旅行  

2.27 Mon. Islamabad to Lahore

c0008520_18471571.jpg2月27日月曜 イスラマバードからラホールへ

今日は一日かけてバス移動。イスラマバード〜ラーワルピンディーでは夜間の寒さ、部屋の寒さに凍えた。ラホールは300kmほど南東で、しかも標高も300mほど下がる。寒くないことを祈ろう。
8時半に朝食を取り、部屋に戻り、日記を書き、写真データのバックアップを取っていると、もう10時半。荷物をまとめ、11時半にチェックアウト。
タクシーに乗り、ラーワルピンディーのダーウーバスのターミナルへ。街道筋のいかにもな長距離バス乗り場。タクシーの屋根から荷物を下ろそうとすると、勝手に手伝って反対側に下ろしているガキがいる。邪魔するな!
村山先生が予約したチケットを取りに行っている間、僕はゆりこと荷物番。すると、寄ってくるわ寄ってくるわ次々に、ディープな物乞いやタクシー運ちゃん、そして道の駅ならではのキッツイ奴らが。5分ほどの間に何人に話しかけられただろう。
村山先生が戻ってきて、ターミナルの中に入ると、さすがダーウー。トイレもそこそこキレイだし、水道からはお湯も出る。待合室もきれいだ。
荷物をトランクに預け、番号札をもらい、車内に入ると、乗客全員が座った頃に、ビデオカメラを片手にした従業員が入ってきて、お客一人一人の顔を撮影する。テロ防止なのだろう。バスに乗り込む際も金属探知機とボディーチェックを受けた。12時半の定時にバスは出発する。車掌さんはなんと若い女性。しかもM.I.A.似の超美人。マイクを片手に道筋を案内するが音声には見事にエコーがかかっている。案内の後、軽食パックとミネラルウォーター、そしてソフトドリンクまで付いて、車内は快適だ。
ラーワルピンディーの埃っぽい道を抜けしばらく行くと、いきなり山道を下り始める。途中から急なつづら折りになり、高速道路なのに制限速度が30km、落石注意なんて看板もある。乗り込んだ途端に冷房がかかって、なんでこんなに寒いのに冷房が必要なんだ!と思っていたが、山道でエアコンを切ると、強い日差しのせいで急激に車内が暑くなった。冷房が必要なんだ!
車内では大型液晶テレビからテレビ番組が流れ、立派なヘッドフォンが配られる。
c0008520_18483031.jpgテレビは面白くないので他のチャンネルを選ぶと、最新のボリウッド音楽チャンネルがあった。そこを聴いていると、「Oh lala Oh lala」や「Desi Boyz」のトランス四つ打ちなど、僕がDJでかけている曲とだいぶ重なっていた。オレったら、東京のオシャレなクラブでこんな長距離バスのBGMと同じ選曲してるのか? ダサすぎないか?
左右にはげ山が広がる風景は去年のモロッコ、数年前のイエメン旅行を思い出す。オレたちは毎年こんな乾燥した場所ばかり来ている気がする。山道を二時間かけて降りきり、ドライブインに入る。ジャイプール〜デリー間のドライブインと同じようにそこそこ清潔だ。軽食のサンドイッチとチャーイをいただく。
c0008520_18462198.jpgそこから先は平坦な平野が広がっていて、両側に芥子菜やオレンジの畑が延々と続く。インドのラージャスターンと同じような農村地。しかし、インドと比べて人口密度が低い。集落にはなかなかぶつからない。ボリウッド音楽チャンネルもさすがに飽きてきたので、iphoneでシャッフルして音楽を聞くと、やはりボリウッドが鳴り出した。なにダサイもの聴いているんだ、オレ。
平野を二時間ひたすら走り、途中、子供とお姉ちゃんがトイレに行きたいというので無為に30分ほどロスして、定刻の5時を30分過ぎた、5時半にラホールのダーウーバスステーション到着。バス停を一歩外に出ると、そこからはパンジャービーの暑苦しいガイたちがタクシーやリキシャはどうか?と話しかけてくる。
イスラマバード〜ラーワルピンディーでは中国〜モンゴル〜中央アジア系の顔や、アフガン〜パシュトゥーン系の顔の人達がずいぶん目立ったが、ラホールはこれまで慣れ親しんだインド人、パンジャービーの顔だ。頭にターバンを巻いたらそのままシク教徒になりそうな丸顔。しかも腹がもうれつにでっぷり出ている。タクシーに乗り込み、マウル通りの動物園や州議会近くのHotel Indusに向かう。ここも村山先生の常宿だ。タクシーで市内に入るとラホールは大都市で交通渋滞もヒドイ。ジャイプールよりも巨大。チェンナイくらいの規模がありそうだ。ラホールはパキスタン第二の都市。一番大きな町は南のカラチとのこと。今回は行けないけれど。
c0008520_18495433.jpgHotel Indusは新市街のかつての中心地にあり、隣が本屋だったり、洋服やなども並んでいて、活気ある場所だ。今朝までのイスラマバードの空港ホテルとは正反対だ。
ホテルの部屋を見せてもらうと、三階の角部屋があてがわれた。昼間も明るそうだし、ネットもかろうじて繋がる。そして作業用の机もある。ACも5カ所ある。大きなホテルなので、浴槽まであって、数日ぶりに風呂に入れる。これは良い宿だ。荷物を運び入れ、部屋で一休み。
隣の本屋で僕は料理の本、ゆりこは女性文化の本を買い、夕方6時に村山先生の友人、JICAで識字教育を指導している女性大橋さん、彼女の同僚のアビッドさんと待ち合わせる。
二人ともとてもきさくな方で、車に乗り、二ヶ月前に開いたばかりというフードストリートに行く間、こちらの調査取材の内容を伝えると、アビッドさんが幾つかアレンジしてくれると言う。
c0008520_18503526.jpgフードストリートは旧市街の城壁の外側にあったかつての女郎街ヒーラマンディルの一角を改装して、全く新しくオシャレな野外レストラン街に作り替えた場所。女郎街の真ん中に車を停め、その通りに入るにはゲートがあり、不審者ははいれないようになっている。通りにはBBQ(炭火焼き屋)を中心にパキスタン料理店が何軒も並び、その間にはギャラリーや骨董品店、カフェや改装したプチホテルなどがある。旧市街の城壁とジャマーマスジッド(モスク)がライトアップされ、その風景を見ながら野外で食事が出来るのだ。マラケシュのジャマエルフナ広場の屋台を高級店に置き換えたような感じ。イスタンブールの魚レストラン街クムカプにも似ているが、おちらは肉ばかりだけど。こんなオシャレな通りがラホールにあるとは想像もしてなかった。日本を出る前に、友人たちからラホールは北斗の拳みたいな町と聞かされていたのに(笑)! 昔読んだバックパック旅行本にはラホールの泥棒宿、忍者屋敷宿の話、日本人男性たちが屈強なガイたちに強姦される話などばかりが載っていたのだ。今もラホールの安宿街に泊まれば、そういう大時代的なストーリーが展開されているのかもしれないが、一方でこのフードストリートのような地元の中産階級の憩いの場も少しずつ生まれつつある。
c0008520_18511342.jpg空いている席を見つけ、5人で腰掛けると、アビッドさんの友人で、旧市街の中に住んでいるというマリックさんが現れた。彼は建築家で、日本にも大学での講演のため6回も来ているという。
頼んだのはBBQ類。まずはチキンのシシケバブ、そしてチキンの挽肉をまとめたシクケバブ、そしてタカタカという僕の出身高校と同じ名前の付いたカレー系の料理、そしてマトンのリブ1kg! さらにカシミーリーカレーのようにクリーミーなハリードというパンジャービー料理。ナンも黒ごま、白ごまが載っていて、トルコやシリアのナンを思い出す。
肉がゲキウマだ! 鶏肉もジューシー、なによりもマサラ味にマリネして柔らかくしたマトンのリブが肉肉しすぎる。外はカリカリだが、中はまだ血がしたたっていて、肉を愛する者は全員マスト。僕一人で1kgは食べられるな。
タカタカというのは、鉄板の上で、包丁を使って素材をタカタカと音を立てながら切り刻み炒めるカレー。ラムチョップがたっぷり使われていたが、グレービーが辛すぎて僕は苦手だった。
両手を肉の脂でギトギトにしながらたっぷりの肉をいただく。
c0008520_18514444.jpg食後はマリクさんの家に伺う。城壁の門をくぐると目の前にラホールの城塞があり、その前にかつてヌスラット・ファテー・アリー・ハーンも公演を行ったという中庭と野外講堂が広がっている。マリクさんの自宅はなんと城壁の門の中にあった。広い芝生でお茶をいただき、階上に上ると、目の前にラホール城塞や城壁がライトアップされて見える。うわ〜、すごい所に住んでいるなあ。京都の碁盤の目の中に住んでいるのと同じだ。途中からもう一人、セーターとパジャマ姿のオッチャンが現れたので、小間使いか何かと思っていたら、やはり近くに住んでいる博物館の院長まで務めた考古学者とのこと。自宅自体も歴史的建造物だが、彼らの仕事もこの旧市街〜城塞都市の研究保存で、最近になって夜間のライトアップを始めたのもマリクさんの仕事らしい。
お茶の他に大麦を使ったハルワをいただいた。パキスタンのお菓子はインドより砂糖が少ないので、日本人にも食べやすい。しばらく話をしていて、そろそろ疲れてきたなと思った瞬間、みんなもそれを察したのか、「さてそろそろ帰ろう」と立ち上がった。お酒がないせいか、ダラダラと続くこともないようだ。
c0008520_1856269.jpgライトアップされたラホールフォートとモスクのミナレットの向こう側に三日月が浮かんでいる。アビッドさんの車に戻り、まだまだ活気ある旧市街からホテルまで送ってもらう。11時に部屋に戻る。
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# by salamunagami | 2012-03-02 18:53 | エキゾ旅行  

2.29 若山ゆりこ「スウィート・モロッコ」発売!

c0008520_2231741.jpg妻の若山ゆりこも僕の本から二週間遅れの2月29日に新刊をリリースします。詳しくはウェブサイトやfacebookページもご覧下さい。

スウィート・モロッコ ~sweet morocco~
若山 ゆりこ 著

甘くて不思議な楽園モロッコを存分に楽しむエキゾチックな旅絵本!

アフリカ大陸の北西、先住民ベルベル人の文化やサハラ文化、豊穣なアラブの文化、そして洗練されたヨーロッパの文化が混じり合うミステリー・ランド、モロッコ。

日本でもすっかりおなじみとなったタジン鍋やエキゾチックな雑貨やインテリアによっても、ここ数年急速に注目を集めています。

穏やかで抜けるように青い地中海と、丘に連なる真っ白に塗られた家々が印象的な港町タンジェ。世界最大の迷路のようなメディナ(旧市街)のある古都フェズ。そしてピンクに彩られた魅惑的な都市マラケシュ。
険しいアトラス山脈を越えてさらに奥地へ進めば、広大なサハラの風景が広がります。めまぐるしく変わるダイナミックな自然と映画のワンシーンのようにエキゾチックな風景が、多くの旅人を魅了してきました。

また、イスラムの由緒ある伝統と豊かな自然の中で育まれた独自の文化も特筆すべきもの。目眩がするほど細かなモザイク、伝統職人が意匠を凝らしたインテリアの美しさは古くからヨーロッパの芸術家を虜にしてきました。そして、スパイスやドライフルーツ、オレンジやローズ・エッセンスをふんだんに使った快楽的な料理の数々。山を越えればリズムが変わると言われる豊かな音楽や、女性達の間で伝えられてきた伝統的な美容法や化粧品の数々も見逃せません。

「スウィート・モロッコ」はこの魅惑的な国モロッコをぐるりと一周しながら、そうした文化と個性的な街について、沢山のイラストと写真、文章でじっくりと書き綴りました。モロッコのバラエティーに富む風物、そして、そこで楽しめる様々な出来事を紹介しています。この本でモロッコのイメージが広がります!


内容
第一章 赤いモロッコ~マラケシュ
モロッコで人気No.1の麗しき赤い都、マラケシュ。かわいいモロッコ雑貨が溢れるスークを歩き、ジャマ・エル・フナ広場の屋台でモロッコ人と一緒にカバブに舌鼓をうち、古い邸宅を改築した民宿リヤドで時を忘れる。快楽的モロッコ案内。

第二章 いにしえのモロッコ~フェズ
アリの巣のように路地が入り組んだメディナ(旧市街)が広がる迷宮都市、フェズ。モロッコで一番古い王都でもあり、古くから芸術や文化の中心地でもありました。このマラケシュとはひと味違う、古きモロッコの香りが漂う街の迷路を、ひたすら歩き回ったメディナ案内。

第三章 砂漠のモロッコ~メルズーガ、ザゴラ
アトラス山脈を越えると、そこは南部モロッコの別世界。広がる。岩肌がむき出しになった山々、木一つない広大な乾いた大地、時折点在するオアシスの村、カスバ街道、そしてオレンジ色に輝くサハラ砂漠。荒々しくも魅力的な砂漠のモロッコ案内。

第四章 音のモロッコ~エッサウイラ
マラケシュから車で西へ3時間、大西洋岸の小さなアーティスト・タウン、エッサウィラ。音楽家や画家達が多く住み、伸びやかで自由な空気に満ちた街の魅力を、毎年6月に開催される音楽祭「グナワ・フェスティバル」の様子を交えながら、書き綴ります。

第五章 海のモロッコ~タンジェ、ラバト
100年前には国際都市として繁栄し、名だたる芸術家達を惹きつけてきた地中海の魔都タンジェ。今やその面影は薄れたものの、ひとたび街を歩けばかつての栄華を彷彿とさせるアウトサイダーな残り香が漂ってきます。数々の伝説に想いをはせながら歩く、タンジェ巡礼。

書名:スウィート・モロッコ
著者:若山 ゆりこ 
定価:1470円(税込)
発売日:2012年2月29日
ISBN-10: 477780934X
ISBN-13: 978-477780934949
発行・発売 辰巳出版
〒160-0022 東京都新宿区新宿2丁目15番14号 辰巳ビル
電話 03-5360-8088(大代表) FAX 03-5360-8951
http://www.tg-net.co.jp/

スウィート・モロッコのウェブページ
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# by salamunagami | 2012-02-29 00:00 | 21世紀中東音楽ジャーナル  

2.26 Sun. Islamabad 2nd.Day

c0008520_15154130.jpg2月26日 日曜
イスラマバードで些事に追われる

朝7時に起き、シャワーを浴び、8時半に朝食を取り、メールをチェックすると、妻あてに大至急の原稿直しのメールが届いていて、しかも9000文字のテープ起こし原文を人に見せられるものに仕上げるという、普段なら一日がかりの仕事。しかも妻のプロモーションのためなので無料。面倒だが、これを終わらせないと、原文ママのテープ起こしが表に出てしまうので、送ってくれた人には悪いが、僕の手で応急処置を行う。途中、二度の停電を挟み、もちろんネットも遮断されながら、4時間かけて、6000文字程度のインタビュー原稿に直す。それだけで午前中は終わってしまい、日記も写真の整理も出来ず。
その間に、妻が前日に買った服を着て、ホテルのロビー前でファッションショー。写真をfacebookにアップして、欲しい人を募ってみようと妻が提案したので、その場でやってみるが、facebookのリンクが上手くはれず、限られた人にしか届かなかったようだ。それでも1時間で三人から注文が入った。
c0008520_15153984.jpg原稿を終了し、午後1時半に村山先生と三人でラーワルピンディーへ。リヤーカットパーク近くのチャイナマルケットという庶民的なエリアの一角、中華料理と漢字で書いてあるけど、実はウイグル料理屋に入る。日本人と見ると、メニューを裏返す。8種類ほどのメニュー、一番上はspaghettiと書かれていた。次がspecial spaghetti。その他manti、chinese riseなど。マントゥ以外なんのことだかわからないので、メニューを裏返して、ウイグル文字のほうを読むと、上からラグメン、なんとかラグメン、マントゥ、ショルバなどと書かれている。そこでラグメン、スペシャルラグメン、ショルバ、チャイニーズライスを頼んだ。マントゥは30分以上かかるらしい。それは正しい。僕も自宅でマントゥを作るなら、お客に手伝ってもらわないと作れないから。
c0008520_15153959.jpgまず最初に運ばれてきたのはチャイニーズライス。チャーハンみたいのを想像していたら、羊肉とインゲンとピーマンのピリ辛炒め煮をぶっかけた長粒米のご飯だった。これは野菜が多くて食べやすい。次にラグメンとスペシャルラグメン。何が違うって、西新宿のウイグル料理店タリムと同じく、ノーマルなラグメンは最初からピリ辛煮がぶっかけてあり、きしめんのような味。スペシャルラグメンは全部の麺が一本に繋がっていて、口の中でもプリプリとかみ切れないほど腰が強い。ノーマルなラグメンでも美味いのだが、一度スペシャルを食べてしまうと、もう元には戻れない。上にかかっているピリ辛煮はライスもラグメンも一緒なので、味は単調だが、羊肉にこだわっているのだろうか、柔らかく出汁もしっかり出ている。
最後に運ばれてきたのは羊のスープ。これは日本の牛タン屋で出てくる牛テイルスープをそのままマトンと香菜に置き換えたような澄んだスープ。これは滋味あふれる感じ。落ち着く味だ。四品で760ルピー。700円ほどか。
c0008520_1515366.jpgお店を出て、サダルまでオートリキシャに乗り、昨日に続いて両替商のビルへ。ビルの前にはショートバレルでサブグリップ仕様に改造したAKカラシニコフで武装したヒゲのガイがいて、写真を撮ってくれと頼まれた。
両替を済ませ、前日に寄ったサダルの女性服屋に入る。ゆりこは前日と同じ店員に対応してもらい、服を選ぶが、欲しい服にかぎってMサイズが品切れしていて、二着しか買えず。
サダルの路上には日曜午後定例の野外古本商が出ていて、ウルドゥー語、英語の本を並べている。僕はそこで二人と別れ、一人だけでホテルに戻る。ちょっと疲れていたのと、午前中に日記が書けなかったので、町歩きより自分の仕事を優先したのだ。昨日のことは忘れないうちに書いておかないと、必ず忘れてしまう。
村山先生がタクシーの運ちゃんにホテルまでの道を教えるが、この運ちゃんは文盲で、ホテルのカードを渡しても、読めない、読めないと言うだけ。
c0008520_15192386.jpgホテルは空港の近くだが、進行方向の右側なので、Uターンする角がどこだか、僕もあまり覚えていなかった。「アゲ、アゲ」まっすぐ、まっすぐと繰り返し伝えているうちに、町外れまで行ってしまった。行きすぎたようだ。近くを歩いている若者をつかまえ、ホテルのカードを見せるとUターンして戻れと言う。Uターンして戻っても、なかなかホテルが見えずに、運ちゃんは「ペトロールが高い、お前がアゲ、アゲ言ったからこうなる」などとグダグダウルサイ。「いいから黙ってろ! 携帯で電話してくれ」と頼むが、ケチで携帯も使ってくれない。そこで再び道を歩いているアニキに聞くと、まだ先と言われ、運ちゃんの文句をウダウダと繰り返している。まあ、僕の日本の携帯からホテルに電話すれば良いだけのことだが、それだけでタクシー料金以上のお金がかかるし。見つかるまで、道を歩いている人に聞けばいいや。そう思い、しばらく戻ると目の前にホテルが現れた。ふ〜、お疲れ様。運ちゃんは何か文句を言い続けているが、約束の200ルピーに加えて、更に100ルピーを足し、肩を押さえながら相手の目を見て、覚えたてのウルドゥー語で「神は今、お前を見ているぞ! Aaj, Khudaa dekh rahe hain!」とゆっくり三回言うと、「フダー・デーク・ラヘー・ヘン」と小声で口にしてやっとだまりこんだ。
フ〜、別にたいしたことではないが、この旅慣れた百戦錬磨のはずのオレ様でも迷ってしまい、しかもローカルの携帯電話が持てない(数年前にムンバイで起きたテロで、外国人がパキスタン国内で買ったSIM携帯が使われて以降、外国人旅行者は現地のSIMを買えなくなった)から、連絡にも困るのだから、やはりパキスタン手強い。まあ色々裏技はあるらしいが、外国人がSIMを買えない国なんて初めてだ。
ホテルに戻ると、定時の計画停電で、部屋は真っ暗。今回泊まっている宿shelton hotel、村山先生の部屋や両隣の部屋は光が差して明るくて室温も高いのだが、僕達の部屋だけは北向きで、窓の外にはマルセル・デュシャンの「泉」は放置されているわ(僕のfacebookやtwitterを見てくれ)、床は僕の嫌いなカーペット張りだわ、ちょっと居心地は良くない。初日に部屋を換えてくれと妻が頼んだのだが、結婚式で週末いっぱいフルだったのだ。
同じホテルでも部屋の状態によって、受ける印象はガラっと変わる。だからこの宿が悪いというわけではない。従業員はインドと比べると勤勉で、馴れ馴れしくもないし、wifiも繋がるし。オススメ出来るホテルである。なので今後泊まられる方は、部屋は幾つか見せてもらうと良いだろう。

停電中の部屋で夕方まで休み、日記を書き、停電とインターネットが戻ってから日本とメールのやりとりをしていると、6時半にゆりこ達が戻ってきた。町で一番大きな市場に行ってきたようだ。お土産のバングルなどを見せてもらう。僕は一休みしていて良かった。
夕方から急に気温が下がる。股引でも持ってくれば良かったと思うほど。

c0008520_15153997.jpg夜9時半に、村山先生の友人で、3月のバダル・アリー・ハーンの招聘にもマネージャーとして同行するアトハルさんの自宅に伺う。アトハルさんの車に乗り、ホテルの近くから丘陵を登ると、彼の家は本当に丘陵の一番上にあった。ガレージには自動車が三台、敷地は200mくらいで三階建てか? 二階の玄関を入ると、コンピューター関係の仕事をしているという長男が迎え入れてくれた。応接間は30畳くらい、そこにパキスタン各地の民芸品が陳列され、小さな博物館のようだ。パンジャービードレスの奥さんが挨拶に現れ、村山先生と再会を祝す。
応接間の奥がダイニングになっていて料理が並んでいる。パンジャービーの家庭料理は初めてなのだ。まずパンジャーブの名物である芥子菜(サーグ)とバターをたっぷり使ったカレー。日本のカレー屋でほうれん草のカレーがあるが、あれを芥子菜に換え、たっぷりの水牛のバターをちらしたもの。これはレストランではなかなか食べられないものらしい。そして川魚のフライ。カレー味の衣を付けて、ディープフライしたものだ。そして一番美味しかったのはチキンとヨーグルトのカレー。とてもシンプルで、さらさらとしていて、カレー味のチキンスープみたいな味だ。地鶏ならではの濃い味がする。アトハルさんは料理もするらしく、レシピを伺った。
材料は鶏まるごと、ヨーグルト、タマネギ、青唐辛子、トマト、すり下ろしたニンニクとショウガ。スパイスはターメリック、カイエンヌペッパー、クミンパウダーだけ。随分シンプルな作りだ。インドのような複雑なスパイスの組み合わせはしないようだ。
この他バスマティライスとロティー、たくさんの種類を使った野菜サラダと、温野菜、そしてトゥルシーがたっぷり出てきた。美味しいのでついつい食べ過ぎてしまうが、サーグのバター以外はさっぱりしている。
食後は応接間に戻ると、お子さんたちが三人現れた。次男はイスラマバードの大学にこれから通い、ソフトエンジニアになりたいとのこと。長女は婚約中で、結婚式に招待された。せっかくなので家族全員の写真を撮らせてもらう。そしてきりの良い所でお暇する。
宿まで車で送ってもらい、宿に戻ると、村山先生が「これでイスラマバードの仕事は全て終わりました」と口にする。バダル・アリー・ハーンたちの日本への渡航ビザの問題もなんとか解決しそうだ。アトハルさんは一月後の春分の頃、東京で再会する。
11時前に部屋に戻った。今日は疲れた。冷たい乾燥した空気、しかも埃と排気ガスが混ざっている空気を吸い込み続けたせいで、喉が腫れてしまった。念のため炎症を抑える薬と葛根湯を飲み、ホッカイロを下着に貼って11時半には寝る。部屋が暗いとヒゲ剃りも面倒になる。シャワーに一日くらい入らなくても良いだろう。
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# by salamunagami | 2012-02-27 14:50 | エキゾ旅行  

2.25 Sat. 1st day in Islamabad, Pakistan

c0008520_23203120.jpg2月25日土曜 イスラマバード初日

睡眠薬を半錠飲んだにもかかわらず、6時過ぎには目を覚ましてしまう。日本との時差は4時間。日本は朝の10時だから仕方ない。
シャワーを浴び、洗濯を済ませ、朝食。青唐辛子の入ったオムレツはインドと同じだが、食パンはインドのものより日本の食パンにちょっと近いかな。
10時にジャーヴェードさんが車で迎えに来た。車に乗ってまずはラーワルピンディーのサダル地区近くの両替所ビルに。円とのレートは1.11で、1万円を換えると、11100ルピーが来た。日本円とほぼ同じなので扱いやすい。
c0008520_2323058.jpgジャーヴェードさんと一旦別れ、サダル地区を歩く。まず店頭で沢山のコンロで何やら揚げ物を揚げている店を発見。近寄ると、見ていけ!とアニキに話しかけられたので、料理の様子を写真に撮らせてもらう。ただ、まだ午前10時半なので、お昼の下準備の段階だった。
サダルを歩いていて、ゆりこが若い女性向けのシャルワールカミーズの店を見つけ、色々と試着して三着買う。サダルにはインド映画専門の映画館もあり、公開されていたのは、ボリウッド映画「PLAYERS」だった。
朝は寒いが、日が差してくると途端に日差しが痛いほどになる。ラーワルピンディーは高原のような気候だ。
サダルを一回り歩き、路肩のカフェでカシミール・チャーイをいただく。ピンク色をしたチャーイは紅茶というより、イチゴミルクのような味だった。
歩き疲れたので、サダルの一角にあるジャーヴェードさんの事務所を訪ねると、ちょうどお昼時で、一緒しようと言われ、目の前にあったビリヤニ屋から出前を取ってもらう。
パキスタンに着いて初めてのパキスタン料理。グリーンピースのカレーと、ひよこ豆のカレー、チキンコルマカレー、そしてビリヤニとライタ。チャパティーではなくナーンのようなタイプのパンと、ビリヤニは層にして炊き込むタイプだった。下町の食堂ならではの庶民的な味だがなかなかに美味い。
c0008520_2325197.jpg昼食後はタクシーに乗り、イスラマバードのスーペル地区へ。20kmの直線道路ずっとまっすぐ行くと、ゼロポイントという政治都市イスラマバードの入り口に到着! それから先は道路の舗装状態が突然良くなった。住宅地もデリー南部みたいに閑静だ。イスラマバードは独立時に建立された新たな政治都市だけに、町は碁盤の目状のブロックに分けられている。目的地はスーペル地区、隣はジンナー地区。スーペル地区のスーペルマルケットは、デリーのカーン・マーケットを二回りくらい大きくしたような個人商店中心の商店街。ビルはまだ新しいようで、路面の一階だけは店が入っていて、上の階は工事すら途中で投げ出されている状態のビルも多い。そこで妻と村山先生はカシミアや布の店に入る。妻はカシミアのポンチョとミラーワークのスカートを見つけ、交渉を始める。村山先生もイカットのような伝統的な織物の布を買う。妻の相手をしていた若い店員はiphone4を自慢げに掌でなで回している。値段を聞くと、65000ルピーとのこと。物価が安いパキスタンなのに、携帯にはそれだけ払うのか。お土産屋のアニキが。日本ではiphone4は幾らする?と聞かれたので、基本的に無料だよ。でも二年間の高い契約をさせられるから、毎月高いと答えると、では、日本でiphoneを手に入れて、パキスタンで売れば儲かるね。と言われる。日本の中古車市場はパキスタン人勢力が強いというし、二年おちのiphone3が今後はパキスタンに流れるかもしれないね。
村山先生に案内され、次は大きめのCD&DVD屋へ。インドのチェーン店planet Mとほぼ似た店作りで、欧米のロックやポップ音楽もあり、試聴機などもきちんと並んでいて、ベスト10コーナーなんかも作っている。ハリウッド映画のDVD、ボリウッド映画のDVDもある。ただ、Planet Mや日本のタワーやHMVとの違いは、ほとんど全ての商品が海賊盤CDRおよびDVDRということ。
僕はこれまで音楽ソフト業界で二十年以上も働いてきたので、出来る限り海賊盤には手を出さないようにしてきた。僕達がCDを買って支えることで、音楽アーティストたちに貢献出来ると勝手ながら思ってきた。しかし、ここ数年でそうした20世紀型のシステムは根底から崩れつつある。そして、このところ、面白い音楽の多くは著作権のグレーなゾーンから生まれてきていることも確かだ。パキスタンの音楽ソフトの歴史は知らないのだが、現在の状況をかいま見る限り、著作権が崩れるも何も、最初から海賊盤しかなく、そんなものは存在しないとしか思えない。
これが、隣の国、インドに行くと、現在のボリウッド映画音楽は、元々海賊盤コピーカセットのバッタもの屋からスタートしたT-Seriesの独断場となっている。もちろん今も海賊盤は存在するが、正規盤より少し安いだけで、品質も悪い。それにゴアやプシュカルのような観光地、またはローカルの市場くらいでしか目にしない。
そのお店では海賊盤でしか手に入らないようなカウワーリーやパンジャービー音楽のCDとDVDRを20数枚買って、全部で3450ルピー。
c0008520_23331573.jpgCDショップを出て、スーペル地区を歩いていると、目の前にBUKHARAというアフガン系の土産物屋を発見し、中に入るとその店の店主は村山先生の留学時代の友人で、アフガン系のアジーズだった。なんたる偶然、十数年の再会だという。そこでチャーイを飲むかと言われたので、もうお茶は飲み過ぎたとことわると、緑茶はどうだ?と言われる。パキスタン北部では砂糖無しの緑茶を飲むのだ。中国との国境も近いせいだろうか? たっぷり牛乳と砂糖の入ったチャーイは続けて3杯も飲むと、もうお腹にもたれるが、緑茶なら何杯でもいける。
緑茶をいただき、十数年ぶりの話に花を咲かせている二人を横に、妻がアフガニスタンやトゥルキスタンの骨董指輪を探して、色々と試しているうちに、僕のほうが、猛烈な目の模様の入った灰色の巨大な瑪瑙の指輪を見つけてしまった。しかも左手の中指にちょうど良いサイズ。聞くと、アジーズのお父さんがアフガニスタンの王族の家から買ったという。どこまでホントかわからないが、見た瞬間にこれしかない!と思える指輪が、指にちょうど良いサイズだった時は今までの経験から言って、買うしかない。今回は右手の中指に98年にイスタンブールのアフガニスタン系のお店で買ったテュルクメニスタン製の赤瑪瑙の骨董指輪と、薬指にジャイプルの銀の指輪、左手の薬指に今度は2006年にイスタンブールのアフガニスタン系のお店で買ったテュルクメニスタン製のトルコ石の指輪をして、パキスタンに来た。着いた翌日早々にそれらの指輪三つをまとめてくれる新たなリーダーのような指輪に出会えたんだから、買うしかない。
妻が白い透明なエメラルドの指輪を気に入ったようなので、二つ買ってまけてもらった。
5時半に再び歩き疲れたので近くのビルの二階にあるおしゃれそうなカフェに入る。ちょうど停電の時間で、店内は暗かったが、問題はない。チャーイやコーラなどは飲み飽きたので、メニューにあったコーヒーを頼んだら、見事にインスタントコーヒーだった。現在のインドではインド版のスタバと呼びたい、コーヒーデイズやバリスタがたいていの町にあるが、パキスタンにはまだ入ってきていないようだ。美味いコーヒーはインドまでお預けかあ〜。まあ緑茶があれば問題ないか。
c0008520_23313247.jpg6時過ぎにタクシーに乗り、今夜のコンサート会場Kucch Khaasへ向かう。田園調布とは言わないが、丘陵地帯に豪邸がならぶ一角にKucch Khaasはあった。700ルピーを払い、個人情報を記入し、中に入るとオシャレなカフェとベーカリーが併設されていた。ここは芸術・文化保護研究所Institute for Preservation of Art and Culture (IPAC)が主催している場所らしい。エジプトでもイエメンでもモロッコでも世界中でこういう場所にたどり着いているなあ。中に入ると、白塗りのおしゃれな建物の中に40人ほど床座り出来るスペースと、その前にステージがあり、初老のタブラー奏者と歌手がサウンドチェックを行っている。一足先に入った村山先生はさっそく、彼らに話しかけて、ビデオ撮影の了承を得ている。
c0008520_23361877.jpg今夜のコンサートはジャーヴェイド・トゥファイル・ニヤーズィー Javaid Tufail Niaziという歌手とムハンマド・アジュマル Muhammad Ajmalというタブラー奏者。しかも、何とブーレーシャーやアミール・フスロー、シャー・フセインのスーフィー作品を中心に歌うというプログラムだ。なんという幸運、なんという偶然! 知っての通り、僕と村山先生は故野上フミヤ君たちとスーフィー音楽の研究会「聖者の宮廷考」をずっと続けてきたのだ。この会場、普段は古典音楽や軽古典音楽が中心とのことだ。なのに僕達が来た夜にかぎってスーフィー音楽とは!
7時になると、会場が20人ほどのお客が入ってきた。こちらに住んでいるとおぼしき中年の白人女性たち、パキスタン人の中年男性女性、そして最前列は二人のミュージシャンの親族や弟子だろうか?学生くらいの年頃だ。
ジャーヴェイド・トゥファイル・ニヤーズィーはパンジャーブの民謡歌手らしい。僕も初めて聞いたが、パンジャーブの民謡は民謡らしい、キャッチーな旋律を持っているが、北インド古典からの影響が強い。ちょうどラーガの後に演奏する「ドゥン」みたいな感じだ。5拍子や7拍子の歌も多い。最初のうちは盛り上がった瞬間にもう終わってしまう短い曲をどう感じていいかわからなかったが、後半になるに従い、お客との距離もさらに縮まり、しかもブーレーシャーの「bulla ki jaana」など僕の知っている歌まで飛び出し、熱くなってきた。そして終盤にはジャーヴェイド・トゥファイル・ニヤーズィーの父親が大ヒットさせた、パンジャーブ人なら誰もが知っているという歌を歌い、会場は拍手に包まれた。110分くらいで10曲くらい歌ってくれただろうか。僕も最前列でビデオと写真を撮らせてもらったので、日本に帰ってからも皆さんに紹介出来る。
終了後はジャーヴェイド・トゥファイル・ニヤーズィーの息子さんたちと少し話し、外に出ると、タクシーがなかなか見つからず、10分ばかり立ち往生した。イスラマバードの夜は寒いなあ。
c0008520_021574.jpg9時すぎにタクシーに乗り、ジンナー地区のスーペルマルケットにあるアフガニスタン料理店Kabul Restaurantへ。ここは羊のシシケバブ炭火焼きで有名な店。ケバブ二人前とチキンのスープ、マントゥ、ピラフ、ヨーグルトを頼む。寒い身体にチキンの澄んだスープがとても優しい。続いてはマントゥが運ばれてきた。トルコのマントゥとは大違いで、ウイグルのマントゥに近い。一つの大きさはふつうの餃子の2個分くらいで、中国の饅頭に近い。中に入っているのは羊肉とトマトのミートソース。そこにたっぷりのヨーグルトをかけていただく。これも最高に美味い。そしてとどめがケバブだった。二人前でなんと24本も運ばれてきたのだ。一本のケバブが70~80gくらいだと思う。24本で少なく見積もっても1.7kg、これを三人で割ると一人あたま600g近い。先週、郡山のdommune fukushima に出演し、その打ち上げが街道筋のびっくりドンキーだった。大の大人が7人も揃いも揃って、300gの巨大ハンバーグを頼んだのだ。しかし、今夜はその更に2倍の量の羊肉だ! もちろん味は段違い!
シンプルなハーブと塩味が中までしっかりとしみこんでいて、激ウマ。肉の質もなかなかのもの。しかしながら、毎月一回はシュラスコで20切れくらい食べているハードコア・ノンヴェジタリアンの僕でも、全部は食べきれず、7本を余らせてお土産にしてもらった。食後に緑茶を飲み、精算すると、全部で1995ルピー。2000円以下! これは安い! イスラマバードを訪れるなら、是非この店には行って下さい。シュラスコ好きにはたまらないですよ。
ジンナー地区を腹ごなしに少し歩き、タクシーで宿に戻る。20kmのまっすぐな道を延々と進むとどうにも後ろ座席で眠くなってしまう。
ホテルに戻ると既に夜の11時。1日目から12時間以上も外出してしまったので、さすがに疲れたよ。
シャワーを浴び、写真をmacに取り込み1時前に就寝。
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# by salamunagami | 2012-02-26 23:36 | エキゾ旅行  

2.24 Thu. Tokyo to Islamabad

c0008520_2354796.jpg2月24日木 日本からイスラマバード

前夜は午前2時半に寝て、朝6時20分に起床。
ゆりこが華に水をやっていると7時15分。17分のバスに乗る予定だっただ。
しかしバスが遅れ、23分。経堂の駅に着くと、目の前で7時半の各駅が行ってしまう。次の電車は7時37分。7分待ち。しかも新宿に着くのが、7時57分。大荷物を持って8時2分の成田エクスプレスに乗れるのか? 新宿に着くまで心配しても仕方ない。
新宿には57分、時間どおりに到着。しかし地下二階各駅停車のホームから大きな荷物を持って階段は上れない。エレベータ前には既に列が出来ていた。エレベーターはすぐに到着したものの、僕達の目の前で定員となり、ドアが閉まる。超ゆっくりしたエレベーターが戻ってくるのを待ち、やっと乗り込むと、今度は地下一階の急行ホームでもむりやり乗ってくるお客がいる。
改札階に出て、JRの乗り換え口を通ると、既に8時を回っている。あと一分ちょっと。もう間に合わないかなあ。
成田エクスプレスの停まる5番線は他のホームに下って、更に裏側に回り、更に一段エスカレーターを降り、トンネルのような地下通路を通って、最後にエスカレーターを一段上る。僕だけ一人先に行き、ドアの閉まりそうな成田エクスプレスに近づき、係員に、妻が今来ますので待って下さい!と頼みこむ。エスカレーターを覗き込んでも、妻は早くも諦めてしまったのか、なかなか姿が見えない。「ゆりこ、早く来いよ!」と大声で叫ぶと、エスカレーターの下にやっと顔を出す。スーツケースを持ったまま階段をかけあがってもらい、ホームにあがり、係員に礼を言い、電車に乗った瞬間に、ドアが閉まった。ふ〜、間に合った!
1号車から8号車まで車内を移動し、予約した席に着く。もうこれで9時半には成田空港。
成田では先に到着していた村山先生からメッセージを受け取り、タイ航空のエコノミーのあるJカウンターで待ち合わせる。村山先生は朝4時くらいに目を覚ましてしまい、8時過ぎには空港に着いて、散策していたらしい。
チェックインの段階で、パキスタンのビザ、インドのビザを細かく調べられる。数日前にパキスタン人三人が成田空港の入管から逃げ出し、現在も逃走中なのだ。無理するよなあ。
経堂駅前でヒンディー語を習っているのと同じコーヒーのチェーン店エクセルシオールカフェを見つけ、朝食を取る。その間に僕はシティバンクのATMを探し、旅の資金を下ろそうと試すが、二度、三度やっても受け付けてくれない。その場でカードのクレームセンターに電話する。この番号ではないと言われ、別の番号にかけ直し、面倒な番号を打ち込むと、やっとクレーム係りに繋がった。事情を説明すると、規定回数以上暗証番号を間違って入力していたため、一時的に引き落としできなくなっていたらしい。「今日からお使いになりますか?」と聞かれたが、「使うにきまってるでしょう!そのために電話してるんだから」係りの若者の声がかなり若くて、的を得ないので、「僕はお前が生まれるより前からシティバンク使ってるんだよ!」とイスタンブールやモロッコでの決まり文句、いつものオヤジ節が炸裂しそうになった。

出国、ゲート入り、飛行機に乗り込む。タイ航空はボリウッド映画が数本しかないのが残念。しかし、二本映画を見終わり、しばらくすると早くもバンコクに到着。もちろん機内食はほとんど手を付けない。

 バンコク乗り換えは8年ぶりくらいだ。真新しい空港には熱帯アジアのニオイが充満してる。タイ米のニオイや蘭のニオイ、西洋人の香水のニオイ? 空港の横にジャングルのような緑が密生して見える。半袖、タンクトップ、短パンの西洋人〜日本人旅行者たちを横目に、僕達は広い空港の端のまた端、C3ゲートへ。快楽的なのは中央だけで、端のほうには周辺のムスリム国からのむさいオトコたちがたまっている。
1時間半ほどのトランジットで、パキスタン行きの機内に乗り込む。今度の飛行機はもちろん個別のテレビなどない。

c0008520_2363559.jpg10時半の予定が、10時ちょっと前にイスラマバード到着。空港は釧路空港くらいの大きさに見えた。バスに乗り、入国審査場まであっというまの距離。外国人は一列に並ばされ、それでも待たされた時間は15分ほど。10年前のインド、ムンバイの空港のような古さだが、それでも人間の数がインド少ないので、ラクだ。
既にグルグルとまわっていた荷物を受け取り、税関をノーチェックで通り、空港の出口を抜けると、目の前にはオトコ、オトコ、オトコ! インドでも空港を出ると、1000人くらいの人々の視線にさらされるが、イスラマバードではその9割近くがオトコだ。インド人より背の高い、体格の良いガイたちがジロっとこちらを見ている。
外に出ると、息が白くなるほどではないが、そこそこ寒い。10度以下だ。デリーやジャイプルはもうすでに30度近いようだが、イスラマバードは更に北にあるから、当然だ。四月の日本くらいだろうか?
その視線を受け止める余裕もないままに、すぐに村山先生の現地の友人ジャーヴェードさんが僕達を見つけ、話しかけてきた。物腰がとても柔らかい日本語で、握手する掌まで柔らかい。彼の車に乗り込み、埃だらけの空港を出る。
c0008520_2374782.jpgシェルトンホテルは、空港から車で5分以内の街道沿いにあった。夜警のアニキを起こし、門を開け、中に入れてもらう。
一階の部屋に通されるとそこそこ広いが、照明が暗く、一つは電灯が切れている。僕はすぐに荷物を開け始めるが、ゆりこがすぐにレセプションに行き、「バッティー・ハラーブ・ヘイ(電球こわれてる)、ついでに部屋も変えろ」とクレームを入れたらしく、ジャーヴェードさんと係りのガイが一緒に来て、部屋の電球をその場で換え、風呂のお湯も出るように直してくれた。少しでもヒンディー/ウルドゥーを話すと対応が違う。いつもなら、夜遅いから、明日の朝に、とか言われていただろうに。ちなみに結婚式パーティーがあるらしく、週末まで全部屋が埋まっているらしい。
荷物をおき、日本製リンナイのガスストーブを点け、村山先生の部屋に行き、ジャーヴェードさんと四人でお茶をいただく。
ジャーヴェードさんは日本語をパキスタンの大学で学び、日本人旅行客相手のガイドをして、実践のうちに日本語を完璧に覚えたという。以前は旅行会社で何名も従業員を雇っていたが、最近は観光客が来ないので、日本のとある会社と仕事をしていて、日本語を使う機会も減ってしまったと。思えば、僕も音楽ライターを始めた12年くらい前は、フランス語を使う仕事が月に一度くらいあったけど、最近は音楽ソフト業界が終わっちゃったので、フランスからのアーティストのインタビューなんてほとんどない。僕もフランス語を全然使ってないから忘れちゃったなあ。
c0008520_2391851.jpg12時前にさすがに眠くなり、部屋に引き上げる。ガスストーブのおかげで部屋は暖かいが、内陸地らしい底冷えがする。最後の最後になってフリースのパジャマを持ってきて良かった!
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# by salamunagami | 2012-02-26 23:09 | エキゾ旅行  

2/22(水)旅の本屋のまどのトークはロフトチャンネルで同時放送!

c0008520_1345512.jpg2/22(水)旅の本屋のまどで行う予定のサラームのトークショーは「ロフトチャンネル」を通じて、インターネット中継放送されることになりました! 来られない方はこちらをご覧下さい!

2/22(水)「サラーム海上の中東音楽を巡る旅」

 2012年2月20日より満を持して始まるネットTV「ロフトチャンネル」にて、旅本ブックレビュー番組がスタート!
 第1回目はスペシャルバージョンとして、新刊『21世紀中東音楽ジャーナル』発売記念、サラーム海上さんのトークイベントを生中継。中東音楽の魅力について、現地で撮影した動画も交え語っていただきます。
 当日はネットからの質問も受け付けます。中東音楽ファンはもちろん、旅好きもお見逃しなく!

<中継URL>
http://www.ustream.tv/channel/loftch
19:30~中継スタート

※西荻窪「旅の本屋のまど」で行われるイベントの生中継です。
 イベントの詳細はこちらをご覧ください。
http://www.nomad-books.co.jp/event/event.htm
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# by salamunagami | 2012-02-22 19:30 | 21世紀中東音楽ジャーナル  

2.22 Wed. サラーム海上の中東音楽を巡る旅@西荻窪のまど

c0008520_1526574.jpg西荻窪にある旅の本屋のまどさんで、ちょっとした発売記念トークを行うことになりました。こちらでは音楽講義というより、旅の話を中心にしたいと思います。中央線沿線の方、是非是非よろしくお願いします!

新刊「21世紀中東音楽ジャーナル」発売記念
◆サラーム海上さん  ビデオ&トークショー◆

「サラーム海上の中東音楽を巡る旅」
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新刊『21世紀中東音楽ジャーナル』(アルテスパブリッシング)の発売を記念して、“よろずエキゾ風物ライター”のサラーム海上さんをお招きして中東音楽の魅力について現地で撮影した動画を上映しながらたっぷりと語っていただきます。
ライターの他にも、ラジオやクラブのDJ、料理研究など多方面で活躍するサラームさんが、9・11から3・11までの21世紀最初の激動の10年を、未知なる中東音楽を求めてトルコ、モロッコ、イエメン、そして革命に沸くエジプトを取材。新刊では、そんな中東の街中で聞こえてきた、ベリーダンス、グナワ、スーフィーといった中東独自の音楽をたっぷりと紹介しています。
長年、中東音楽を追い求めてきた著者の集大成ともいえる1冊ですので、サラーさんの中東での貴重な体験談が聞けるはずです。サラームさんのファンの方はもちろん、中東の音楽や歴史・文化に興味のある方はぜひご参加ください!

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。
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c0008520_15261276.jpg【開催日時】 2月22日(水)  19:30 ~ (開場19:00)
【参加費】   800円   ※当日、会場にてお支払い下さい
【会場】  旅の本屋のまど店内  
 【申込み方法】 お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、
 お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627
 e-mail :info@nomad-books.co.jp
 (お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)
 ※定員になり次第締め切らせていただきます。

【お問い合わせ先】
 旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)
 東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F
 http://www.nomad-books.co.jp
主催:旅の本屋のまど 
 協力:アルテスパブリッシング
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# by salamunagami | 2012-02-22 19:00 | エキゾ講演&トーク