3.9 Fri. Rudra Veena Concert @Kawa

c0008520_0272916.jpg3月9日金曜
ハミッド再会、カワカルチュラルセンターでのルドラ・ヴィーナ・コンサート

 朝8時に起きて、表に出ると主人のハミッド・カーンがやっと戻ってきていた。聞くと、スーフィーの聖地アジメールのダルガー(聖者廟)に数日間こもっていたという。
 「最近はよくダルガーに行くんだよ。人生を振り返る本当にすばらしい機会なんだ。スーフィーの聖地で、一人長い時間を過ごしていると色々な事が浮かんでは消える。神秘的な魂の生々しいヴァイブレーション(Direct vibration of mystic soul)が感じられるんだ。卓也も次回一緒に行こう」
 と話すハミッドは今年50歳とは思えないほど老け込んでいた。初めて彼にあったのは2002年の初夏だったから、ちょうど10年前。その時は髪こそ薄かったものの、まだまだ若々しかったのに、いつのまにかすっかりおじいちゃんっぽい。子供が18歳、15歳になったのだから仕方ないとは言え、インド人の老け方は尋常じゃない気がする。
 しかし、ここでもスーフィーに会ってしまった。ジャイプルはフランス人租界であって、先週までのパキスタンとは全く別の世界に来たつもりだったのに、この家の主人はすっかりスーフィーに入れ込んでいた。
 
 90年代末から、ラージャスターン民謡の楽団ムサフィールを率いて、欧米を中心に活躍してきた彼だが、リーマンショック以降ヨーロッパの音楽業界の不況を真っ先に受け、欧米公演が減ってしまい、一時的に立ちゆかなくなっているようだ。だから奥さんのほうがゲストハウスやカルチャラルセンターを立ち上げ、働いているのだ。
 音楽家やアーティストは甲斐性がない人が多いから、儲かっている時は良いけれど、一時的にでも儲からなくなるとどうにもならなくなる。たいていの音楽家から音楽を取ったら何も残らないもんね。しかし、これは彼だけの話じゃない。日本でも彼と似たような人達を沢山知っているよ。彼を招聘していたカンバセーションも倒産してしまったし。頑張れハミッド! 苦しんでいるのは貴方だけじゃないよ!

c0008520_0332984.jpg朝食後は妻が買ったインド服の撮影会だ。ここは自然に囲まれていて、日陰も多いので写真を撮りやすい。
今日はフランスからのミュージシャンが二人がここに滞在するので、僕達は二階の部屋に一日だけ場所を移る。そのために全員が忙しく動き回っている。僕は二階に座って、インターネットで日記をアップする。そして夜のコンサートの事を「ジャイプルに滞在中の方で古典音楽に興味のある人は是非お越し下さい。会場も雰囲気の良い場所です」とfacebookとtwitterに告知した。ジャイプルに滞在しているどんな日本人が来ないとは限らない。

 c0008520_0285772.jpgパルヴィーンが自分の部屋で歌の練習を始めた。電子タンプーラと電子タブラに合わせ、ハヤールを歌い始めた。その横で僕は日記を書いている。贅沢なBGMだ。パルヴィーン上手くなったなあ。

この宿で困るのは町までのアクセスだ。午後三時過ぎにゆりこが頼んだ服の仕上がりを確認するため、町に出る。ハミッドがスクーターを出すので三人乗りして行こうと言う。三人乗りはよく見かけるが、自分がすることになるとは思わなかった。もちろんヘルメットなしだ。ここで死にたくはないので安全運転してよと頼むが、ノープロブレムとのこと。しかしジャイプルまでの道は一本道だ。相手が突っ込んで来ない限り事故は起こらないだろう。三ケツして15分ほどで百合子の馴染みのテキスタイル屋へ。お店に入ると、電気も点けずにみんながだるそうにしていた。無理もない昨日のホーリーではしゃぎすぎたのだろう。店主とはfacebookで繋がったので、彼らがどんなホーリーをしたのか写真で見れてしまうのである。インターネットダダ漏れ社会である。百合子は頼んでいた衣装を二度ほど確認し、それからスカートも採寸して、さらにいくつか注文する。

c0008520_0291935.jpg宿までの帰り道はリキシャを使わずにバスを使ってみる。ホリデーインの前で大型のバスNo5を15分ほど待つ。来たバスに乗ってクンダという集落、終点まで乗る。そこはデリー〜ジャイプルロードとアンメールロードの交わる場所で、僕たちの止まっているカワゲストハウスはそこから200mほどアンメールロードを戻った所を道なき道に入る。一番分かり易い説明は"After Amber Village, Go straight! Before Kundaa, At the Shaadii Garden, Turn right to Kaprstaan. And go to the Hindu Temple on the hill." シャーディーガルデンとは野外結婚式場、カプルスターンとは墓場のことである。「結婚式場の所を右折して、墓場に沿って丘の上のヒンドゥー寺院まで」。初めて来た人は絶対に迷うから現地携帯は必携だ。

c0008520_0305040.jpg6時前にカワの会場に戻ると、会場前にはジャイプル滞在中の外国人が集まっていた。日本語がけっこう上手なケッタイなフランス人のオッサン、ダニエルは、障害を持つ芸術家のサポートを行うNGOを立ち上げ、25年にわたってジャイプルを訪れているという。彼らが連れてきたのはデンマーク人の音楽家親子。父親はデップリとしたスキンヘッドの巨漢でバスサックスを吹き、ひょろっとした息子はユダヤ教超正統派みたいなヒゲと髪型でハングドラムを叩くという。父のハンスは息子のベンヤミンのことを「彼は音楽を学んだわけではないのに、彼がハングを叩くと、自然とグループを牽引するんだ」とベタ褒めしていた。ハンスはデンマークを拠点にヨーロッパを回り、即興演奏ばかり40年以上も続けて来たという。今回はダニエルの団体に誘われて、障害者芸術家のイベントのためにインドに来ていた。コンサート後に機会があれば演奏するよと約束してくれた。

c0008520_03127100.jpgカワカルチャラルセンターは全てマリーノエルが仕切っている。そのためチケット切りや写真やビデオ撮影のスタッフもいない。なので僕がビデオとカメラ、そしてゆりこがチケット切りを買ってでた。
 午後8時すぎに始まったフランス人音楽学者の演奏はラーガの再現に重点を置いていて、即興演奏の興奮は感じられなかった。それは僕がサプタク音楽祭、そして日本でもU-zhaanやヨシダダイキチさんの演奏を日常的に聴いてしまっているからかもしれない。インド古典音楽は残酷だ。逆にここにヨシダさんやU-zhaanを呼んだらインド人観客がビックリしちゃうんじゃ?
 
 酷かったのはインド人プレス関係者。関係ない友人たちを「プレスだから、無料で入れろ」と連れてくるのからはじまり、アンプなしの生演奏だというのに、カメラマンはカメラのピント合わせ音「ピピピ」という音をひっきりなしに最前列で鳴らし続けている。その音消せよ! しかもレンズは初心者一眼レフに付いてくる暗いキットレンズを使ってる。悪いけどそんなレンズじゃ暗闇でちゃんとした写真は撮れねえよ! レンズ買う所から出直して来い! 女性記者のほうはアーラープの途中で立ち上がり、「演奏は一体いつ始まるんですか?」とマリーノエルに質問したという。どこの国でも常識なしのバカこそこういうところで働いているから不思議である。
 演奏家はピント合わせの「ピピピ」音に悩まされているのが演奏から伝わってくる。なんともラーガが広がらないままグルグルと同じ所を回っている感じだ。それでもアーラープを終わらせ、パカワジが入り本番となり一時間ちょっとで1ラーガを終わらせた。僕も写真撮影を頼まれているが、厚顔無恥な地元プレスと一緒にされたくはないので、パカワジが鳴りだしてから最低限だけ撮らせてもらう。

c0008520_0363470.jpg二人はさらにもう1ラーガを演奏し、二時間の公演を終わらせた。終了後は誰もが珍しい楽器ルドラ・ヴィーナのまわりに集まった。ジャイプル在住のシタール奏者クリシュナ・モハン・バットが来ていて、僕も紹介していただいたが、彼すらルドラ・ヴィーナを珍しがって写真を何枚も撮っていた。マリーノエルにジャイプルの古典の名家ダーガル家の女性を紹介された。市内にダーガル家のアーカイブがあり、そこを管理しているという。それは遊びに行きたい。

c0008520_032192.jpg会場の表に出ると「サラームさん!」と聴き馴染みのある声が聞こえた。ソトコト編集部のW君がいた。なんでここにいるの? なんと翼の王国の取材でジャイプルに来ていて、僕のfacebookを見てわざわざ車を飛ばしてやってきたという。「何度も迷いましたよ。それに近くの結婚式場を見つけてしまい、そこで入っていけと誘われて時間を食われました。もう演奏は終わっちゃったんですね!この場所ならさぞ素晴らしかったでしょう。残念だなあ」facebook恐ろしや! 本当に友人が来てくれた! 
 記念撮影をそれぞれに行い、観客が三々五々去っていくと、会場の中ではデンマークのベンヤンミンによるハング演奏に合わせてパルヴィーンが古典を歌い出した。そこにイリヤスがタブラで加わり、ハンスがバスサックスで加わり、即興演奏が始まる。ハングを生で聴くのはこれが二度目。日本の陰音階のような調律が僕にはちょっと苦手なのだが、それにパルヴィーンが悲しげなラーガを乗せて歌っている。なんかこっちの演奏のほうが本番より瑞々しくてイイんですけど。

c0008520_0302371.jpg即興演奏が30分ほどで終わった後、裏庭にテーブルを並べ、打ち上げの夕食会となった。マリーノエルの作ったベジインド料理とたっぷりのビールだ。食事の途中、横にいたアメリカ人タブラ奏者に「ヒロ(U-zhaanのこと)を知ってるか?」と聞かれた。「もちろん知ってるよ、友達だよ」「彼は天才だ。twitterの本も出したんだろ?」「その本は僕がプッシュしたんだよ」そのやりとりを横で聞いていたクリシュナ・モハン・バットまでが「ヒロのことかい? 彼はすばらしいよ」と言い出した。U-zhaan、ついにインドでも知られ始めたんだ!? スゴイなあ。
 夜が更けるにつれ、気温がどんどん下がっていく。5度くらいまで下がっていそうだ。12時過ぎまで古典音楽オタクたちの話に付き合ったが、ビールを飲み過ぎた。それに、ちょっと寒くてこれ以上いられないので、まだ宴はたけなわながら僕は先に引き上げた。

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# by salamunagami | 2012-03-12 00:37 | エキゾ旅行  

3.8 Thu. Holy Celebration at Amber

c0008520_16532127.jpg3月8日木曜
ホーリー、フランス人租界でパーティー

 朝起きると、背中が痛い。多分マックやカメラを詰めた重い荷物を一日中背負っていたせいだ。帰ったらジムで鍛え直さないと! 庭で朝食を取り、午前10時過ぎに、持ってきていた要らない服に着替える。そして杏の油を頭からかぶり、全身に塗りたくっておく。こうしておくと、粉が肌に定着するのを防げるようだ。イリヤスがピンクや紫や青やオレンジ、赤の色粉を近くで買ってきて、それぞれに戦闘開始! イリヤスと一緒に近くに住む彼の友人の家まで歩く。道には子供達が既に色水と粉にまみれ、「ハッピーホーリー!」という言葉とともに、色粉を容赦なく塗りたくってくる。30分ほど集落を歩いているだけで既に地獄の黙示録みたいなカモフラージュ迷彩になってしまった。宿に戻り、全員でブリジットの家へ。ブリジットの庭ではブリジットの両親や近くにあるモザイク・ゲストハウスのオーナー、エルヴェ、その宿の泊まり客らが到着していて、全員で色粉を塗りたくって、水鉄砲で色水を振りかけ合う。

c0008520_16535029.jpgホーリーと言えば、外国人が真っ先に餌食にされる最悪の祭りと聞いていたが、地元には幾つかの不文律がある。まず知らない人には手を出さない。地元の人でも参加していない人(「ノーエントリー!」と言ってくる)には手を出さない。そしてかけられるのがいやなら拒否出来る。道すがら、酔っぱらった若者たちがバイクに乗って、話しかけてくるが、無視したいなら無視して良い。拒否したいなら拒否して良い。ジャイプルの町ではもっと阿鼻叫喚の世界かもしれないが、ここアンメールではそんな感じだ。

c0008520_16542255.jpgフランス人たち十数人を色をかけあい、たっぷり用意した色粉がなくなると、お菓子をいただき、引き上げる。マリーノエルによると、ホーリーの日は一年で一番沢山の水道水を消費する日らしい。当然だ。全員がシャワーを浴びるのだから。

c0008520_16552345.jpgホーリーでお手伝いさんも休みなので、マリーノエルが昼食を作ってくれる。緑のパプリカとタマネギを軽く炒めてパニールとあえたもの、ダール、そして水分を切ったヨーグルトにすり下ろしてやはり水分を切ったキュウリをあえたライタ。クミンと塩で味付けする。ご飯は玄米。食後のデザートはリンゴを砂糖とゴマで煮たもの。シンプルなのにとても美味しい。

c0008520_16562222.jpg泊まっていた若いフランス人女性三人はジャイプルに戻り、マリーノエルとアニエス、イリヤス、そして僕達は近くの渓谷までピクニックに出かける。腹ごなしにちょうど良い。車で30分も進むとまるでモロッコの砂漠地方のような景観が広がる。blue valleyという景勝地らしい。周りは椰子の木が並び、枯れ川の道になる。

c0008520_16571237.jpg枯れ川で車を駐車し、面倒臭いというイリヤスを残し、四人で岩の道を上流へと進む。30分ほど石の道、そこから先は砂の道を進み、1時間ほどで水源地に到着。岩肌には斜めの地層が現れ、転がっている石はほとんどが鋭い直方体。水によって浸食された日本の石ころに見慣れた僕には四角い石ころばかりの風景は異様に写る。夕方になり、日が暮れ始めたので元来た道を戻る。帰り道は往路よりも早い。帰りに近くの集落でチャーイを一杯いただき、宿に戻ると既に日が暮れていた。東の空から満月が上っている。

c0008520_1658315.jpg夜は近くのモザイクゲストハウスの主人で、モザイク作家のエルヴェの誕生日パーティーに誘われた。パーティーなので正装していこうと、全員がそれぞれ手持ちの服で正装。僕はパキスタンで買った黒地に銀色の刺繍が入ったクルタ。到着するとフランス人ばかりが十数名、既に座って、歓談していた。なんとフランス製のシャンパンで乾杯。エルヴェの両親が持ってきてくれたようだ。モザイク・ゲストハウスには前回も立ち寄ったが、前回はエルヴェがフランスに帰っていて、工房を見ただけだった。ジャイプルにはモザイクに適したカラフルな岩が取れるため、エルヴェはこちらに移住し、作品を作り続け、同時にゲストハウスを開いて収入を得ているのだ。
 そこでブリジットの高齢なご両親に会った。二人は若い頃には長くエジプトに暮らし、四人の子供のうち二人はインドで事業をはじめ、残り二人がフランスに住んでいるため、インドとフランスを行ったり来たりしているらしい。「ここにはマリーノエルがいて、エルヴェがいてくれて、ブリジットは一人じゃないから安心出来るのよ」とお母さん。

c0008520_16585766.jpg昨年のモロッコ旅行に続いて、ジャイプルに来てもフランス人租界にお世話になっている。先週まではパキスタンにいて、男子校部室(イスラーム神秘主義専攻、ポエム部所属)状態だったのに、今では女子校のアート研究会(フランス語専攻)にいる気分だ。前にも書いたが僕は群馬県の高崎高校という男子校を出て、明治大学の政経学部という99%がオトコの大学を卒業した。23歳までは野郎の中にいた。社会人になってからは女性の中にオトコが一人みたいな状態に何度も遭遇することになった。今もベリーダンスのパーティーにDJとして呼ばれるとそんな具合だ。しかし、今も東高円寺Grassrootsや渋谷のELSurレコーズ、それにワールドミュージック界隈などの男臭い世界もどっぷり浸かっている。神秘主義詩歌を吟じ、陶酔するムサいオトコたちと、思い思いの装いで独自の世界を作る麗しい女性たち、その両端を行ったり来たりするのが僕の職業なのだろうか?
 エルヴェにたっぷりのワインやシャンパンをごちそうになった。次回ここに来る時は日本からたっぷりフランス製のシャンパンを持参してこよう。
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# by salamunagami | 2012-03-09 16:59 | エキゾ旅行  

3.7 Wed. Shopping in Jaipur 2

c0008520_16451134.jpg3月7日水曜 
ジャイプルでショッピング二日目

 朝起きて、妻は届いた服を着て、仕上がりに納得していない。当然だ。一度で思ったとおりに出来上がるほど服のデザインなんて簡単なものじゃない。妻は一事が万事の人なので、その場でかんしゃくを起こしている。そこで納得いかないポイントを全て紙に書き出させ、整理させる。
 朝食を軽く済ませ、10時過ぎに再びJさんの店に行く。お店にはロシア人の家族連れが来ていて、色々と試着をしている。Jさんに納得いかない点を全て伝え、その場でテイラーに直してもらうことになる。その間、二時間待ち。妻はその間に他の生地を見て、別の服について話しているが、僕は特にやることないので、旅の指さし会話集を元に暇そうな店員相手にヒンディー語を教えてもらう。待っている間にビールまで一本ごちそうになってしまった。

c0008520_16462381.jpgロシア人の家族連れはさんざん試着した後に、無理矢理値切り始め、交渉決裂して帰っていった。ロシア人が世界中を自由に旅行出来るようになってまだ十数年しか経っていない。インドが経済成長の中にインフレを起こしていることなんて想像出来ないのかもしれない。僕達日本人ですら、インドがこれほどインフレを起こしているなんて知らないのだから。
 二度の直しを経て、ゆりこは出来上がりに納得し、更に幾つか注文する。出来上がりはホーリー後の9日午後とのこと。

c0008520_16454423.jpg一旦ホテルに戻るが、その帰り道が超渋滞。ホーリーが始まり、お店も閉まり始め、帰宅ラッシュとなったようだ。ホテルまで40分かけて戻り、2時過ぎにチェックアウト。荷物をフロントに預け、昼食をホテルのレストランで取る。一品50ルピーの野菜カレーを五種類選んで、ご飯とチャパティーでいただく。ダールとほうれん草、焼きナス、ニンジンとインゲン、トマトとチーズ、ニガウリの中にカレーを詰めて揚げたもの、そしてベジプラウ。僕の大好物のオクラのサブジーは季節外れのようで、今日は並んでいない。残念。8年前から通っているアールヤニワスのカレーの写真をきちんと撮れたのは今回が初めてかも。

c0008520_1647156.jpg食後はリキシャに乗って、civil lineにあるDMFメトロポリタンモールへ。すでに帰宅ラッシュを過ぎ、通りには道が少ない。再びゆりこが買い物を済ます。
 午後6時にホテルに戻り、タクシーに乗り、Kawa Guest Houseへ。マリーノエルに電話したが、繋がらないので、自宅にかけると、長男のイリヤスが出てくれて、タクシー運ちゃんに道順を細かく指図してくれた。
 タクシーに乗り、市内を抜ける。市内はもぬけの殻のように自動車が少ない。アンメールロードに出ると車の代わりに、象のタクシーが歩いている。ライトアップされたアンメール城を過ぎ、アンメールの中心地を抜け、シヤラム・キー・ドーングリまで進む。そこから道なき道を右折し、ブリジット・シンの工房から更に奥へと進み、ヒンドゥー寺院のある山の麓に到着。イリヤスが出迎えてくれた。

c0008520_16475749.jpgしばらくすると長女のパルヴィーンとマリーノエルが戻ってきて、更に宿泊しているフランス人の若い女性二人と、僕達と同じくらいの年齢のアニエス、そして自宅の裏庭のほうにジュリアンという若いフランス人男性が入ってきた。Kawa Guest Houseがやっと形になってきたのかな。
 全員と自己紹介をすませ、お土産を渡し、ビールで乾杯する。マリーノエルが「今日はお手伝いがいないから、ありあわせのものだけど」とパスタや温野菜のサラダを作ってくれる。彼女は本当に手際良く料理を作る。
 外を見ると、月が昇っている。明日はホーリーで満月だ。夜中まで彼女達と話し、就寝。
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# by salamunagami | 2012-03-09 16:48 | エキゾ旅行  

3.6 Tue. Shopping in Jaipur

c0008520_16384476.jpg3月6日火曜
ジャイプルでショッピング1日目
 この日記を書いているのは3月9日午前10時。場所はジャイプル郊外アンメールの郊外ジャイプルに来てから、別に変わったことはしていないし、それこそ音楽調査取材は一切していない。しかし日記を書くヒマがないほど忙しい。というか、夜になると眠くなってしまい、12時前に眠ってしまうのだ。そしてここはインターネットの回線が今イチ細く、安定していない。そのため、日本からの催促にもなかなか応えられずにいる。この筆まめなオレさまがこんな体たらくですみません。
 日本からの催促に応えるのも大切だが、皆さんにはもうちょっとだけ待ってもらって、この数日間の日記だけは書いておこう。さもないと忘れてしまうから。


c0008520_16395129.jpg3月6日は7時過ぎに目を覚ます。朝は少々肌寒いが、テラスに出るにはちょうど良い季候。僕にとってこの宿は世界で一番落ち着ける宿だなあ。レセプションのオッチャン達から売店のオヤジ、レストランのレジ係りにいたるまで、8年前に初めてきた時から変わらない顔ばかり。働き手にとっても居心地の良い宿なのかも。たまっていた洗濯物をたっぷりお願いする。
庭でいつものインディアン朝食セットを頼む。大きなジャガイモ入りのパラタが二枚とアチャール、チャトニー、ヨーグルト、インスタントコーヒー、それに絞ったオレンジジュースで一人あたま130ルピーくらい。8年前は55ルピーだった。それが翌年に80ルピーくらいになって、今は130ルピーだ。
朝食後は、屋上にて妻がパキスタンで買った残りの服を着てのファッションショー撮影を1時間ほどで済ませ、午前10時半に、ボリウッドダンサーのSarahちゃんに教えていただいたテキスタイルのお店に向かう。リキシャで旧市街を抜け、アンメールロードで降りる。そこで店主のJさんに電話すると、すぐに迎えにきてくれた。Jさんはなんと日本語が達者で、日本のアパレルにも輸出しているという。最近になって日本人なら誰もが知る超大口との取引が始まったという。妻は、いくつか美しい布地を見せてもらい、サイズ採寸し、ドレスを作ってもらうことにした。

c0008520_16292412.jpg午後2時前にホテルに戻り、ホテルの会議室でマリー・ノエルと再会。彼女は近年、ジャイプルのアリアンス・フランセーズと共同で欧米の音楽家を招聘しての小さなコンサートを定期開催している。前回来たときも、UKからドラマー/南インド古典パーカッショニストのピート・ロケットとラージャスターンのパーカッション楽団の共演コンサートを見る事が出来た。今回はフランス・パリのCite de la Musiqueのアジア音楽キュレーターにしてインド古典演奏家、フィリップ・ブリュギエルによるルドラ・ヴィーナの公演。ルドラ・ヴィーナなんてめったに聴けない楽器だ。5年くらい前に第一人者のアサド・アリー・カーンが来日公演を行ったけど、僕は行けなかった。こと音楽に関して僕は運が良い。
その公演の記者会見をアールヤニワースホテルで行った。参加したのは地元の新聞社の記者が4人と、僕達、そしてアリアンス・フランセーズの担当者だけだったので、みんなでコーヒーを飲んで、コンサートの概要を軽く説明して、30分ほどで終了。新聞記者達は、音楽についての質問ではなく、会場までの往復のタクシー代をアリアンス・フランセーズが出してくれるのか否かと、どうでも良い質問をしている。どこの国でも経費を使える企業の人間こそケチ臭いのは変わらないなあ。

c0008520_1630862.jpg記者会見の後、マリーノエルの車に乗せてもらい、妻の次の目的地サロオジ・マンションへ。古くからあるファッションストア集合ビルだ。そこで妻はパンジャービー・ドレス数着を買う。さらにバングルの専門店で、予算を言って幾つか見繕ってもらい、バングルも買う。僕は行きつけのインド服屋VASARIで、黒い洋服のシャツと、青と金の混じった生地のクルター・パジャマを買う。そこから服や生地屋の並ぶバップー・バザールを歩き、金銀のアクセサリーが並ぶジョハーリーバザールまで歩く。道には明日からのホーリーに向けて、色とりどりの粉を売る屋台が並んでいる。インドに11回も来ているが、ホーリーを体験するのは初めてだ。お祭りの前で通りを歩く人々も浮かれているようだ。

c0008520_16315784.jpgホテルに戻り、夕食のためにTripadvisorでジャイプルのレストランを調べる。上位にベジタリアンレストランやバックパッカー向けのカフェなどが並んでいるのは、tripadvisorのバイアスだ。Spice Courtという地元の人達の間で評判の良いインド料理店に出かけることにする。
ホテルのレセプションを出ると、日本人のカップルに「サラームさんと若山さんですか?」と話しかけられた。聞くと地球の歩き方ARUCOのインド編の編集者とカメラマンで、リニューアル版のための取材に来ているという。二人を夕食に誘い、オートリキシャでCivil Lineにあるスパイスコートへ。羊料理の一番上に書かれていた地元のマトン料理を頼もうとしたら、ウェイターに「それはとても辛いけど大丈夫ですか?」と聞かれ、別の少しマイルドなマトンカレーにした。他にチキンビリヤニ、パラクパニール、アルーゴビ、そしてビールを頼む。

c0008520_1640577.jpgお二人はインドを旅慣れている方で、やはりアールヤニワースホテルを常宿にしていた。「旅行で来ただけの人にはこの町の魅力はなかなか伝わらない。でもこの町の買い物にはまったら、繰り返し来てしまうんですよね」と言う。僕達がいつもプールを使わせてもらっているフランス人女性ブリジット・シンのことやホットピンクのことももちろん知っていた。9日にKawa Cultural Centreで行われるコンサートのことを伝えておいた。夕食は四人で2200ルピー。ホテルに戻ると、午前のうちに頼んでおいた服が仕上がってレセプションに届いていた。12時前に就寝。
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# by salamunagami | 2012-03-09 16:41 | エキゾ旅行  

3.5 Mon. Arrived Jaipur

c0008520_1620155.jpg3月5日月曜 ジャイプル到着
 
夜行バスの中で目が覚めたのは午前1時半に路肩のトイレ休憩。そして次は朝5時すぎ。既にデリーの近郊だった。
バスの終点はなぜかオールドデリーのラールキラー前。朝5時20分に到着。まだ真っ暗だ。降りるとリキシャの運ちゃんが近づいてくる。「どこに行くんだ?」「ビカネールハウス、ラージャスターンツーリズムバス」と答えると、丁寧に「ここでもジャイプル行きのバスが出ているぞ」と教えてくれる。おいおい、正直で親切なのはうれしいが、アンタの稼ぎ無くなるぞ! インド人のこういう間抜けな所が僕は大好きだ。 目の前のチケット売り場でジャイプル行きがあるのかと聞くと、6時に出るぞとのこと。しかし、バスのグレードはノンACなので、遠慮して、初心貫徹、リキシャに乗ってビカネールハウスに行くことにする。言い値は150ルピー。距離的に100ルピーくらいだと思うが、明け方で、親切なガイなのでそれで許そう。リキシャに乗り、まだまだ肌寒いデリーの夜明け前を南に飛ばす。新聞社が固まる一角(名前失念)、そしてライトアップされたデリー門まで15分、ビカネールハウスに到着した。
 バス停の奥にあるチケット売り場に並ぶと、どのバスもジャイプルまで行くようだ。違うのはグレードだけ。7時半のACクラスもあったが、ゆりこの体調が良くないので、大事を取って8時のVOLVOクラスにした。これも二人で1500ルピー。8時10分にバスは出発し、デリー郊外からジャイプルまでの国道を飛ばす~と思ったら、途中から更にバイパス道路の工事が始まっていて、本来の速度を出せずにトロトロとラージャスターンまで走る。そのためジャイプルの終点に点いたのは午後1時前だった。デリーからの道筋どんどん気温が高くなり、日差しが強くなっていき、ジャイプルは30度以上の気温で、サングラス無しではいられない。
c0008520_16195498.jpgジャイプルのバス停から常宿のアールヤニワースまではほんの数ブロック。歩いても行ける距離だがリキシャに乗る。するとリキシャの運ちゃんがメーターを使ってくれと、わけのわからないことを言い出す。客引きのアニキ曰く「メーターを使ってない事が警察に知られると逮捕されるので、実際の料金は事前交渉しても、警察にはメーターを使っていると言ってくれ」と、わけのわからないことを横からお願いされた。だったら最初からメーター使えっつ~の! そう言うよりも前に「ウルサイよ! オレはお前が生まれる前からジャイプルに来てるんだ。このガキ!」といつもの言葉が出てしまうのが僕のダメなところだ。
 
c0008520_16202164.jpg案の定2分ほどでアールヤニワースに到着。レセプションのオッサンたちに「久しぶり、元気ですか?」と挨拶される。部屋は四階の角部屋で、日当たりと見晴らしが良く、専用テラスも広い。
 荷物を広げ、まずは昼食のため、ホテルの横の雑居ビルの屋上にあるイタリアンレストランMEDITERRANEOへ。ここは大きな釜を持っていて、ピザやラザーニャなど、きちんと釜で焼いてくれるので、毎回訪ねている。
 僕はラザーニャ・コン・カルネ、ゆりこはトマトとツナのピザを頼むが、量が多すぎて、二人とも最後二口くらいを残した。湿度が低いせいか、コカコーラ、ラッシー、水を続けて飲んでも全然トイレに行きたくならない。
 あっ、トイレと言えば、パキスタンのトイレ、男性小用は便器が高すぎて、背伸びしないと届かないほどの高さだった。パキスタン人は身長高いのだ。それに対して、国境を越えてインドに入った途端、便器の高さが日本と変わらぬ低さになった。こんな所に二国の違いもある。まあどうでもいい下ネタでした。
 
c0008520_16223663.jpg昼食を食べ過ぎたので、外出しよう。まずはファブインディアの支店へ行き、インド服を幾つか買い込む。その近くにあるアノーキの本店を訪ねようとしたが、住所を書いた紙を宿に忘れてしまい、流しのリキシャに乗って一旦、宿に戻り、そのリキシャを待たせて、住所を調べ、再びアノーキに向かった。メーターを使ってくれて、72ルピーだった。夕方5時に妻はアノーキへ、僕はその下の階にあるCDショップ兼本屋crosswordへ。ここはジャイプルで最も広く、清潔な店だが、CDとDVDの品揃えは毎年ひどくなる一方だ。古典音楽などは全く置いていない。ボリウッドも半年前のものはもう在庫なし。チェーン店のCDショップ、本屋は全世界どこも荒廃していく一方だ。CDとDVDを合わせて15枚くらいしか買うものがなかった。
c0008520_16223863.jpg買い物を終え、上の階にあるアノーキ・カフェへ。オーガニック豆のコーヒーをポット一杯で80ルピー=130円。出発の日の成田空港以来10日ぶりの本物のコーヒーだ。アルコールとコーヒーの軽い中毒だ。ゆりこの買い物を町ながら、日本から持ってきた小説「シャンタラム」をやっと読み始めると、冒頭から一気に一昔前のボンベイに引き込まれる。上手い作家だなあ。どうしたら、こんなに上手く文章を書けるようになるのだろうか?
 8時前にゆりこの買い物を一旦終え、ホテルに戻る。昼飯をたっぷり食べたので夕食は宿の食堂で軽く済ます。ミックスベジタブルのカレーとパラタだけ。コカコーラと水はいくら飲んでも足りないくらいだ。
 就寝は12時過ぎ。 
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# by salamunagami | 2012-03-09 16:23 | エキゾ旅行  

3.4 Sun. Golden Temple, The Train Cancelled!

c0008520_1653987.jpg3月4日日曜
ゴールデンテンプル観光とジャイプル行き電車キャンセル

朝5時半に電話が鳴る。出ると真ん中の弟だった。「起きてた? 日経新聞読んだよ。良かったじゃん」と僕の「21世紀中東音楽ジャーナル」に関するインタビュー記事が掲載されたのを、早速読んでくれていたようだ。「わざわざありがとう。でもオレは今インドにいて、朝5時半なんだけど」というと「国際電話料金かかるから、切るよ」とのこと。そこで二度寝するが、6時半には目が覚めてしまう。昨日は夕方から寝ていたようなものだから、起きだそう。まだ外は明るくなっていないが、macをたちあげ、日記を付ける。7時を回ると周りの部屋からシャワーを使う音が聞こえてきたので、僕もシャワーを浴びる。
c0008520_1664913.jpg8時半に屋上で朝食。9時半、現地携帯のSIMを手に入れるため村山先生と外出。正規の携帯屋は町の中心地まで行かねばダメだろうと思っていたが、町角のキオスクのアニキが「SIMならウチで買えるよ。パスポートのコピーか写真があれば」と話しかけてくる。そこでコピー屋を探すが、日曜のせいか、コピー屋に限って閉まっている。唯一開いている店は「息子がデリーに行ってしまって、使い方がわからないから、使わせることが出来ない」とのこと。ホテルとゴールデンテンプルの一角を歩き回ってどうしても見つからないので、お店に戻り、写真とパスポートだけではダメかと聞き直すと、写真があれば大丈夫だよと気軽に返される。そんな簡単過ぎるのでは? と思ったら、僕達の写真を受け取り、パスポートナンバーを控え、それだけで携帯をアクティベートしてくれた。そんな簡単で大丈夫か? テロリストが使っちゃうぞ! 
c0008520_1664315.jpg携帯を手に入れ、一旦宿に戻り、ゆりこを連れ、今度はシク教の聖地ゴールデンテンプルに。
入り口で窟を預け、頭にオレンジの布をかぶり、門をくぐる。聖地なのに階段を登るのではなく、階段を下りるのだ。そして、中心に広がる池とその真ん中に浮かぶ聖堂に向かい、参拝客全員が祈りを捧げる。色とりどりのサリーやパンジャーブドレスの女性、ヒゲにターバンの男性たちが数千人、中央の聖堂に向かって頭を垂れ、男性たちは服を脱ぎ、池で沐浴を行っている。シク教最大の聖地。日本で言えば浅草浅草寺を10倍~100倍にしたような所だ。人々の顔や仕草を見ているだけで楽しく和めるし、どの方角にカメラを向けても画になる。16年前に訪れたヴァーラーナースィーを思い出したが、ヒンドゥーの寺院とは比べものにならないほど整備され、掃除も行き届いている。池の周りを歩いて周り、聖なる木や殉教地を見て、説法師や聖典を読む僧、楽隊などを目にする。
c0008520_1664859.jpg一時間以上かけて池を回り、出口から出ると、お土産屋にPLAY CLANをパクったようなカラフルな刺繍のTシャツを見つける。725ルピー。それから文化放送のリスナーのためのお土産を少々買い込む。
テンプルを後にし、お昼を食べるお店を探しにさ迷う。テンプルの近くはベジタリアン料理屋しかない。今日は肉が食べたい。歩き回ると、人の多さに疲れるばかりで、結局見つからない。そこで一旦宿に戻り、ネットでmoti mahal deluxeの場所を調べる。すると駅の向こう側の四つ星ホテルの中に入っていることがわかり、すぐにリキシャを飛ばし、20分かけてノンヴェジレストランへ。モティー・マハルはデリーの老舗店のフランチャイズ店なので、ハズレはないだろう。ホテルの二階の薄暗い店に入ると、だだっ広い店舗に午後1時でお客は僕達だけ。人気のない店なのかな? しかし、肉を食べたい! ボーイたちは昼飯時のブッフェを勧めてくるが、僕達はタンドゥーリチキンとビリヤニが食べたいだけだ。タンドゥーリカザーナというチキンの盛り合わせとラウナウ風チキンビリヤニ、ライタを頼む。それだけでたっぷり三人分はあった。ビールはパンジャーブ州特別製のキングフィッシャー・ストロング。ここで村山先生とは一旦別れ、一週間後にデリーで再会するため、これまでのパキスタン調査取材の成功を祝って乾杯する。
c0008520_1645048.jpgホテルに戻り、荷物を詰め、4時半にタクシーで国鉄駅に行くと、ドライバーが駅に着いた瞬間「ジャイプル行きはキャンセルされたよ」と言い出す。確かに今後の出発予定のLED掲示板に載っていない。エンクワイアリーに村山先生が並んで聞いてくれたが、やはりキャンセルだと言う。そこでデリーに行くにはどれに乗れば良いかまで聞いていただいた。すると10分後にシャダブディ急行があるという。村山先生とタクシー運ちゃんとチケット売り場に向かうと、だだっ広いチケット売り場、カウンターだけで10個は並んでいる所に人人人! 巡礼客の家族連れが、暗いチケット売り場に溢れている。間に合わないことは間違いない。村山先生が買ったチケットの払い戻しの場所を調べるというので、僕はゆりこの所に戻り、状況を説明する。横に物欲しげなオッサンが立って、こちらを見つめている。「僕達の電車はキャンセルになっちゃった、どうしたらいいか?」とヒンディー語で言うと、「ジャイプル行きは最近キャンセルになった。他の電車は普通電車だから、長い時間がかかるぞ。夜行バスに乗れば明朝にデリーに着く」とヒンディー語で返される。そうか、その手があったか。しかし、夜行バスまではまだ時間がある。一旦ホテルに引き返すか? 村山先生とドライバーが戻ってきて、払い戻し事務所は現金で買った人用で、僕のように日本からインターネットで買った人用ではないとのこと。それはそうだ。一旦ホテルに戻ろうとタクシーを走らせると、運転手が近くに私営バスの発着所があると言い出したので、急遽予定を変更し、夜行バスでデリーに向かうことにする。
c0008520_1610314.jpgバス会社はSAI Travel、バスの種類はVOLVO、出発は夜の9時半、値段は二人で1500ルピー=2500円だ。グレードにもよるが電車よりもバスのほうが高いのか! チケットを買い、二つのスーツケースを預け、残りの三時間をどこかで時間をつぶすため、辺りを歩くことにする。すると目の前にグランドホテルという庭の広いホテルと併設のバーを見つけ、そこに入る。国鉄駅の真ん前にあるこのホテルは英国時代の何かの宿舎を改装したのだろうか? 表は駅前の雑踏でウルサイのに、庭に入ると、その喧噪から逃れることが出来た。昼飯に続き、またまたキングフィッシャーのストロングを頼み、乾杯する。ゆりこがあと三時間横になって休みたいというので、700ルピー(1160円)払って部屋を三時間だけ借りることにする。一階の暗い部屋で部屋は細長くそこそこ広いが、長い間使われた形跡がないため、ベッドもソファもダニがいそうだ。
 村山先生は駅に戻り明日の電車のチケットを買いに行った。僕とゆりこは暗く湿気のある部屋でうつらうつらしてしまい、村山先生が戻るともう8時半。荷物をまとめ、9時きっかりに出発。バスの前で村山先生と別れる。9日間ずいぶん色々とお世話になりました。本当にありがとうございました。ずいぶん気を遣っていただいたので、しばらく一人になってゆっくり休んで下さい。
 c0008520_1644827.jpg荷物をトランクに預け、バスに乗り込むが、出発の9時半になってもまったく出発する気配がないし、第一にお客が集まっていない。10時近くになってやっと2/3が埋まり、その後も三々五々お客が集まり、全員が揃い出発したのは午後10時半だった。最初からその時間だったんじゃないか? バスが走り出すと、テレビが点き、いきなり最新のボリウッド映画上映が始まる。しかも一枚のDVDに5作品も入っている「海賊盤のコンビネーションDVD」で、音はMP3特有のビリビリで、低音が全く無く、更に映像もボロボロだ。映画は公開されたばかりの「Players」。16年前にゴアからボンベイまで乗った夜行バスを思い出す展開だ。しかし僕達は耳栓を常に携帯しているので、爆音は半分以下に抑えることが出来、いつの間にか眠っていた。
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# by salamunagami | 2012-03-09 16:11 | エキゾ旅行  

The 1st. Trip to Pakistan

c0008520_13531347.jpgはじめてのパキスタン調査取材旅行を終えて
 
 初めて訪れたパキスタン、正直言うと、行く前はあまり乗り気がしなかった。欧米や日本のニュースから入ってくるきな臭い情報、10年以上も昔のバックパッカーたちによる泥棒宿事件の報告、さらには日本国内で一部のパキスタン人が起こした問題、そして何より僕はインドに10回以上も行っているので、インド人側からパキスタンを見てしまっていた。インドという比較的自由に旅が出来る国が横にあるのに、わざわざ旅するにも問題ばかりが多い国に行く必要なんてない、そう思っていたのだ。
 しかし、百聞は一見にしかず、である。今回たった8泊しかしていないが、幾つかの発見により、僕は再びパキスタンを訪れたくなった。その発見をここで紹介したい。
 まず第一に

c0008520_13532175.jpg*インドよりも全般に料理が美味い! 特に肉!

 これは好き嫌いの問題だろうが、南インドのタミル・ナードゥやケーララならば人が集まっているレストランに入ればたいてい美味いものが食べられるが、北インド(デリーやカルカッタやラージャスターン州、グジャラート州、ボンベイ)では相当に店を選ばない限り、美味い飯にはあたらない。もちろん僕は美味い店しか行かないようにしているが、それでも時々大ハズレをつかむ。それに対しパキスタンでは、インドのカレーのようなマサラーのマジックは全くないものの、鶏肉、羊肉の品質に対するこだわりは半端ない。特にペシャーワル料理、アフガン料理、そしてパンジャーブ料理。繊細な料理は少なく、山男っぽい料理が多いのだが、日本の炭火焼き肉やシュラスコの美味い店以上に肉への愛情が感じられた。あっ、僕は100%ノンヴェジタリアンなので、ヴェジ飯については知らないし、興味もありませんが。
 
 そして次に

c0008520_13532537.jpg*インドよりもチャーイが美味い

 今回インドに入国して失望しているのがチャーイ。年々本物のチャーイを入れてくれる店は減っていたが、ここに来てティーパックにスキムミルクが完全にデフォルトになってしまった。パキスタンではチャーイの入れかた一つにもこだわりがあり、ミルクと水の割合が絶妙だったので砂糖なしでも十分に美味く感じられた。インドに来たら、ティーパックの出がらしを薄めたような水とミルクの分離した味で、今日からはもうチャーイを頼むのを止めることにした。
  
*インドよりも物価が安い
食事から宿代、交通費など、インドの2/3から半分くらいに感じられる。10年前のインドくらいだろうか。
 
*インドよりも人口密度が低く、静かに旅が出来る。
インドに入国してウンザリしたのが、人の多さ。わかってはいたつもりだが、客引きやタクシー運ちゃんの数はインドのほうが段違いに多く、その分しつこい。

c0008520_13591918.jpg*インド以上に人が親切
 外国人旅行者がほんとうに少ないので、どこに行っても珍しがられるし、その上イスラーム教国なので歓待を受けることも多い。それと同時に、テロ事件などは外国人が起こしているので、外国人を警戒する人もいることも確かだ。

そして僕の専門である音楽に関していえば
*パキスタンのカウワーリーはインドのカウワーリーよりも数倍ダイナミックでエンタテインメント的

*インドと中央アジア~トゥルキスタン諸国や中東(イラン~トルコ)などを繋ぐ民族音楽


c0008520_1359207.jpgここまで興味深い点、素晴らしい点があるのだから、僕は今回限りでパキスタン調査取材を終わらせるわけにいかなくなった。来年以降、今回行けなかった場所や今回もう少し滞在したかった場所を再訪することになるだろう。



c0008520_1359278.jpg逆にパキスタンを調査取材するにあたっての問題点は

*外国人を警戒している。

*英語が通じにくい


c0008520_146230.jpg*クレジットカードが使えない

*女性の一人旅行は難易度が高い

*旅行者が圧倒的に少ないため、正確な最新情報が外部に伝わってこない


などがあげられる。


c0008520_1405946.jpg国境の両替商が「パキスタンに外国人旅行者が減ってしまったのは、アメリカやヨーロッパでイスラム教の国に対して間違った報道がされているからだ。我々は常に悪者として世界中に伝わっている。そのせいで、必要以上に旅行者が減ってしまった」と言っていた。


c0008520_13592398.jpgほんの10年前までラホールにはアジアを東西に渡るバックパッカーたちが集まっていたという。しかし、今はバックパッカーの影も形もない。旅行を生業にしていた人達は一気に仕事を失ってしまった。現在のインドの隆盛を知ると、隣のパキスタンの凋落ぶりを目にするとビックリする。しかし40年前まではパキスタンはインドよりはるかに経済的に発展していたとも聞いた。腐敗した政府、そしてソ連のアフガン侵攻による難民の流入により、この国は立ち直れない痛手を受けてしまった。そしてアメリカのイラクやアフガン政策の犠牲としてのこの10年。
どんな国も右上がりに成長し続けることはない。現在のパキスタンの鎖国にも似た不幸な状況はこの国だけの問題ではない。いつ日本も似た状況にならないとは言えない。例えば、放射能で関東の人間の平均寿命が15年縮まったら、もう外国人は誰も来なくなるだろうからね。何がどう転ぶかはわからないよ。それなのにパキスタンを「危険な国」とひとくくりにしてしまうのは本当に良くない。自分でも反省しました!
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# by salamunagami | 2012-03-06 14:06 | エキゾ旅行  

3.3 Sat. Cross the Border

c0008520_1322746.jpg3月3日土曜
パキスタン~インド国境越え
朝7時に起きて、荷物をまとめる。今日はインドへの国境越えだ。8時すぎに朝食を取り、9時すぎに出発しようとしたら、バダル・アリー・ハーンが最後に挨拶に来ると言うので彼らを待つ。9時半にバダルとバハドゥルがステージ衣装のまま村山先生の部屋を訪ねてくる。今日から日本に来る21日まで連日公演、最大一日3ステージを行うらしい。売れっ子だなあ。忙しいだろうに、日本のためにスケジュールを一週間も空けてくれたのだ。
彼らは日本のビザを取得するために5人でイスラマバードに行き、マネージャーのアトハルサンと一緒にビザ申請の手続きを済ませていた。申請手続きは無事終了したが、まだパスポートは戻ってきていないので、最後の最後まで気は抜けないのだが。
c0008520_1323392.jpg僕も今回初めて知ったのだが、現在、パキスタン人が音楽公演のために日本ビザを取るのは非常に困難なのだ。今回の企画は当然在日パキスタン大使たちが尽力しているのだが、それでも彼らの興業ビザが下りるかどうかは最後の最後までわからない。バブル期以降、パキスタン人は日本において無視出来ない犯罪(最近も成田空港の入管で仮病を使って三人が逃亡したりね)をおかしてきたため、非常に評判が悪くなってしまっているのだそうだ。
カウワーリーの公演も今回が日本では五年ぶり、欧米ではもちろんごくごく普通に行われているが、日本では次はいつ実現出来るかはわからない。アメリカ人やインド人の音楽家のように「日本公演喜んでいつでも来ます!」とは間違っても言えない状況なのだ。
c0008520_1323038.jpg今回のバダル・アリー・ハーンの来日も村山先生と彼らが五年前から企画してきた。それが今月末に代々木公園で行われる「パキスタンバザール」の予算枠を使って初めて財政的になんとか形になり始めた。在日のパキスタン大使館がバダルたちに対する推薦状を書いてくれた。来日時の宿泊施設も提供してくれた。そこまでやればビザなんて簡単に取得出来るような気がするが、それでもパキスタン人の日本ビザはそう簡単には下りない。そのためにこれまで村山先生は何度も自費でイスラマバード、ラホールまで来て打ち合わせを行ってきた。全て無償の行為である。日本においては経済的にも社会的にも見返りはほとんどないだろう。それでもそこまでお金や時間や人間力をかける価値があると思っているのだ。
面倒だったビザの煩雑な手続きもついに最終段階にいたった。パスポートが受諾されているのだから、あとはビザが張られて帰ってくるのを待つだけだ。
c0008520_1324727.jpg日本の音楽業界とその周辺業界が崩れてしまった今、僕のような専業の音楽ライターもその多くが姿を消しつつある。今後、カウワーリーのような、いわば辺境の音楽が日本にきちんとした形で紹介される機会は確実に減っていくだろう。こうした音楽が日本に届くのは、youtubeを通じて、だれか先物買いの音楽好きによって発見されて、「ヤバイ!」という言葉で消費される程度がオチだろう。どんなにネットで自由に情報が交換されるようになっても、カウワーリーにはどんな意味があるのか、正確に知るにはここに来るしかないのだ。
今回ラホールで出会ったサッチャルステューディオのプロデューサー、マジードさんのようなタニマチ(スタジオに何億円つぎ込んでいるのだろうか? 回収は絶対に出来ないはず)、ミカール・ハサンの家族のような筋金入りの高等遊民家族、そしてバダルたちを支える地域のコミュニティーがこうした音楽を救っていく。その動きを僕はどこまで追いかけることが出来るだろうか? 音楽ライターという仕事自体が消えつつあるこの時代に。

 c0008520_1325220.jpgバダルたちと別れ、10時すぎにチェックアウトし、タクシーに乗って国境へ。30kmの道はパンジャーブならではの農村地帯に緑が広がっている。春の訪れで窓を開けると草のニオイが充満している。排気ガスから一時とはいえ逃れられた。きれいに舗装された新しい道のため、30分ほどで国境に着く。タクシーを降りると、野外のカフェに両替商が寄ってくる。残っていたパキスタンルピーをインドルピーに換金し、米ドルも少々インドルピーに換える。畑の向こうはインド、どちらも同じ芥子菜が植えられている。両替商はこの国境地区で農家の家に生まれた。インパ戦争のたびに畑を戦場に変えられ、避難生活をし、戦争が終わるたびに戻ってきて農業を行い、近年は両国を行き来する旅人相手の両替商と喫茶店を生業としている。「オレは世界170国以上のお金をコレクションしているよ。その中には日本政府の刷った日本ドル札と日本ルピー札もあるよ」という。戦後のOccupied Japan体制時に日本ドルが刷られていたとは聞いたことがあるが、日本ルピーまで刷られていたとは?
c0008520_132488.jpgパキスタンからインドへの国境を越える手続きは面倒で、インド側のカスタムで嫌がらせを受けたり、荷物を抜かれたりすると聞いていた。そのためかなり気合いを入れてきたのだが、パキスタン側のボーダーはこんな感じで人が少なくのんびりしてる。お茶を飲み、ポーターを雇い、出国手続きの事務所に入る。10時40分、出国カウンターの前に立つが、計画停電でカウンターが閉まっている。11時まで待ってくれと言われる。その間、オフィサー達と村山先生はスーフィーの詩について話している。僕たちはデリーで行われるニザームウッディーン廟の聖者命日祭に招待されているのだと告げると、それはうらやましいと。
c0008520_1325498.jpg11時に電気が戻り、PCが立ち上がり、無事に出国。建物を出ると、目の前にパキスタンとインドの国境だ。踏み越えると、軍服の色がカーキグリーンのおなじみインド軍に迎えられる。「サラームアリクム」ではなく「ナマステー!」である。インドの領土に無事入った。そこでもポーターを三つの荷物で150インドルピーで雇い、入国管理へ、扇風機にあたった役人たちが5人横に並んだ窓口、当然ながら、僕達だけしかいない。僕を対応してくれた役人は頭にターバンを巻いたシク教徒。「サトスリアカールジー」とシクの挨拶をする。どうしたらこんなにトロトロと仕事が出来るのだろうと思うほどゆっくりと自分のペースで僕のパスポート情報を打ち込み、やっと「ポン」とインド入国のハンコを押してくれた。続いて、荷物をX線に通し、同じ建物の別の場所で書類とパスポートに目を通された。さて、次は何だろう? 入国時の嫌がらせや荷物全部オープンは何処で行うのだろう?と思っていたら、ポーターが道端の茶屋で荷物を下ろした。茶屋の主人が「インドへようこそ、チャーイ、コカコーラ、ビールもあるよ」と話しかけてくる。その横で国境セレモニーのドキュメンタリーDVDを持った売人が、DVD一枚100、二枚で幾らなどとしつこく話しかけてくる。タクシー運ちゃんも「どこに行くんだ?」と。ウルサイ!っつーんだ! ああこれこそインドだ! パキスタンとは人口密度が違うのだ。はて、ということはもう出入国の手続きは終わってた? あっという間に、とは言わないが、いつの間にか全部の手続きを終えていたらしい。意地悪どころかオフィサーたち全員親切だったじゃん! 村山先生がウルドゥ-/ヒンディーを話してくれたおかげだろうが。
 
c0008520_1325449.jpgタクシーで35km離れたアムリットサルまで言い値は700ルピーとのこと。今1ルピーが1.65円なので、1200円くらいか。まあイイよとタクシーに乗り込み、一路アムリットサルへ。車の中で時計の針を30分進める。午後12時45分だった。
 アムリットサルに近づくにつれ、人がゴチャっと増える。パーキスターンのパーキとは「清浄」という意味だが、確かにインドは人口が多すぎて、町が汚い。パキスタンはそこそここぎれいだった。今までのウルドゥー~ペルシャ文字に対して、インドに入ったらデーヴァナガーリー文字なので全部読めるぞ!と思っていたら、アムリットサルはパンジャーブ人の州なのでグルムキー文字で全然読めなかった。それでも銀行や全国区の企業の広告くらいは読めるようになっていた。1年半ヒンディー語を習い続けてきて良かった!
 アムリットサルの国鉄駅を越え、ゴールデンテンプルに近いロータリーで車を下ろされる。次はゴールデンテンプル前のホテルまでサイクルリキシャ二台に乗って狭い道を進む。5分後、午後1時過ぎに狙っていたホテルCJインターナショナル着。リキシャに荷物を置いたまま村山先生がホテルを見に行くが、残念ながら一部屋しか空いていなかった。インドの人気ホテルは絶対に予約しないと空いていない。それは僕の本「プラネットインディア インド・エキゾ音楽紀行」にも書いておいた鉄則だったのだが、一泊だけだったので予約をつい忘れてしまったのだ。しかたないので荷物を置いたまま村山先生とゆりこが隣のホテルINDUSをチェックしにいく。安そうなホテルだが場所は良いので良しとしよう。
 ホテルにチェックイン。部屋は狭いが屋上がカフェになっていて、目の前にゴールデンテンプルが広がる。お茶を飲み、村山先生を誘って昼飯に出かける。ホテルのレストランメニューはいかにもインドの安宿のベジタリアンメニューでまったくそそられない。
 c0008520_139644.jpgゴールデンテンプル参道はものすごい参拝客ラッシュ、そこを元来た道に沿って新市街や駅の方面に10分も歩くと、人混みのせいでゲキ疲れてしまう。バリスタやカフェ・コーヒーデイなどのスタバ系コーヒーハウスを見つける。パキスタンで困ったのがアルコールとコーヒーだった。その近くにパンジャーブのベジ料理店を発見し、ターリーが150ルピーだったのでそれを頼む。バターの塗られたロティー二枚とジーラライス、カレーはダール・マッカニというバター小豆カレーとベジコルマ、両方ともクリーミーでバターたっぷり。その他にヨーグルトと自家製の玉葱亜チャールとマンゴのアチャールが付く。ボリュームたっぷりで味もしっかりしていて美味い。しかし、この店にはアルコールはない。お腹いっぱいになったので更に駅のほうまで歩いてみると、途中、古いホテルの中に入ったレストランがコンチネンタル~タイ料理と書いてあったので、とりあえず入ってみる。燻した古いホテルの6階に上ると、窓のカーテンをきっちり閉め、外の熱気が入らないようにした燻したフロア。もちろんお客は誰もいない。
 「ビールはありますか?」と聞くと、ありますよと。値段は90ルピーだと言う。安い! 「ストロングかライトか?」とも聞かれたので当然ストロング!と答える。すると、使いのガキがレストランからお金を握りしめて走りだして行った。どこか酒屋に行って買ってくるのだろう。アムリットサルはラホールからたった65kmしか離れていないのに、急に日差しが強くなり、昼間はTシャツだけでいられそうだ。ビルの最上階のレストランは窓からの熱が暑くこもっている。
 15分ほど待つと、少年が、ビール二本を持って戻ってきた。やはり外の酒屋で買ったな。グラス3つを受け取り、ビールで乾杯。パキスタン8日間の調査取材が無事成功したことの祝杯だ。2本を空けると、妙に眠くなってきたので、サイクルリキシャに乗り、午後5時に宿に戻る。
 宿に戻ると眠くてたまらない。まあ連日早起きしていたから、アルコールで疲れが表に出たのだろう。そのままベッドの上で寝入ってしまった。
隣の部屋でインド人夫婦が大声で口げんかを始めた。それがあまりにウルサイのと、筒抜けなので「お前ら黙れ、全部聞こえているんだよ~!ボケー!」と日本語で叫び返すと、途端に声が小さくなった。周りはすっかり暗くなっている。時計を見ると午後8時半。あれっ、三時間半も寝ていたか! 
c0008520_139714.jpg村山先生を誘い、屋上に登ると、目の前のゴールデンテンプルがライトアップされ、聖なる池の周りに沢山の参拝客が残り、バジャンを歌っている。その手前では夜8時を過ぎているのに、まだ道路工事の騒音が続いている。パキスタンと比べてインドはやはりウルサイなあ。人口も多いし、一つ一つの動きが全て大きな主張をしている。しかし、昼の30度近い暑さが嘘のように夜は冷え込んでいる。まだ春は始まったばかりなのだ。
 夕食は腹が減らないので、チャーイだけで済ます。パンジャーブ料理はバターが多すぎるよ!
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# by salamunagami | 2012-03-06 13:06 | エキゾ旅行  

3.2. Fri. Alone in Lahore

c0008520_12523273.jpg3月2日金曜
GPOとホテル缶詰原稿書き

朝方になって、妻の風邪が本格化して全身が痛いと言い出す。大丈夫だよ、それは筋肉痛だって! 8時過ぎに今度はお風呂のお湯が出ない。ボーイを呼び出し、一時間かけてお湯が出るようにしてもらう。僕はその間に日記と原稿書き。朝食を済ませ、午前10時に妻が買った服を着て屋上の日陰でパキスタニー・ファッション撮影会を行うと、ボーイ達が珍しそうに寄ってくる。
c0008520_12524367.jpg11時までに日本に送りたい荷物をまとめ、近くの本屋でガムテープを買い、リキシャに乗ってGPOに向かう。GPOはホテルから数百メートルの距離だ。入り口の炎天下に陣取っている野外パーセルワーラー(白い布と段ポールで梱包してくれる係)に荷物を渡すと、荷物をちょうどいい塩梅に配分して梱包を始めてくれる。しかし午前中の業務が11時半までだったらしく、荷物は詰め終わったものの、郵便局の受付には間に合わず、午後2時過ぎに出直せと言われる。そのまま荷物をパーセルワーラーのオッサンに預け、ゆりこと村山先生はフォートレスプラザに最後の買い物に出かける。僕はホテルに戻り、たまっていた日記と原稿を書くことにする。
 ホテルに戻ると、部屋掃除はされていないが、まあ一泊くらい問題はない。それよりも腹が減ったので、ルームサービスで一人チキンビリヤニを頼む。200ルピーで、僕が望んでいた炊き込みビリヤニではなく、チキンカレーを長粒米にあえただけのものだったが、量が大量すぎて驚く。半分食べればちょうど良いくらいなのに半分以上食べてしまって、腹いっぱいだ。
 給仕のボーイ、ハッサン・ラザル君はアマチュアの歌手らしく、古典、軽古典、パンジャーブ民謡、カウワーリーなんでも歌えると言う。前日にゆりこが寄ったショール屋のアニキもそうだったが、僕達の周りにはなぜか音楽家が近づいてくる。お皿を受け取りに来たとき、50円ほどチップを渡し、「次回は歌ってみてよ」とヒンディー語で言うと、「今ここで歌うよ、何が聞きたい?」と言うので、古典と答えるとその場で、ガザルのような歌を歌い出した。村山先生にヒンディー語を1年半習っているので、歌詞全部の意味はわからなくとも聞き取れるフレーズが多くて、何を歌っているかくらいはわかる。勉強しておいて良かった。
 古典に続いて、フォーク、そしてヌスラットで有名な「マスト・マスト」をフルコーラス歌ってくれた。もちろんビデオに撮らせてもらった。帰り際に「ナイス・ミーティング」と言って帰って言った。パキスタンにいながら音楽で食うのは本当に難しいだろうが、趣味で古典声楽を学んでいる人は今もいるのだ。
 午後2時35分、やっと日記が現実に追いついた。ではここまでを写真とともにブログにアップし、たまっていた原稿を終わらせよう。編集者の皆さんご心配をおかけしました。まもなく入稿致します。
 ブログをアップし始めるが、回線が遅いため一つの記事につき15分くらいかかる。その間に風呂の湯をためるが、こちらもなかなか熱い湯が出ない。なんとか風呂をため、湯につかると電話が鳴り始めた。ゆりこと村山先生が帰ってきたようだ。
 ゆりこに聞くと、郵便は送れたが、フォートレスプラザではパキスタンルピーがなく、何一つ買えずに帰ってきたと言う。両替所は閉まり、米ドルも日本円も受け取らず、クレジットカードもドメスティックしか受け付けない。クレジットカードって元々インターナショナルに安全な買い物をするために作られたものなのに、ドメスティック・カードしか使えないってなんだよ? 支離滅裂じゃん! しかもそこまでの道筋に二度のパスポートチェックがあったという。そして夕方からはスタジアムで何かの試合があるため、女性一人の外出は危険かもしれないとのこと。僕はまだ原稿書き中なので、着いては行けないから、ゆりこの買い物も残念ながらここまでだ。これで打ち止め。この国では、まだ旅は一期一会ということなのだ。欲しいものは見つけた時に2個でも3個でも買っておかねばダメだ。
 そういえば「旅は一期一会」「オレの旅の主役はオレ」「約束は破り破られるモノ、最初から約束するな」「出来るだけ慇懃無礼な態度で旅をしろ」「No! I'm NOT Your Friend」とは僕の6年前の本「プラネットインディア インド・エキゾ音楽紀行」の巻末「サラーム流インド旅行術」にある。
 仕事が終わらない僕を置いて、ゆりこと村山先生はJICAの大橋さんとアービッドさんの車に乗って、郊外の聖者廟に出かけていった。僕は相変わらず日本に向かって音楽を聴き、原稿を書き進める。午後5時45分すぎ、夕暮れのアザーンが窓の外から流れてきた。
 原稿仕事を進め、メールにて入稿すると、夜の8時前、ゆりこから電話を受け、一行は近郊の聖者廟の村で歓待を受け、戻りは9時過ぎになるだろうとのこと。それまで一寝入りしていよう。
c0008520_12523795.jpg夜10時前にゆりこたちが戻ってきたので、大橋さんの車に乗り、夕食に出かける。その前にまず、ゆりこの買い物のためフォートレスプラザに戻る。こちらは一台の車に7人が乗っているのだが、チェックポイントは素通りできた。そしてプラザの駐車場は夜10時過ぎにもかかわらずゲキ混みだった。パキスタン人は夜行性とはわかってきたが、お店もこんな遅くに混みだすのか?日本じゃこんな時間までショッピングセンターが開いていたのは90年代のバブル期の頃だけで、今では放射能まみれの早寝早起き健康志向が徹底してるのに。しかも日本車や韓国車など新しめの車ばかりが並んでいる。なんだ、昼間チェックポイントで検問を受けたのはオートリキシャなんて貧乏臭いものに乗って乗り付けたせいだったのか。タクシーさえきちんとチャーターすれば検問所はスルー出来たのだ。リキシャに外国人が乗っているから怪しいと思われたのだろう。
 夜のショッピングモールでは女性たちが買い物のため活発に動いている。ゆりこが色々と試着している間に次々に地元の中産階級家族がお店に入り、出ていった。
 四着買い物をすませ、車に乗り夕飯へ。今夜はフォートレスの近くにあるペシャーワル料理店へ。広いお店の中は編み上げ簡易ベッドが並び、白いプラスティックの低いテープルが並んでいる。街道沿いのトラック運ちゃん用の食堂兼宿泊スペースであるダーバーをそのまま再現しているのだ。真ん中に仕切りがあり、ファミリー席と野郎席が完全に分けられている。ぼくたちはファミリー席。隣のテーブルには美人姉妹、反対側にも全身ブルカの女性たちが座っていた。村山先生とアービッドさんはこのダーバー仕様にたいへんくつろいでいて、膝を合わせながら、なにやらスーフィーの詩について談義を始めた。メニューはなく、アービッドさんが頼んでくれた。
c0008520_12524336.jpgまず1kgほどの羊のバーベキュー。先日フードストリートでいただいたのと同じタイプで、マサラにつけ込み、炭火で焼いたもの。そして鶏のBBQには青唐辛子の輪切りが添えられている。こちらもジビエの鴨なみに味が濃い。そしてメインディッシュはドンバ羊というお尻に脂肪がたまる特別な羊を使ったカラヒー。巨大な金属の鍋でグツグツと炒め煮にしたものだ。運ばれてきた器自体がそのカラヒーという鍋である。中には1.5kgの羊肉。これが猛烈にかみ応えのある羊肉。ナーンもものすごく分厚くて粉の味がするアフガンスタイルだ。最初から最後まで肉づくし、野菜はちょっとサラダが付いただけ。それなのに大満足だ。アフガン料理、日本にないかなあ? あったとしてもこんな大量の肉は出てこないよなあ。あっ、東中野のパオはペシャーワル料理なかなか美味しいですよ。22日のバダル・アリー・ハーンの公演後は一階のパオで夕飯でしょう!
c0008520_12543618.jpg食後はカルダモンを使った緑茶、砂糖も入っていて、レモンをちょっと絞っていただく。これもインドに行くと見たことないアフガンスタイルのお茶だ。腹いっぱい食べると12時過ぎ。周りのテーブルでは今頃食べ始めた家族も多い。こんな夜中に肉だけ食べてれば太るぞ~!
 ホテルまで送ってもらい、大橋さん、アービッドさんと別れ、部屋に戻り、就寝。
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# by salamunagami | 2012-03-06 12:55 | エキゾ旅行  

3.1 Thu. Trance by Dhammal!!

c0008520_2241734.jpg3月1日木曜
ダンマールでトランス!

 朝6時半に目が覚める。9時間も寝ていたようだ。写真を取り込み、たまっていた日記を書くが、まだまだ間に合いそうにないので、撮った写真を厳選したものだけを前もってfacebookにアップする。
 10時半、妻の買い物のためリバティープラザという商店街に向かう。ここにはイスラマバードで気に入って何着も服を買ったブティックの支店があるのだ。リキシャに乗り20分ほどで到着。入り口はCD売り場の入った本屋があった。商品はなんと海賊盤ではなく基本的に正規盤だった。しかも先日買った店の2/3の値段だ。というわけで店員に勧められるがままに30枚ほどCDを買う。村山先生もたっぷり買い込み、ゆりこはパキスタンの女性ファッション雑誌を数冊買う。本屋を出ると数軒先にお目当てのお店を発見。そこでああだこうだとチェックするが、手持ちのルピーが足りないので、両替所の場所を教えてもらい、更に先までそぞろ歩きをする。このショッピングセンター街は扇型に広がっていて、扇の辺を歩いていると延々と続いているように思えエルが、実は端から端までは100mくらいなのではないだろうか? 目の錯覚を上手く使った建築だ。今日はいつにもまして暑い。日向は30度近いのではないだろうか? 両替を済ませ、今度は裏通りの昔ながらの商店街を歩いて回ると、ショール屋を発見し、ゆりこは交渉の末にかなり高価なショールを幾つか手に入れる。ショッピングしていると時間の経つのは早い。最初の店にお金を払いに行くと、既に2時半になっていた。宿に戻ろう! 3時10分に戻り、昼食はルームサービスでマトンカライーに初挑戦。カライーとはパキスタン料理で、一つの鍋で炒め煮にしたカレーのこと。大量の油と大量の肉、スパイスは特に凝ってはいない。45分もかかって届いたマトンカライーはマトンが1kgも使われていて、深皿の上に油の層が2cmくらい浮いている。さすがに地元名物料理だけにルームサービスでも外れはない。素朴な料理だが、肉が良いのか、とても柔らかく、カレー味がしみこんでいる。それをナーンをちぎって、ヨーグルトをたっぷりかけて頂くのだ。これはゼロ活力鍋を使えば加圧時間ゼロ分で同じものが作れるはず。ラホールにいる間に高級店でマトンカライーを頼んでみたくなった。

c0008520_2293787.jpg4時にJicaの大橋さんとアビッドさんと待ち合わせ、郊外のダルガーに行く予定ではあったが、JICAの二人は仕事が終わらずに急遽中止となった。そこでしばらく休んでから、パキスタンにおけるスーフィー聖者信仰の中心地で、カウワーリーのお膝元ダータ・ガンジ・バクシュ・ハジュベリ廟を訪ねることにした。6時前にリキシャに乗って出発。ちょうど夕暮れ時で、市内の道はゲキ渋滞。空気は10年前に初めて訪れたチェンナイなみに排ガスだらけ。鼻の穴の中真っ黒になってるはず。渋滞を抜けて、6時半にダータ廟に着いたが、木曜の夜で参拝客がごった返し、入り口からカオス状態。すぐに村山先生とはぐれてしまい、しばらくして見つけるが、男女は入り口が別々なので、ゆりこを女性入り口まで連れて行き、僕と村山先生は男性入り口から荷物チェックを受けて入る。するとすぐに携帯が鳴るので、出ると、妻が女性入り口の荷物チェックに引っかかり、女性がカメラを持っているということで入場出来ないと言う。女性がカメラを持っていると爆弾テロだと関連づけられるのか? 本来は男性もカメラを持っては入れないようだが、チェックが甘くなっているようだ。つ〜か、このスマートフォン時代にカメラチェックなんてどうやったって無理だよ。仕方ないのでダータ廟は諦め、女性入り口に向かい、ゆりこと合流し、人混みから離れる。カウワーリーの総本山のような場所だけに一度はお参りしたかったのだが、今回は縁がないようだ。

c0008520_2231514.jpg入り口近くのお守り屋で、お守りをいくつか買い、リキシャに乗って今度はシャー・フセイン廟へと向かう。こちらは「宗教的な乱痴気騒ぎ」を意味する「ダンマール」が集まる場所である。ダンマールは数年前に来日公演も行われたが、長髪の修行僧たちが大太鼓ドールの叩き出すバングラに似たリズムに合わせ、猛烈な速さで頭を振り回し、旋回し、トランスへと至る超高速宗教トランス音楽とその縁者達を指す。廟に向かう途中でアザーンが鳴りだした。着く頃にはダンマールは休んでいるとのこと。

c0008520_2225935.jpgインドのニザームウッディーン廟の境内によく似た道を進むと、ダルガーの入り口に着く。リキシャの運ちゃんには帰り道まで待っているからと言われる。廟に入ると、先ほどのダータ廟とは異なり、女性参拝客や子供連れの参拝客が多く、廟の前には巨大な丸い釜に火が焚かれ、その炎に向けて参拝客が願掛けをしている。それって全然イスラームじゃないじゃん!と思うが、これが南アジア〜インド亜大陸的なイスラームなのだ。

c0008520_2231585.jpg廟の入り口で花ビラを50ルピー分買い、中に入り、聖者のお墓に花びらを振りかけ、お墓を触ってバラカを得る。お土産のおこわをいただいた。聖者廟には女性は入れないが、奥にある小さな別のほこらには女性は入れるので、そちらは女性客がいっぱいだ。境内の一角で座り込んでいると奥のほうで男性たちがジクルを始めた。それをビデオに撮ろうとしていると、家族連れの女性たちがゆりこのほうに話しかけ、言葉も通じないのに一緒に並んで写真を撮りたがる。若い女性の写真を撮ることは難しいので、折角なので喜んで写真を撮らせてもらう。

c0008520_2231211.jpgジクルが一段落した頃に外から激しいドールのリズムが聞こえてくる。ダンマールが始まったようだ。廟の門を出ると真っ暗な路上に人だかりが出来、そこの真ん中に5〜6人の長髪の修行僧たちが頭を超高速で振り回している。僕達が人垣の外から見ていると、地域の親切なおじさんが道を開け、主催者側の特等席を用意してくれた。そこで灯りがないのでストロボを使って撮影していると、どうも彼らが光りを気にするらしいので、すぐにフラッシュは用いずに自然光のみで写真撮影することにした。

c0008520_2239100.jpgビデオも撮影したのだが、真っ暗闇に降り乱れる長髪のシルエットしか映り混まないので、途中から写真一本にした。特等席の端に立ち上がって、カメラを構えると、シャッター速度は1秒〜0.8秒で、回転する軌跡しか写っていない。シャッター速度を0.3秒くらいにすると露出はアンダーだが、多少は踊り狂う人々の表情が写り混んできた。

c0008520_2231265.jpg僕が写真を撮り、村山先生がビデオを撮る間、ゆりこは親切なおじさんに花束贈呈まで受け、夕飯までおごらせてくれと言い出された。村山先生によると、地域のダンマールの会に外国人、しかも女性までが興味を持ってくれることは地域にとって誇りなので、親切なおじさんが現れたのだと言う。その花束贈呈を見た村山先生は、「パキスタンの男気すごいですね。日本でも男はあそこまでやらないとダメでしょうか?」と言い出したので、「いえいえ、あれはやり過ぎです。日本で知らない女性にそんなことやったらダメですよ」と妻が諭すことになった。 

c0008520_223118.jpg10時前に待っていてくれたリキシャに乗りホテルに向かう。リキシャの運ちゃんはダンマールが大好きで、毎晩見に行っているという。なんだ趣味と実益を兼ねていただけなのだ。
 宿に戻り、ルームサービスで夕食を食べると、もう12時。全身が筋肉痛。妻は排気ガスに喉をやられ、風邪をひいたという。写真を取り込み、一時前に寝る。
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# by salamunagami | 2012-03-02 22:10 | エキゾ旅行