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Egypte 08, Is Cairo Burning, or Not?

c0008520_1932121.jpg朝8時に起きる。ネットをチェックすると、日本でも今回のカイロのデモが半日遅れで報道サレ始めている。
テレビを点けると、BBC、CNN、アルジャジーラ英語放送でも相変わらず昨日の映像が繰り返し流れている。まだ今日は動きがないのだろう。
ちょっとお腹がもたれている。日本を出て一月、昨夜は中華料理を食べたけど、ずっと外食が続いてきたから、さすがに胃が疲れてきたのかな。それともこの宿の朝食に出てくる豚肉の生ハムとサラミのせいかも。ドイツ人はこの国にまで豚肉を持ち込んですごいなあ。実際、ドイツ製生ハムの旨味は何物にも代え難い。ブッフェ形式の朝飯で豚肉を前にすると、どうしても手が伸びてしまう。だが、やっぱりこの国の食事とは相容れない気がする。それが僕の胃袋の中で戦っているのだ。
朝食後、レセプションのガブ(ガブリエラ)に、タハリールはどうなってるのと聞くと、
「私達にもわからないわ。知っての通り、地元の放送局からは何も流れてこないから。たった数キロの距離なのに。さっきラムセス広場(ダウンタウンの北)から来たお客は何事もなかったと言っていたけど、私は何も言えないわ。強いて言うならダウンタウンに近づかないほうが安全よ。ピラミッドの方角は安全だろうけど、興味ないわよね(笑)」
日記を書くが、今日はexciteブログへのアクセスが遅い。テキストまではアップ出来たが、写真はアップを諦めた。他の方法を考えないと。一部の報道ではfacebookやtwitterへのアクセスがブロックされたとのことだが、僕はこうしてアクセス出来ている。
さて、今日はダウンタウンに行けないとしたら、何をしようか? ピラミッドでも行く? ピラミッドの周りに巣くうオールドスタイルのポンビキどもには興味ないから、スフィンクスの目の前にあるピザハットまでタクシーでダイレクトに行ってもらって、屋上テラスでピラミッド眺めながら、ピザでも食う? 
ホテルのレセプションで再びガブに声をかけられた。
「良い一日を」
「ピラミッドとスフィンクスの見えるピザハットで日光浴してくるよ」
「他のお客から聞いたんだけど、バリーズというレストランでも屋上テラスからピラミッドが間近に見えるらしいわよ。ピザハットより美味しいといいわね(笑)」
c0008520_19325132.jpgホテルを出ても、すぐにはタクシーに乗る気にならなかったので、ホテルから真っ正面に歩いた所にあるらしいアメリカン大学の本屋を探した。すると5分ほど歩いた左側の建物の一階に入っていた。妻はLast Hammam in Cairoという写真集を見つけた。カイロの消えゆくハマムがテーマの写真集だ。中を見ると、トルコにあるハマムをそっくりそのまま模したハマムが猛烈に汚くいぶした状態で写っている。日本の銭湯も生き残りが難しいが、カイロはもっと高層マンション暮らしだから、ハマムなんて行くことなくなっちゃったんだろうな。例えばフランス人のゲイ達が目を付けてくれて、エステティックに磨き上げれば、モロッコのリヤドみたいに再興出来るとは思うんだけどね。
僕は「精霊の街デリー」、「マルコ・ポーロクエスト―フビライの古都へ」の作者ウィリアム・ダルリンプルがオスマン帝国に散らばる経典の民の宗教の聖地を巡礼する紀行書「From the Holy Mountain」のペーパーバックを110le=1650円で見つけ、手に取る。日本に戻ったら英文の本を読む気にならなくなるので、旅の最中に読まないとなあ。ちょっと悩もう。
本屋を出ると、もはやピラミッドやスフィンクスへの興味は失せていた。ハーンハリーリーの友人ヌールに電話して、ハーンハリーリーの状況を聞こう。
「おお、サラームか。アンタ・ハビービ!」
「ヌール、あんたもハビービだよ! そっちに行きたいんだけど、状況はどう?」
「こっちは何も変わらず通常通りだよ。お店も全部開いてるし。いつでも来いよ。待ってるから!」
「了解。じゃあタクシー飛ばして行くよ」
と、あまりにそっけなく日常の会話が交わされたので、急遽予定を変更し、イスラミックカイロを散策することした。白いメータータクシーをつかまえて、ハーンハリーリーと告げると、運ちゃんもイヤな顔一つしない。
ザマレクから10月6日橋を通ればタハリール広場を通らずに街の東側に抜けられるはずなのだが、運ちゃんはいつも通りにザマレクを南下し、オベラハウスの横から東岸への橋を渡る。その先はタハリール広場じゃないか! 大丈夫か? 橋を渡ると、タハリールの近くには装甲車と機動隊、警察官が昨日の倍以上も詰めている。警備が厳重すぎて、これじゃデモどころじゃない。ustreamでは昨夜夜中過ぎまでタハリール近くの映像がリアルタイムで流れていたが、全員蹴散らされてしまったようだ。交通整理や警備の車が停車しているので、平常よりちょっと混雑していたが、それでも普通に通行出来る。ただ、ロータリーを回っている時の運ちゃんの顔は心なしか緊張していて、カメラを構える僕も、ピリピリした緊張感を感じた。
c0008520_19332760.jpgタハリールを抜け、旧オペラの所からアズハル橋に登ると、あっという間にハーンハリーリー地区に着いた。今日はイスラミックカイロの北側を歩こう。バブ・ までの道は最初のうちはスパイス屋や香水屋で外国人観光客の姿が目立つが、奥に行くに連れ、カフェやレストランの什器屋、モスクの屋上飾り屋など、ローカルな姿となる。 バブ・ まで歩き、戻る途中、中学校があり、その脇にゴテゴテと手作り装飾とマネキン人形で飾り付けたカフェを発見し、一休み。作曲家モハメッド・アブデルワハブやウンム・クルスームのマネキンまで立っていた。そこで女子中学生の盛りヘアならぬ盛りスカーフ最前線を観察する。ファラオ風盛り、西アフリカ風盛りなど、盛りスカーフに命かけてる感じが伝わってくる。日本でも僕の中学生時代にそれまでの長ラン全盛期から短ランへのパラダイムシフトが起こった事を思い出した。詳しくはうちの妻がどこかで報告してくれるだろう。
座っていると、国際交流基金のSさんから電話が入る。
c0008520_19344626.jpg念のためタハリール広場近くには近寄らないで下さい」
「連絡ありがとうございます。でも、僕達は既に今ハーンハリーリーに来ています。帰り道にどうしてもタハリールを通ることになると思います」
「では、くれぐれも気をつけて」
「ありがとうございます」
カフェの勘定を頼んだら、お茶二杯とミネラルウォーター一つで28=400円以上としっかりボってくる。
「とても高いなあ」
「ええ、ウチは高いんです」
そう言われたら、最初に値段を確認しなかった僕が悪い。女子中学生観察をたっぷり出来たので観光代と思おう。気がつくと午後2時前。そろそろ昼休みが始まる。その前に妻が欲しがっているベリーダンス衣装屋AFIFIに行こう。
AFIFIに着くと、上の階から眠そうな顔のモハメッドが出てきて、「新作コレクションはまだ着いていない。今夜に届くんだ。明日なら確実だよ。折角来たんだから、お茶くらいごちそうさせてよ」とのこと。
妻が新たに興味を持った衣装を試着している間に、彼がPCに繋いだサブウーハーからとっておきのシャアビを流し始める。ダンスホールレゲエやバイリファンキと同様に、サンプラーを叩いて鳴らすキックの低音が無意味に効いている。ボーカルにはもちろんボコーダーがフルにかかってる。こりゃカッコ悪いのかカッコイイのか.....
「すごいシャアビだね。なんて歌手?」
「いや、知らない。ネットから拾ったんだ」
「CDで買えないの?」
「シャアビはCDでは買えないよ。ローカル過ぎて、カセットを掘らないと」
「こないだヴァージンでCDを買った時、シャバービーを何十枚も買って、一枚だけシャーバンのCDを入れていたら、若い店員に「シャアビ好きなの?」と聞かれて「大好き、もっと教えて」と言って、何枚か買ったんだ。あんなスカした店で働いている店員がシャアビ好きとはビックりした」
「みんな本当はシャアビが好きなんだよ。クールじゃないから隠してるだけさ」
「エジプシャン・ダンスホール・レゲエだね」
「その通り!」
「東京でDJするときにプレイしたいね」
「是非プレイしてくれよ。USBフラッシュを持ってきたら、コピーしてあげるよ。自宅に帰るともっと沢山ある。明日また持ってくるよ」
その場で35曲をコピーしてもらった。
c0008520_19362215.jpgAFIFIを出て、目の前のファラハトへ。腹の調子が今イチで、ちょっと身体に力が入らないので、今日は鳩のご飯詰めで精を付けよう。席に着くと、日本人の老夫婦が何やらもめている。聞くと、ガイドブックに載っている値段より高い値段を言ってきたとのこと。本には25lEと書いてあるのに、二人で70請求されたと。お店のマネージャーに、一人分は幾らなんですかと聞くと、「鳩ご飯のセット(サラダとタヒーナとスープが付く)で35Le=500円だけど、何が問題あるんだ!」と怒っている。
老夫婦に、「一人35だそうです。ガイドブックの情報は古いんですよ」と言うと、
ご主人のほうに「最新のガイドブックです」と返された。
「この国はインフレがすごいんです。そんな一年前の情報なんて信用しちゃダメですよ」と僕。
「この国では全員がぼってくるでしょ。だからぼられているのかと思って。バスに乗ってもボルでしょう」と奥さん。
ご主人は70LE=1000円に納得出来なかったようだが、仕方なげにお金を払った。そのまま、立ち話となり、妻が奥さんと昨日の状況を話す。
「旅は長いんですか?」
「カイロだけまだしばらくいます」
「どこに泊まっているんですか」
「ザマレク、ナイル川の中州のホテルです」
「私達はタハリールなのよ。昨日はだから大変だったわ。部屋に催涙ガスが流れてきちゃって。これから色々回って、最後もまたカイロに戻って同じホテルなの。大丈夫かしら」
「その頃には終わってると思いますよ」
老夫婦はハーンハリーリーのカフェを目ざし、歩いていった。一部のボリボリ人間がいるから、鳩屋のような正直商売まで時々とばっちりを受ける。25LEから35LEへの値上げは、デフレが二十年も続く日本にいたら信じられない事かもしれないが、僕は毎年イスタンブールやインドでそんな思いをしている。日本に暮らす僕達の収入は変わらないどころか、昨年から激減したが、そんな事関係なしに発展途上国、もとい経済新興国はスーパーインフレを起こしている。僕が昨年2月にダブル54ユーロで泊まったイスタンブールの宿Galata Antikは半年後の昨年末には、常連客の僕にさえ75ユーロと言ってきた。「これまで何人、日本人を紹介していると思ってるんだ!」とクレームを入れて、値下げ交渉したが、70ユーロまでしか下がらなかった。半年で20%の値上げ! 日本の老夫婦は自分達が人生を謳歌した昭和時代には猛烈なインフレがあったはずなのだ。サラリーも毎年ばんばん上がったはずだ。昭和11年生まれのウチの父親の初任給は8000円だったと聞いたことがある。退職時には100倍になっていた。平成の失われた20年とともに日本人のインフレの記憶も遠くになってしまった。
鳩を食べると、身体が熱くなってきた。よ~しこれで気合いが入ったぞ! 
c0008520_1937174.jpgファラハトから通りに出て、ヌールのお店へ。相変わらず外国人観光客相手に商談している。ここでもお茶をごちそうになる。お茶でお腹がパンパンだ。ヌールの店はキッチュでスタイリッシュでオールドファッションな彼の美意識が隅々まで行き渡され、商品をめくると、全く別の商品が重ねて置いてあったりするから、買い物好きの妻にとってはとても楽しいらしい。ヌールは先ほどのモハメッドと兄弟(と本人は言うが、従兄弟くらいかもしれない)だ。
「ヌールはなぜ古いモノが好きなんだい?」
「僕は元々テイラーなんだ。この店の商品も全て僕がデザインしているんだ。ずっとモハメッドと一緒にベリーダンスの衣装を作っていたんだ。ダンサーの友達も沢山いるよ。でもある時、旅に出て、世界中を回った。そして戻ってきたら、ベリーダンスの衣装を作るのは自分の世界ではないと気づいたんだ。そこで店を辞めて、近く自分の店を出したんだ。そしたらこうなったわけさ」
ヌールの所にはひっきりなしにお客や出入りの業者が訪れ、電話も鳴る。先ほどの電話は、今週末からカイロに長期滞在する外国人の友人からだった。彼女のためにヌールはヘリオポリスにあるアパートを手配しているようだ。
妻がまたまたヌールの店で掘り出し物を見つけて、買い物をする。
「奥さんは毎日買い物してるのか? サラームは大変だなあ(笑)。今夜の予定は?」
「今夜は二つコンサートがあって迷っているんだ。一つはマカンであるザールのライヴ。もう一つはカルチャーウィールであるアリ・ハガールのコンサート」
「僕ならマカンだね。マカンは毎週火曜水曜しかやっていないから。カルチャーウィールなら明日でも行ける」
「でもマカンはタハリール広場のすぐ近くだろ?」
「もうデモは終わってるよ。問題ないよ」
c0008520_19375914.jpgヌールの店を離れ、タクシーに乗り、一旦ホテルへ戻る。運転手には10月6日橋と7月26日通りを通ってくれと言ったのに、通常通り、アズハル橋からタハリール広場へと南下してしまう。タクシー運転手は無線を持ってないし、テレビニュースにも報道されていないから、タハリールがどうなっているか知らないだ。案の定タハリールまで来て、ヒドイ渋滞になっていて、「チィ」と口を鳴らしていた。情報が遮断されているとはこういうことなのだ。そして海外のメディアは単純に「タハリール広場が封鎖された」と書き始める。今日は昨日と違ってデモが起こっているわけじゃない。警備の車と状況を何も知らされていない市民の車で渋滞が起こっているだけなのに。
ホテルに戻り、ネットを見ると日本や欧米のtwitterで「twitterが遮断された」「革命だ」と騒いでいる。僕はこうしてtwitter(hootsuite経由で)を書き込んでいるのに。テレビを点けると昨日のショッキングな映像ばかりがリピートで流れている。今日の映像は何処に行った? 外国人現地レポーターではなく、現地の人達の声は? CNNやBCCやアルジャジーラもやっぱりテレビメディアなんだなあ。扇動的な映像ばかりじゃないか。ここはレバノンでもパキスタンでもないんだから。リピートするなら、編集でカットしただろう「スキャンダラスではない映像」も流してくれよ! ザマレクのホテルの一室で静かにテレビとネットを見ていると、どうにもあきれてしまう。
ここにいても仕方ない。今夜はタハリール広場近くのライブハウス、マカンだ。予約のため電話を入れる。
「もしもし、今夜のザールの公演を予約したいのですが」
「今夜はキャンセルとなりました」
「ええ? デモの影響ですか」
「そうです」
「では今週、他の予定はありますか」
「いえ、次の公演は来週火曜です」
ガクッ、国がこんなんなってるときに言うべきことじゃないことはわかっているが、我々だってこの不景気に背水の陣とばかりに高いお金を払って、この旅に来ているんだ。全部自腹だよ。それをこんな形で邪魔されたくはなかったなあ。言っても仕方ないが、残念だ。だが、またカイロに来る理由にもなる。15年ぶりのカイロで全てがわかってしまっては面白くない。イスタンブールの音楽シーンだって、何年もかけて通いつめてやっとその中核にたどり着いたのだ。
じゃあ、第二の案だったカルチャーウィールに行こう。ここならホテルから歩いて10分かからない。culturewheelはある芸術家(名前失念google出来ず、後ほど修正します)が荒廃していたザマレクの北西部の土地を買い、音楽や芸術の多目的イベントスペースとして再建した場所。一月の公演予定を見ると、アラブ古典や西洋クラシック、スペインのフラメンコ、そしてロックやポップまで見れるようだ。ホテルから10分歩き、橋の麓のカルチャーウィールに行くと、夕暮れ時で川岸のオープンカフェに沢山の若者達が集っていた。イイ雰囲気。ホテルからこんなに近くだったなら昨夜も来れば良かった。
チケット売り場に行き、今夜のアリー・ハガールの公演のチケットを二枚下さいと言うと、売り切れですと言われた。ガーン! ザールもダメ、こっちもダメ? 昨日、今日は本当についていない。それでも目の前に広がるカルチャーウィールのカフェと売店が楽しそうなので、妻は買い物に行き、僕は一人しばらくチケット売り場前のベンチに座っていた。
すると、横で欧米人男性が一人、電話でチケットが売り切れていた、どうすれば良いと大声で話し始めた。電話を切った後、目が合うと、カイロ初日にランゴのコンサート会場にいた男性だ。
「チケットは売り切れだったよ」
「そうだね。休暇で来てるのか? 日本人?」
「そう、半分休暇、半分仕事。僕は日本でワールドミュージック専門の音楽ライターをやってるんだ。カイロの音楽シーンを調べたくて」
「そうか。僕はドイツから来たアレックス。友達と二人でカイロの新しい音楽シーンを描いたドキュメンタリーを作ろうと動いているんだ。もう3週間前から来ている。それならちょうど良かった。これから今夜の歌手アリー・ハガールの息子で、明日のカルチャーウィールに出演するアフメッド・ハガールが来るんだ。彼がゲストに入れてくれるかもしれないよ」
「それに載っかっちゃってイイ?」
「インシャーラー」
アレックスはフライブルクでフリーの映像制作をやっていて、既に十回ほど訪れて大好きになったカイロの音楽シーンについて、友達の融資を受けてドキュメンタリーを制作し始めたという。クオリティー次第では上手くいけばARTE(フランスとドイツの共同テレビチャンネル、芸術番組やドキュメンタリーに定評あり)が放映してくれるかもと。僕がインドやイスタンブールにしょっちゅう行っていると言うと「クロッシング・ザ・ブリッジ サウンド・オブ・イスタンブール」のカイロ版を作りたいんだとも。その映画の日本語版監修は僕がやってるんだよ!
話がはずんでいると、色白でそだちが良さそうな、ブラジルの白人歌手のようなルックスの若者が現れた。アレックスにアリーの息子で歌手のアフメッドと紹介された。
「ソーリー、ベリー・ソーリー、交通状態がひどくて遅れてしまって」
一言目で「ソーリー」と言うエジプト人に初めて会った。アフメッドがすぐに話を付けてくれて、チケットは完売にも関わらず、中に入れることになった。コンサートの舞台監督ムハメッド(このガイは僕のアーメダバードの友人パルヴェーズによく似た顔のオッサン)に名刺を渡すとコンサート中の撮影も正式に許可してくれた。
c0008520_19384567.jpg9時開演のコンサートまで、ステージではまだリハーサルが続いている。一時間半はアレックスと話す。今日の午後はシャアビのナンバーワンDJと会ってきたとのこと。
「ヒップホップのギャングスターみたい男で、会うなり、サングラスを外して、「それで幾らくれるんだ?」とすごまれたんだ。いえ、僕達はリサーチとプロモーションのための撮影をするのであって、低予算なんです。でもヨーロッパのテレビで放映されればヨーロッパのツアーに呼ばれるかもしれませんとか、あること無いことを並べて、なんとか2月中旬に、彼の呼ばれている結婚式を撮影出来ることになったんだ」
「それは見たいなあ。でも次回だなあ。シャアビのシーンって海外にいたら全く知ることが出来ない。シャアビのスターはテレビにも出ないし、CDすら発売されていない。あってもカセットだろ」
「いや本当の場所は結婚式などのパーティーなんだ」
「バイリファンキとか、ダンスホールみたいだ」
8時半を周り、リハーサルを終えて、初めて客入れ開始。500人ほどのあっという間に全席が埋まる。客層は女性7割くらいかな。アリーはおばちゃんキラーっぽいし。
ライヴは9時過ぎにスタート。なんとバンドは16人編成だ。音楽はアラブ古典歌謡の現代版。当時はフルオーケストラだったものをシンセやドラムス、エレキベースなどに置き換え、少人数化して、曲の長さも時代に合わせ、一曲あたり5~8分程度の短さ。それでも古典声楽の素養たっぷりにコブシを回しまくり、歌声も朗々とほれぼれする。でも音は60~70年代ファンクやディスコの影響も多少感じられる。一曲目が終わると、花束を持った若い女性がステージに近づき、彼に花を渡す。その中に折りたたまれた紙が入っていて、それを読み上げる。どうやらリクエストらしい。ええ? 二曲目から。それからは曲が終わる度にステージにお客が近づき、中には大声でリクエストする客までいる。すごいなあ。
c0008520_19391978.jpg一時間ちょっとで中休み。アレックスに、ドイツにこういう歌手はいるのかと聞くと、いるけど、吐き気がするほどつまらないと言われた。日本はどうだろう。このオヤジの味。ド演歌、ド歌謡だ。五木ひろしであり、谷村新司でもある? しかし、日本のド演歌は日本の古典音楽から負っているものはない。エジプトではウンム・クルスームやアブデルワハブはこういう形で継承されていたのか。
後半は古典的な曲ではなくシャアビっぽいダンサブルな曲が続く。だが、今日のお客はハイソなのか、誰も立ち上がって踊ったりしない。だが、僕達の立っていた客席の後ろ側ではコンサートのスタッフのオッサン達が盛り上がり、アラブのラインダンス「ダプケ」のような振り付けダンスを踊り始めた。さっきまで席の交通整理をしていた強面のオッサンも一緒になって踊り出す。この平和な光景を、欧米おCNNニュースの視聴者や、twitterの前にいて、扇動的な事を書いている人達に見せてあげたい。カイロ、少なくともザマレクはこんなに平穏だと。
11時過ぎに、僕達の横に髪を隠していない若い女性が立った。オッサン達に「彼女はアリーの娘さんだよ」と紹介される。彼女はブシュー。
「先ほどお兄さんのアフメッドに会ったよ」
「アフメッドは明日コンサートを開くの。貴方達も来てくれる?」
「もちろん。お父さんの声すごいよ。伝統をしっかり背負ってる。君も歌うの?」
「私は趣味では歌うけど、ジュエリーデザイナーをやってるの」
c0008520_19402537.jpg11時半過ぎにアリーが16人のバンドメンバー紹介をして、唐突に客電が付き、コンサート終了。アンコールもなく全員が出口に向かう。
帰路、アレックスにお礼を言う。
「いや、僕のおかげじゃない。この偶然はきっとこの町のおかげだ」
「僕は音楽を追いかけていて、こんな偶然をインドでもイスタンブールでもいつも感じてきた。カイロでもこんな偶然に出会えて本当にうれしいよ」
「Something in the Air of this Cairo(この町の空気には何かあるんだよ)」
ダウンタウンの安宿まで歩いて帰ると言うアレックスと別れ、ほんの10分の距離のホテルに戻り、隣のカフェで夕食を軽く取る。胃が疲れているのでスパゲッティーボロネーゼ。やっぱり茹ですぎで不味かった。ザマレクは治安も良いし、町はキレイだけど、エジプシャンのテイクアウト飯に困るんだよね。コシャリ食いてえ!
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by salamunagami | 2011-01-27 18:39 | エキゾ旅行  

Egypte 07, Jan. 25 Demo in Cairo

c0008520_10264010.jpg1月25日デモが起こってしまった今となって、昨日の日記をアップするのはなんだか時既に遅しという感じですが、日記アップは今回の旅において自分に課した使命なので、今日もアップします。

朝9時前にサロンに下るとドイツ人のオバチャン達が十数人おしゃべりをしていた。仲の良い仲間とエジプト観光に来たのだろうか。ドイツからなら飛行機で四時間くらいだからね。日本のオバチャン達がみんなで香港行くくらいの感じだろう。オバチャン達が入って来る前に朝食を食べてしまおう。朝飯にはエジプトの煮豆フールやスクランブルエッグ、エジプトのクレープ、それに様々なドイツパンまであって、なかなか気が利いている。それだけでなく今日はなんと、濃い生ハムやサラミなど、豚肉の加工肉がたっぷりと並んだ。ドイツ人、この国に豚肉まで持ち込むなんてすごい! というわけで一月ぶりに豚肉を味わった。生ハム美味い! でもフールやタヒーナと合わないなあ。

c0008520_10264799.jpg午前中は日記を書き、お昼過ぎに出発。今日はザマレクを歩き、もう一つ南の中州の島、ローダ島にあるウンム・クルスーム博物館に行く。ザマレクの最北端にはセコイアというセレブなラウンジがあると聞き、そこまで歩いてみることにした。宿から西に5分歩くとこの中州島の西端に出た。そこから川沿いに北上する。途中幼児のための公園や結婚式場などが並び、ナイル川を見渡せる。川沿いのマンションはちょっと高級住宅っぽい。歩くこと20分で島の最北端にあるセコイアに到着。まだ開店していなかったが、入り口には白いスーツの係のガイがいて、その横には一人最低150LE=2300円以上使って下さいと書いてある。そんな事言われたってねえ。
店には入らず、そのまま島の東の側を回ると、今度はインド大使館やハンガリー大使館などが並んでいた。歩き疲れたのでタクシーを拾い、ローダ島の最南端にあるウンム・クルスーム博物館へ。ザマレクから南下し、島の最南端にあるオベラハウスからタハリール広場まで橋を渡り、そのまま東岸を南下するとローダ島が見えてきた。二つ目の橋を渡り、ローダ島に入り、島のメイン通りを南下し、木造の橋 のところでタクシーを降りた。ウンム・クルスーム博物館はナイル川の水位を測るナイロメーターと同じ敷地内にある。入り口で荷物検査を受ける。窓口は閉まり、係のオバチャンは川岸のベンチに座ってチケットを売っている。一人15LE=220円を払い、中に入るとウンム・クルスーム博物館は今日は休日のため休館とのこと。じゃあこのチケットは?とよく見るとナイロメーターのチケットだった。地下の階段を下りると、水面を計る井戸のようなものがあり、それでおしまい。一体何なんだ? 仕方ないので、木造の橋を渡り、オールドカイロまで行ってみようということになる。橋を渡り、道路を渡りオールドカイロに入る。

c0008520_10295470.jpgここはモロッコのように開発が遅れている。メトロを横切る歩道橋の手前で警官に荷物検査をされた。「パスポートは?」「ホテルに置いてるよ」「何でパスポートを持っていないんだ?」「なんでパスポートを持つ必要があるんだ?」「もう行っていい」
オールドカイロはコプト教徒が多いからか、それとも今日は警察の祭日で、国際交流基金Sさんから言われていた、政治デモが起きているのか? 歩道橋を渡ると、目の前は大型バスで乗り付ける外国人観光客がたっぷり。ローカルなスラムから完全な観光地に戻った。そこに並ぶお土産屋で妻が古いカイロの写真を使ったポストカードなどを買う。
帰り道はタハリール広場まで四駅の地下鉄を使ってみよう。タクシーに乗っても安いが、地下鉄は一人15円だ。

c0008520_10265477.jpg四つ目のタハリール広場のある駅サダトで降りると、タハリール広場に面して、様々な場所にあるはずの出口が封鎖されていた。仕方なく人の波に続き、出口を出ると、タハリールは反政府デモの会場となっていた。今日はデモがあると聞いてはいたが、まさかこんなに大きなレベルとは。
午後三時、まだ始まったばかりなのだろうか、若者達が物珍しそうに、高い場所に登り、集まった人だかりの写真を携帯カメラを使って撮っている。しかし、これじゃタクシーどころじゃない。ターラト・ハルプ通りも封鎖されている。人だかりの少ない方角を目指し、広場から遠ざかるが、ターラト・ハルプ広場の方角も人の声が聞こえる。通行人の流れている方に歩いていくと、考古学博物館の近くに出るが、そちらでも路上に人々が座り込みを始めている。そこから北の方に歩くと、一カ所だけ、車が通っている通りがあった。そこから更に東の方角に歩くと、2ブロックほどでタクシーも流れている通りを発見。すぐに白いタクシーを拾い、ホテルに戻る。ザマレクに渡る橋の麓には機動隊の車が何台も停まっていて、中にフル装備の機動隊が控えていた。橋を渡り、ザマレクに戻ると、ザマレクは平静を保っているようだが、いつもよりも車通りが少ない。
宿に戻り、4時過ぎからテレビを点け、macbookからウンム・クルスームを聞きながら、BBC、CNN、アルジャジーラの英語放送を切り替えながら英語と日本語のtweetを追い、エジプト状況を観察する。思えばこの旅に出てから一月、部屋でテレビニュースを見るなんて初めてだ。モロッコにいた間はずっとリヤドに泊まっていたので部屋にはもちろんテレビなんてなかった。エジプトに来てからも、前の宿はフランス人宿だったのでやはりテレビは置いてなかったし。twitterを二時間も続けて対応したのも今日が初めてだった。
7時半になると昼飯を抜いたので、どうも腹が減ってきた。フロントに聞くと、やはりダウンタウンには行くべきではないと言われたので、近くの中華料理店北京に行くことにした。
北京ではワンタンスープとコーンスープ、エビチャーハン、イカのフライ、五目焼きそば、ビールを頼む。店内にはなぜかステージがあった。中国人観光客がカラオケパーティーでも開いているのだろうか? 味はエジプト人が作っているのだろう、キモがわかってない中華だったが、それでも中華なら、お腹に負担はない。一瞬で食べ終わり、8時半には宿に戻ってしまった。
帰り道、普段ならオヤジ達が路上で思い思いにフィーバーしている時間帯なのに、どうも人通りが少ない。宿に戻って、買っておいたエジプト製ロゼワインを空け、テレビを点けっぱなしにして、ネットのニュースをチェックし、風呂に入って、寝よう。ネット上ではustreamを使ってリアルタイムのタハリール広場を写しているチャンネルまである。今日のデモは元々夕方5時には終了する予定だったのに、熱しやすいアラブ人気質に火が付いてしまったらしく、夜中になってもまったく止みそうにない。
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by salamunagami | 2011-01-26 17:47 | エキゾ旅行  

egypte 06, City Stars & Bellydance@Nile Cruise

c0008520_1855482.jpgこの旅で何カ所目の宿だろうか。今までで一番設備のしっかりした宿だ。遮光カーテンで、朝起きても時間がわからない。浴室の曇りガラス扉から浴室の窓の外からの光が入ってきて、既に夜は明けていることがわかる。起きると朝8時。昨夜は年末のタンジェ以来3週間ぶりに風呂に浸かった。カイロにもハマムがあるかと思ったが、観光用以外のハマムはないらしい。20階くらいの高層マンション暮らしに親しむうちに、一般の生活から消えてしまったのかなあ。
宿の朝食も、モロッコのリヤドの朝食とは異なるながら、ブッフェ形式。サロンではチゴイネルワイゼンが流れ、ライ麦パンを含めてパンが5種類くらいある。豚肉のハムまであり、周りはドイツ人ビジネスマンや観光客ばかり。コーヒーもやたらと濃いのでお湯で薄めた。ドイツの田舎の民宿に泊まっている気分だ。
宿がイイと支度が遅くなる。妻の支度を待っていたらいつのまにかお昼過ぎになっていた。今日はカイロ郊外の新興地にある超巨大ショッピングモールCity Starsへ。宿から7月26日通りに出て、白いメータータクシーを拾う。高架道路「10月6日橋」を東へとひたすら40分、高架を降りてから路面電車の通る新興街を横切り、50分かけてCity Starsへ。ここは550軒の店舗が入っているらしい。簡単な荷物チェックを受け、敷地内へ入る。平日のお昼だったのでまだ閑散としていた。海外ブランドとスタバ系のカフェばかりで何から見たらいいかわからないまま、一階、二階、三階と登るが、やはり特に欲しいものはない。妻はスペインのZARAとDESIGUALを覗き、何やら買い込んでいたが、僕はヴァージンメガストアに行くまでだ。
c0008520_196837.jpgヴァージンは日本では撤退したが、マラケシュやカサブランカ、ベイルートやドバイにもあるし、中東では頑張っているのだ。とは言え、在庫はCDだけでなく、DVD、書籍、AV家電まで置いてあり、かつてのCD専門店ではない。古い話だが、初めてパリを訪れた1989年にシャンゼリゼ通りのヴァージンメガストアに行き、品揃えと古い建物を改装したセンスの良い店舗に感動したっけ。今はあのお店はどうなっているのだろう?
アラブ音楽のCDコーナーに行き、昨日のDiwaanで買えなかったCDを幾つかとエルスール分のCDをまとめて買っていると、若い店員から「チルは聞かないか?」と聞かれたので「アラブ音楽のチルアウトならいいけど、単なるチルなら要らないよ。東京にいればそういう音楽は幾らでも手に入るから」と言うと、「アラブのヴァイオリンのチルだよ。聞いてみてよ」と言われ、そのCDを店内で流し始めた。聞くと、単なるアラブのヴァイオリンによるムード音楽である。「枯れ葉」とかカヴァーしてる。この15年で経済成長し、欧米の情報が自由に手に入るようになった彼らにしたら、ムード音楽もアンビエント音楽も、ラウンジもモンドも、ニューエイジも、それこそグローファイやチルウェイヴも、ブライアン・イーノも、リチャード・クレイダーマンも、ぶったバーのコンピ盤も、全て同じ「チル」なのである。戦後の欧米〜日本の音楽をそれなりに体系的に追いかけてきた僕達にしたら、それは全く異なる、一緒にしてはいけない音楽なのだが。それにしてもこの音楽、演奏は上手いけど、何も感じない。若い店員に「どう?」と聞かれたので、彼には悪いが、率直に「Too Much Cheezy 大変陳腐です」と答えた。言葉を失っていた。
レジに行くと、同じCDを5枚、10枚買うの不思議に思われたので、「友達へのお土産です」と言うと、「じゃあ、ビニール袋を沢山あげます」としっかりしたビニール袋をたっぷり入れてくれた。ありがとう! レコ屋の分厚いビニール袋は旅先で本当に重宝するのだ。シャバービー(エジプトやレバノンのオシャレなポップ)ばかりたっぷり買い、中に一枚シャアビ(庶民派エジプト音頭)のCDが入っていたのを見て、「シャアビも聞くんですか?」と聞かれた。ディワーンにもヴァージンにもシャアビがほとんど置いてなかった。というのもシャアビは未だにカセット中心の音楽で、ヴァージンに来るようなイケテル若者達にはダサいと思われている音楽だから。なので、目に付いたシャーバン・アブデルレヒムのCDを一枚だけ買い物かごに入れたのだ。
「他にオススメのシャアビのCDある?」と聞くと、レジの若者は嬉しそうにハキムやサアド・ゾガイヤル、その他6枚のCDを持ってきてくれた。なんだ。アニキ、本当はシャアビ好きなんじゃない? 日本でも手に入るハキム以外のCDを全て買う。

c0008520_18575590.jpgCDを買い、その間に妻も買い物を済ませると、午後2時すぎ。お腹も空いたのでフードコートへ。フードコートは基本的にグローバルファストフードチェーンばかりだが、一階のほうには中華とスパゲッティ屋が入っていた。しかし、一階は天井が低く、午後になり急増したお客さんが昼飯を取っていて、やたらとウルサイ。四階の吹き抜けにある別のフードコートにレバノン料理のファットゥーシュという店があったのでそちらを選ぶ。僕はファラフェルのプレート、妻はファッタ・シュワルマを頼んだ。パリのユダヤ人街で食べるファラフェルのプレートにはホンモスと赤キャベツのマリネなどが入っているが、こちらでは大量のファットーシュとタッブーレとホモスだ。付け合わせのピタパンが二枚も付いていたが、当然全部は食べきれず。これは16LE=230円。妻の頼んだファッタ・シュワルマは28LE=400円。煮汁に漬けてくたくたにしたピタパンが底に沈み、その上にピラフと大量のシャワルマ、そしてヨーグルトがかかっている。トルコのイスケンデル・ケバブのアラブ版、もしくはアラブの牛丼と言った風情。
食後、周りを見ると、急激にお客さんが増えている。そろそろ町が動き出す時間なのだろう。急いで巨大スーパー=ハイパーマーケットに入るが、在庫と商品の大きさがハイパーすぎて、スーパーマーケット好きの僕達も見るのを断念。そろそろホテルに戻ろう。タクシーを拾い、夕方になり混み始めた道を市内へと引き返す。高架から見るモスクとミナレットがやはり美しい。
宿に戻り、携帯電話をチャージし直し、(日本に一瞬電話したら、チャージがなくなってしまった)、近くに停泊するナイル川クルーズ船Nile Maximeに電話し、今夜の予約をする。そろそろベリーダンスを見に行こう。カイロでベリーダンスを見るためには幾つかの選択肢がある。一つ目はこうしたナイル川観光ディナークルーズ船に乗り、二時間の食事&エンタテインメントの最後の出し物として楽しむ。二つ目は夜中から始まる最高級ホテルのディナーショーへ行く。三つ目は市内からギザの方面に行った地元の不良オヤジ達が集うナイトクラブに行くこと。今夜はまず宿から歩いていける、一つ目のナイル川ディナークルーズ船を選んだ。

c0008520_18581349.jpgクルーズは7時半スタートだが、念のため7時に河岸に着くと、もう乗れますよとのことで、まだがら空きの席に着く。ぎりぎりで予約したため、ステージからは遠いが、全員がダンスに興味があるわけではないだろう。ダンスが始まったら、最前列に行けば良い。ベリーダンスの見れるレストランというのはトルコでは食事が最悪という定評がある。果たしてエジプトではどうだろう? ディナーはドリンクと税抜きで290LE=約4200円。
まずは奥に並んだサラダバー。二十ほど並んだ様々なサラダや前菜類。よく見ると右半分は欧米のサラダ類やピラフやチョーメンなど。こちらは見るからに不味そうだ。そして左半分はレバノン料理の前菜だ。ホモス、タヒーナ、ババガヌージュ、ファットゥーシュ、レブナー、ビーツなど。当然こちらを選ぶでしょう! 席に戻りナイル川を横に見ながらいただくと、レバノン料理はさすがに美味い! 妻はチョーメンやピラフやチキンサラダを取ってきて、やはり不味いと言っていた。そんな会話をしているうちに300人は入れそうなテーブルが全て埋まっていく。ステージではエジプト人男性と女性歌手による「ケアレス・ウィスパーズ」、ボブ・マーリー、グロリア・ゲイナー、スペイン語のサルサ、そして日本の演歌まで。これは今夜来ているお客さんの国籍に合わせて選曲している。この演出はトルコのベリーダンスレストランと同じだが、高いお金を払ってB級〜C級の歌を聴きたいと思う人がどれだけいるのだろうか? 
日本の演歌の時には奥のテーブルに陣取っていた、全員スーツの日本人とエジプト人の団体が盛り上がり、若い日本のサラリーマンがスーツ姿のままステージに出てきて、目をつぶったまま大衆園芸の振り付けのような踊りを踊っていた。日本の企業戦士頑張れ!

c0008520_18591066.jpgいつのまにか船は出航し、前菜サラダには300人が長蛇の列を作っている。早めに来ておいて良かった。待たされた末に不味い飯食べたくなければ、レバノン料理を取るほうがイイですよ。聞きたくもない英語やスペイン語の歌が8時半まで続き、やっとアラブ音楽にチェンジ。まずはタンヌーラ・ダンス。先日のハーンハリーリーでは遠くからしか写真を撮れなかったが、今回はステージまで近づき、近くから写真を撮れた。しかも、衣装に照明を仕込んだ電飾タンヌーラだ。トルコのメルジャン・デデのダンサーもスカートに照明を仕込んであるけど、エジプトのは電飾までカラフルだ。
タンヌーラダンサーは一通りダンスを終えた後、全てのテーブルを周り、乗客全員と写真を撮っている。

c0008520_1931491.jpgクルーズの時間は二時間、夜9時半までなのに、9時を過ぎた頃やっとベリーダンサーが登場。最近は外国人のダンサーが多いと聞くが、今夜のダンサー、ハナーディはエジプト人だ。いつもトルコのダンスばかり見ているから、エジプトの腰から下を使うダンスはとても肉感的に思える。先週見たランゴやエル・タンブーラのアフリカ性も通じてる。半数ほどの客は、二階の甲板に登ってしまい、ステージ前はガラ空きだったので、僕は最前列でダンスを見ることが出来た。
ハナーディは15分ほど踊り、一旦衣装替えし、再び最後二曲ほど踊った。そして9時半とともに終了。全員がそそくさと下船する。
料金は二人でビール二本とミネラルウォーター、そしてチップを入れて750LE= 約10700円。書く国語の歌は要らないからベリーダンスを少なくとも二倍くらい長くして欲しいなあ。少なくともダンサーが二人くらい見れたら良かったのに。飯はメインディッシュやデザートは大味だが、レバノン料理前菜のみはしっかり美味かった。前菜サラダをお代わりするのが一番だ。
夜10時前だが、どの店もまだまだ絶賛開店中。7月26日通りは若者の乗る車があふれ、車内からシャバービーが大音量で流れ、我々に話しかけてくる。途中ディワーンに立ち寄り、ウンム・クルスームの20枚組CDBOXを買う。ディワーンのカフェでは地元インテレクチャル風の人達が集って、何やら楽しげに話し合っていた。お茶会? 
宿に戻ると10時半、買ったシャバービーやラウンジのCDを聞くが、どれもアルバム全体を通して聞けるクオリティには達していない。10枚ほど聞き散らし、結局ウンム・クルスームをmac bookに取り込み、「El Atlaal(廃墟)」から聞き始める。ベッドの上でウツラウツラ状態に、ウンム・クルスームが染みるなあ。

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by salamunagami | 2011-01-25 19:00 | エキゾ旅行  

Egypte 05, Opera House & Life in Zamarek

c0008520_17362563.jpg今日は宿を移る。朝飯の後は日記を書いて、荷物をまとめる。さすがに今回の旅は移動ばかりだったので、スーツケースを閉じるまで一時間程度だった。お昼12時にチェックアウトし、宿の番頭ハレッドとナディーンに荷物を預かってもらい、近くのコシャリ屋へ行く。三日連続でコシャリだ。日本のラーメンと似たオトコメシ感覚で、色々な店を試したくなる味なのだ。完全なオトコメシだが、妻も嫌がらない所を見ると日本人には落ち着く味ということか。今日はLUXという店。大中小があり、それぞれ6、5、4LE=90円、75円、60円だ。僕は5、妻は4のを頼む。初日に行ったタハリールが水分少なめでボソボソなのに対し、こちらは少々水分が多い。ベチョベチョしてる。と書くとあまり美味くなさそうだが、これがなかなかイケル。昼飯にコシャリ探訪続けてみよう。

c0008520_17371186.jpg宿に戻り、ナディーンにお茶をいただき、カイロの別の面を見たいので、中州ザマレクの宿に移ると言うと、ザマレクはホテル・ロンシャン?と聞かれた。その通りです。ロンシャンはやはりTripadvisor上位なので、二年前に予定していたエジプト旅行にも予約していたが、その時は突然のキャンセルにも親切に対応してくれた。そこで今回こそは泊まりたいと思っていった。しかし、予約を今月になってモロッコの砂漠で行ったので、残念ながらこちらの希望の日程は空いていなかったのだが。
今回の旅はTripadvisorで宿を吟味し、booking.comで予約し、現地携帯に住所や電話番号のSMSを送ってもらい、タクシー運ちゃんに携帯を渡して連れて行ってもらう、その繰り返しだ。

c0008520_17375751.jpgハレッドとナディーンに別れを告げ、路上タクシーを拾い、ホテル・ロンシャンへ。ザマレクの7月26日通りは下町とは全く異なるオシャレな町並みが続く。酒屋、スーパー、ピザ屋、本屋などが並んでいる。カフェや中華料理の並ぶ瀟洒な一角でタクシーを降り、エレベーターで5階へ登る。ホテル・ロンシャンへ。レセプションの女性ガブはドイツ人特有の英語発音の女性だ。フランス人宿から今度はドイツ人宿? 一回り良い部屋はちょっと僕達の予算オーバーしているが、部屋を見たら納得。先ほどまでの宿と差額は15ドルだが、まったくの別次元の宿だった。部屋は十分に広く、風呂もシャワーブースも別々だ。照明は一段引っ込んだ天井に二重に設置され、とても明るい。ベッドもオットマンもビビッドな色合いで、机もイスもソファも冷蔵庫もある。ACコンセントも6カ所もある。これは快適。部屋から出たくなくなるよ。
タクシーの窓から見た本屋DIWAANまで歩いて出かける。ガブにはもっと近くにアメリカン大学の本屋があって、そこも在庫がいいわよ、と言われたが、DIWAANの横に酒屋とスーパーマーケットも見かけたのだ。裏道を歩いて5分でメイン通りに出る。7月26日通りを西に歩くと、ディワーンまで更に7分ほどか。ディワーンにはCD売り場もあると国際交流基金のSさんに聞いていたので、僕はCD売り場に直行。アムル・ディアーブなどのポップ「シャバービー」が一面、ウンム・クルスームが一面、他のハリム・ファーフェズやアブデルワッハブなど古典歌謡が一面、ジャズやムード音楽が一面、欧米のポップが一面並んでいる。アムル・ディアーブやアンガーム、タミール・ホスニーなどと、レバノンのレーベルFWDのオルタナ系をまとめて買う。ついでに「MUSIC & MEDIA IN THE ARAB WORLD」という英語の本も買う。20世紀初頭の蝋管レコードから現在のMP3全盛時代に至るまでのアラブ音楽の動向を十数名の研究者が共同執筆している。
宿に戻る途中、酒屋でエジプトワインと、なかなかイケるステラビールを買う。宿の冷蔵庫に入れておこう。

c0008520_17385058.jpg宿に戻り、一休みし、夕方6時に再びディワーンで国際交流基金のSさんと待ち合わせ。今夜はザマレクのオペラハウス大ホールにて「FI HOBB ALLAH」という音楽公演へ。その前にディワーンの路地を一歩入った所にあるアブ・エル・シドというレストランへ。入り口の真っ黒な巨大扉を開けると、中に真っ暗なサロンが広がっていた。ウェイターに「予約がないなら、7時半までしか席はないが、それでも良いか」と聞かれる。カイロはレストランの数が少なすぎるので、ここも予約が取れないことで有名なレストランらしい。でもこうしてエジプト人の行かない早い時間に行けば、なんとか滑り込めるらしい。
前菜盛り合わせと、エビのタジン、モロヘイヤの煮込みとウサギのグリル、そしてブドウの葉のマハシーを頼む。前菜盛り合わせ(盛り合わせと言っても、フルサイズの単品が四種も並ぶ)はターメイヤ、タヒーナ、ラブナー、マハシー。そこに更に単品で頼んだマハシーがゴロっと一皿付いてきた。なんだ前菜のセットに付いてくるなら、そう言ってくれれば良いのにと言うと、Sさん曰く「こちらの方は”サービスとは何か?”という考えが違いますからね。仕方ないです」とのこと。三年住んでらっしゃる方がそういうのだから、そういうものなのだろう。そこに続いてエビのタジン。エジプト方言ではJの音はGになるのでターゲンと言うようだ。もちろん土鍋煮込みのことだ。エビをトマトソースで煮込み、なんとたっぷりのご飯が沈んでいた。これは美味い。エビトマトご飯である。そしてもう一つのメインはウサギのグリルとご飯が添えられたモロヘイヤスープ。こちらもどろっとしたモロヘイヤが濃厚だ。モロヘイヤの量が半端無く、日本で飲んでいるモロヘイヤスープとは全くの別物だ。ご飯とウサギ肉の上にたっぷりかけていただく。これだけしか頼んでいないのに量は四人分はありそう。もちろん完食できず、終了。食後はトルココーヒーを頼むとトルコのチャイグラスに注がれてきた。トルコでは通常のデミタスなのに、所変われば品変わるのだ。

c0008520_17393831.jpg7時半にオベラハウスへ。実はオベラハウス大ホールはネクタイ着用が必至で、僕はさすがにネクタイまで持ってきていなかったが、Sさんが気を利かせてくれ、僕のために1セット持ってきてくれていた。車の中で服を着替え、10分かからずにオベラハウスに到着。オベラハウスというくらいだから、開演前のホールは中流階級以上のいわゆる社交場である。僕達は50LE=750円の良い席を買っていたので、前から6列目でステージがよく見える。
「FI HOBB ALLAH=神の愛の中に」はスーフィー、コプト教、キリスト教(ドイツの合唱隊)音楽の共同コンサート。先日アレキサンドリアでコプト教に対する自爆テロが起こった。もちろんこのコンサートはそれ以前から企画されていたが、その直後のタイミングでカイロやアレキサンドリアで、こうした三つの宗教の音楽的対話が行われるのは素晴らしい。開演前にエジプト人とハンガリー人のピアノデュオ、ホルス・アンサンブルのエジプト人ピアニストが中心となり、テロの犠牲者に対しての一分間の黙祷を行った。
第一部はホルス・アンサンブルによるバッハと、ドイツ・ケルンから来た合唱隊によるブラームス。なんでエジプトまで来て、こんな音楽聞いてるんだろう。ここまでで40分ほど、ハイソなエジプト人達も、ここまでで飽きてしまい席を立った人も多かった。
第二部はスーフィーのアンサンブル。こちらは僕が以前から見たかったスーフィーのヴォーカルを中心とした伝統的なスタイル。しかし、ウード奏者はなんとドイツ人だった。スーフィーの音楽は西洋クラシックのように座って聞くものではなく、手拍子叩いて、頭を振って聞きたい。演奏家達も全くの無音で聞かれてもどう対応したら良いかわからないようで、妙に場違いな感じ。次はエジプトのコプト教徒の音楽家達によるコプト音楽。カーヌーンとウードを中核に、コーラスやダブルベースなどの編成。こちらは演奏は上手いが、情熱大陸系というか。商業的に成功してるつまらないインスト音楽家は世界中どこでも一緒だなあ。全員がスーツでエジプト人というよりレバノン人のように見えた。
アレキサンドリアの事件と、先日のチュニジアの事件が重なり、カイロの街角には至る所に警察官が立っている。おかげで真夜中でも道が聞けて安心なのだが、このコンサート会場も例外ではなく、警察官達が無線を持って交信し合っていた。一部のドイツの合唱隊の時はさすがにホール内では無線交信を抑え、時々どうしても鳴ってしまい、そのたびに客席から「シー!」とクレームが入っていたが、二部のエジプト音楽の時は、なぜか無線交信をばりばり交わしても、誰もクレームを入れなかった。想像するに、スーフィー音楽もコプト音楽も町の騒音の中で演奏されるものであって、そこに無線の雑音が入っても、聞いている側も、それが何? という感じなのだろう。

c0008520_17411432.jpgそして休憩を挟んで第三部、今日のメインである三者の共演である。ドイツの合唱隊が不協和音とミニマル音楽的なポリリズムを駆使して「アッラー・アクバル」「アナ・フィー・ホブ・アッラー」と繰り返すが、おどろおどろしすぎてチベット仏教のお経に聞こえる。クラシックの音楽家が異教をテーマにするとどうしてこうおどろおどろしく作ってしまうのだろう? それこそキリスト教徒から見た訳のわからないものへの恐れ、みたいのを吐露してしまっているように思えるのだが。スーフィー音楽はヌスラット・ファテー・アリー・ハーンの例を見てもわかるように非常にストレートでわかりやすいものなのに。スーフィーのヴォーカリストは最後まで居場所が見つからずといった風情だったが、コプト教徒のアーバンガイ達はクラシックとも上手く折り合いを取っていた。最後はそれなりに盛り上がり、スタンディングオベーションとなった。僕としてはスーフィーのアンサンブルだけをじっくり聞きたかったが、在住のSさんでさえ彼らだけを何処で聞けるのか知らなかった。カイロのオベラハウスという特殊な世界を垣間見れた夜だった。帰りもSさんの車にホテルまで送ってもらい、11時に帰宅。
写真は今日買ったCD。デビュー当時、エジプト人歌手に珍しい清楚な美貌で、「エジプトの雛形あきこ」と呼ばれたアンガームもいつの間にかこんなフォトショップ美人に変身! 音はもちろんエレクトロです。
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by salamunagami | 2011-01-24 17:30 | エキゾ旅行  

Egypte 04, Tanoura Dance, Khaan il-Khalili

c0008520_1842651.jpg朝晩は少々冷え込むので、沢山持ってきたホッカイロの残りが役立つ。8時半に起き、9時ギリギリに朝食に駆け込む。すぐにでも町に出かけたかったが、午前中いっぱいかけて原稿を書く。
午後1時半にやっと外出。もう日暮れまで4時間しかないが、エジプト人は夜中過ぎまで外出しているのだから、僕達もエジプト人時間に適応したとでも言おうか。

c0008520_1843015.jpgエジプトは日本やトルコやフランスやシンガポールと比べると、飯屋が圧倒的に少ない。その上、目立つのはテイクアウェイ系。昼過ぎになると数少ない街角のコシャリ屋、サンドイッチ屋は我先にと手を伸ばす若者でごった返している。そういう店なら揚げ物の油も悪いものを使ってはいないだろう。ということで、まず最初に目に付いたのはサンドイッチ屋。ターメイヤかなと思って一つ頼むと、揚げレバーのサンドイッチとのこと。3.5LE=50円。この店はコシャリもやっていて、肉を煮込んだスープをトッピングにかけてくれるようだ。これは美味そう。
もう少し歩き、ターラト・ハルブ通りに入り、有名店フェルフェラで今度はシャワルマを妻が頼む。僕は我慢しようかと思ったが、店頭のコシャリブースを見て、つい「コシャリにシャワルマ載せ!」と頼んでしまう。店の奥が日本の立ち食いソバやのような立ち食いブースになっていた。シャワルマはトルコのドネルケバブを1/4くらいに貧弱にしたものだった。レバノンだってこの2倍以上はあったぞ。コシャリも昨日と同じもののはずなのになんともベシャベシャして美味くない。半分くらい残した。

c0008520_18444357.jpgそのままターラト・ハルブ通りを北上。15年前に3週間泊まったホテルMinervaはNew Minervaと名前を変えて改装され営業していた。コロニアルな内装だったので、モロッコのリヤドくらいキレイに改装出来れば人気ホテルになっているだろうが、果たして?

c0008520_1845472.jpgその路地の路面に2.5ポンドショップが入っていて、日本の100円ショップと同じような品揃えのものが全てが40円で並んでいる。7月26日通りを渡り、そのまま北にオラービ広場。15年前、ここら辺のカフェによく入った。爆食いして、妻が腹痛に倒れた鳩のパイの有名店もそのまま残っていた。日本人貧乏旅行者の定宿が入っている通りは相変わらず野外の市場が立っている。その脇に入った所にあるカフェ。僕は当時「キチガいカフェ」と命名していたカフェももちろん健在だった。壁に粘土を盛り、その上にサイケデリック・ナイーヴ・アートのようなエジプトの歴史画が壁一面に描かれていたのだ。根本敬さんも随喜の涙を流しそうな画風のすばらしさに、「キチガ委カフェ」と僕は名付けた。15年ぶりに行くと、壁の絵は全く識別出来ないほど水パイプの煙でいぶされ、キチガ委カフェというより忘却の彼方カフェに変身していた。店内の写真を撮らせてもらい、店の主人に店名を聞くと、レジの上を指さされた。カフェ・シャムス(太陽カフェ)と書かれていた。15年間の謎が解けた。池尻大橋のカフェ太陽とも繋がっていたのか!

c0008520_18464136.jpg近くの通りからタクシーを拾って、イスラーム地区ハーンハリーリーを目指すが、行き先を告げると二台連続で乗車拒否。多分夕方のハーンハリーリーは激コミなのだろう。三台目は乗ってから「20ポンド!」と言われたので、走行中に扉をガツンと開けて、運転手を困らせてから降りる。四台目のタクシーでやっときちんとした運転手がつかまった。首都高のような高架を通り、ハーンハリーリーまで一気に行き、一般道に降りるとやはり渋滞だった。
ハーンハリーリーでは妻がベリーダンスの衣装と土産物、そして僕が出来るならCDを買おうと思っていた。通りを歩くと、次々に土産物屋のアニキ達が話しかけてくる。
「My Friend, Give me five!」
「コンニチハ、オチマシタ」
モロッコの常に殺気だった偽ガイド、イスタンブール・スルタンアフメット地区の狡猾な絨毯売り達と比べると、ハーンハリーリーの客引き達はみんなアマちゃんだ。幼稚園児レベル。日本の雑誌「ベリーダンスジャパン」に載っていたCD屋に入り、値段を聞くとだいぶ上乗せした値段を言ってくる。「この雑誌にもこの値段で書いてあるでしょ、ほら」と見せてくれるが、その書いてある値段自体が高いように思えたので何も買わずに店を出る。
モロッコ、そして今や買い物天国と化したインドと比べると何も欲しいものはない。妻はベリーダンス衣装屋を数軒周り、最後の店AFIFIで色々物色している間に、お店の若旦那モハメッドと音楽談義となる。
「CDを買うなら何処がいい?」
「ヴァージンメガストアだよ」
「町から遠いだろ?」
「それでも定価販売だし、品揃えがイイから」
「今夜はタンヌーラを見に行くんだよ」
「音楽ならオベラハウスは行った? マカーンもイイよ」
「エル・タンブーラ・ホールには二晩行ったよ、オベラハウスは明日行くんだ」
「マカーンでもザールとジャズのフュージョンが見れるから、是非行ったほうがいい」

c0008520_18472813.jpgお店を出て、アズハル通りを横切る歩道橋を渡り、南に衣料品のスークを歩き、ズウェラ門まで歩く。夕暮れ時でロウソク型のミナレットからアザーンが流れ、巨大な石造りのモスクの近景には女性向けのセクシー下着「ベイビードール」が所狭しと並んでいる。それを全身黒ずくめの女性達が品定めしている。あの黒い全身を包む布の下にこんな服を着ているのか!

c0008520_1849268.jpg6時半にミレイユさん、サイードさんと待ち合わせ、サイードさんの友達ヌールのやっている骨董品というか、趣味のグッズ屋に入る。古いスライド上映器から、中国製のバリカン、ぬいぐるみにヒップスカーフまで所狭しと色んな半分ガラクタが置いてある。ヌール自身もパーカッショニストのトモさんみたいなキャラだ。彼にもマカーンに行くべきと言われた。
7時前にタンヌーラの会場に入ると、既に席はほとんど埋まっていた。サイードさん達が僕達の席を用意していてくれたので、着席出来たが、開演二時間前で既に満席。後は中央の泉の端や床、左右の廊下に立って見るしかないのに、そこまでが時間とともに埋まっていく。

c0008520_18494263.jpg待ちくたびれた8時半に開演。まずは全身白衣のパーカッション集団。エジプトは中東〜アラブであると同時に、アフリカでもあるんだなあ。ダルブッカやドフを叩いているのに、西アフリカのジェンベ隊、またはブラジルのバトゥカーダのようにリズムの切れが良く、全員のリズムが揃っている。これはトルコとは全く別ものだ。日本でダルブッカを習っている人は、エジプトやトルコで習う以前に、ブラジルかアフリカに行ってから、それをダルブッカにフィードバックすると良いのではと余計な事まで考えてしまった。
続いてはスーフィーのタンヌーラ・ダンス。トルコのメヴラーナ教団のセマーに影響を受けて、エジプトにてより大衆的な要素を取り入れて発展したダンスだ。15年前に見た時は、トルコと比べて随分エンタテインメントしてるなあとしか思わなかった。が、この15年でショーとしての完成度が格段にアップしていた。青、赤、白、緑、黒の柄のスカートを履いたタンヌーラ・ダンサーが中心で旋回を続け、その周りで揃いの白衣装のパーカッション隊がそれぞれに旋回をしながら周回をする。欧米の振り付け師が入ったのだろうか? トルコのセマーと同じく、天体の動き、原子の動き、生命の動きを模しているはずだが、トルコの静謐な周回と比べて躍動的でエジプトらしさがふんだんに盛り込まれている。主要な歌手や演奏家達を二階のベランダに配置して、舞台の邪魔をしないのも見た目に美しい。
インタールードにサイーディー民俗楽器演奏を挟み、最後は三人のタンヌーラ・ダンサーによる奥義大放出だ。一人、二人と旋回しながらステージに現れ、三人目の鮮やかな緑色の衣装を着たダンサーはサイードだった。サイードは一番左側で、ちょうど僕達の席から見えにくい場所だったので良い写真は撮れなかったのが残念。三人のダンサーがそれぞれに微妙に異なる鮮やかな柄のスカートを履き、それらを回転させながら上下斜めに回し、更に三人が惑星直列のように一直線に並びながら旋回したりと、単にアクロバティックなだけでなく、見ていて非常に美しい作品に出来上がっている。15年前とは別物になっていた。これが無料で見られるのだから、週三回の公演が満席なのは当然だ。10時過ぎまで一時間半、音楽生演奏とタンヌーラダンスを堪能出来た。もう一度見に来ようかな。
終了後、着替え終えたサイードに案内され、このタンヌーラグループの創設者、マフムード・エイサさんにインタビュー出来た。
「コンヤのメヴラーナ教団のセマーに基本的なアイディアは頂いているが、タンヌーラはまるっきりエジプトのものだ。カラフルな色、ダンスのアイディアなどはエジプトの要素が元となっている。それにメヴラーナのセマーはエリートのものなのに対し、タンヌーラは大衆に向けたものだ。
1988年にグループを結成する以前はタンヌーラのダンサーはモスクやメデルサの中、路上などで、それぞれ孤独に踊っていた。それをエジプト文科省の力を借りて、スルタン・ゴーリーの建てた宗教学校、モスク、隊商宿の施設を使わせてもらい、グループを結成した。以来今日までに既に老人、中年、若者の3世代のダンサー、音楽家達が育ったグループとなった。日本にも公演に行ったことがあるよ」

c0008520_23384851.jpgサイードが、妻が真鍮製のお盆が欲しいという妻のリクエストに応えて、ハーンハリーリー外れの友人の店に案内してくれた。新品の直径40cmほどのお盆を色々と見せてもらうが、こちらのお盆は僕達が欲しいお盆とは微妙に縁の形が異なっているため、申し訳ないが希望のモノと違うと言うと、じゃあどういうお盆なんだと聞かれたので、その辺に放ってあった、おんぼろのガラクタの中から縁の立ち上がっている希望のものに近いものを見つけ、「こういうの」と見せると、それなら、それを売るよと言われた。きったない、ガラクタである。しかし、店主のムハンマド・アリーは「磨けばキレイになる。今、磨いてやるよ」という。言い値は120le=1700円。モロッコで買うより遙かに安い。磨いてもらったものを見てからと言うと、小僧にその場で磨かせ始めた。5分後、磨き上がったお盆を見てびっくり。新品とまでは言わないが、十分に使えるし、新品の華美で華奢な作りと違い、重くてしっかりしている。言い値をまけずに買う。

c0008520_18504563.jpg夕食はハーンハリーリー名物の鳩のご飯詰め専門店フラハトへ。サイードに鳩のご飯詰めの正しい食べ方を教わりながら頂く。これが感動する美味さ。鶏と比べて身は少ないが、コクがあり、まさにジビエの味。付け合わせの鳩出汁スープもレモンを搾って濃厚な出汁をガラスのコップで頂く。中のご飯にも鳩の味が染みていて最高。ミレイユさん曰く「精が付くと言われている料理なんです。日本で言うとウナギかしら」。まさにその通り! ウナギもご飯とセットだし、精が付く料理だし、味付けもなんとなく似ている。お店のオンボロな佇まいも含めて! 鳩のご飯詰め「ハマーム・マハシー」はエジプトの鰻重なり!
鳩を食べ終わると既に午前12時。宿まで車でおくってもらい、宿に帰還し、大量の写真を取り込み終わらないうちに眠ってしまう。
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by salamunagami | 2011-01-23 18:51 | エキゾ旅行  

Egypte 03, El Tanboura, Suez Folklore Music

c0008520_17555813.jpgやっと朝8時までノンストップで眠れるようになってきた。ただ起きると、全身筋肉痛と肩のこりがヒドイ。筋肉痛はそろそろひくはず。肩のこりはカメラを首から下げている限り仕方ない。ただ、ここカイロでは普段からカメラを下げておく必要はなさそうだ。というのも単なる大都市で、モロッコの田舎やメディナのような街角を曲がる度に絵になる風景が現れるわけではないからだ。9時前に朝食を済ませ、屋上のテラスで日本の雑誌のための原稿を書く。今日はイスラーム教の重要な祈りを行う金曜だ。なので町中のモスクから説教が延々と垂れ流されている。大音響でムアジンの声がぐるぐると反響しまくっている。定時のアザーンと異なり、単なる説教のはずなのに音楽のように聞こえるのがさすがエジプトだ。ホテルの隣には礼拝所があり、屋上から見ると、中庭に敷かれた色とりどりの絨毯の上で皆が礼拝をしている。
そんな中、僕は一人ヘッドフォンをして仕事だ。

c0008520_17564667.jpg1時近くまでかかってひとしきり終え、昼食に出かける。町に出るといつもは車で混んでいる道がガラガラだ。道路を渡るのも怖くない。タハリールからターラト・ハルブ通りを歩き、銀行のATMをチェックするが、休日のせいか、僕のシティバンクのカードを受け付けてくれない。仕方ないので別の方法で現金を手に入れる。今日の昼食は、エジプトに来た事ある男子ならおなじみ、キング・オブ炭水化物として知られるコシャリを行ってみよう。宿から近くにコシャリ・タハリールというちょっとこぎれいなコシャリ屋があるというので行ってみた。確かにイートインスペースは他の男子校系コシャリ屋と違い、女性だけでも問題なさそうだ。ミディアムサイズを頼むと、ラーメン・サイズの丼にドーンと具が入ったコシャリが届いた。管状だが短く切ったマカロニ、バーミセリ、スパゲッティーニ、茹でたブラウンレンティル、揚げたタマネギが丼に盛られ、そこにちょっとすっぱからいトマトソースをかけ、さらに好みでにんにくの効いた酢や唐辛子ソースをかけて、よ〜く混ぜ合わせていただく。お店によってはご飯も入っているのだが、このお店のはご飯が入っていない。ビタミンもタンパク質もほとんどない、いかにも庶民の食べ物だが、なかなかイケルのだ。しかし、妻はもちろん、僕もミディアムサイズを食べきれなかった。次回はスモールでいいか。他のコシャリ屋も試してみよう。

c0008520_17573386.jpg午後はエジプトのスーフィー・ダンス、タンヌーラのダンサー、サイードさんと結婚なされ、カイロに住む日本人女性ミレイユさん夫婦と会う。約束の時間までまだちょっと間があったので、妻の好きなスタバ系のコーヒー屋に入る。地元のオヤジカフェが100%オヤジの世界なのに対し、コーヒー一杯で地元カフェの15倍も値段が高いスタバ系のカフェは、現地のオシャレな女子達のたまり場となっていることを発見したのだ。もちろん日本で飲むような通常のコーヒーがある。トルコではフィルター・コーヒーと呼んでいたが、エジプトではアメリカン・コーヒーと呼ぶようだ。しかし、今日はクズの粉を溶かした冬の飲み物サーレップを頼んだ。

c0008520_180164.jpg午後2時にミレイユさん達とタハリール広場で待ち合わせ、彼らの車で彼らの家に向かう。途中、ゲジーラ島ザマレクにある音楽&アートスペースculture wheelに立ち寄り、今月のコンサート情報を手に入れる。ナイル川の中州の島を見渡せる橋の上で止まり、次にピラミッドを見渡せるフライオーバーで停車。彼らはピラミッドの近くに住んでいるので、こうして通り越しにピラミッドが見える。

c0008520_181299.jpgミレイユさんは、東京でいつもお世話になっているベリーダンサーのTANiSHQやクミさんの友人で、元三茶在住だったこともわかり、話が弾む。まだ9ヶ月の息子さんアダム君はその間ずっとなんとか一人で立ち上がろうと楽しげに動き回っていた。
サロンでミレイユさんと日本語で話している間に、サイードさんが奥のキッチンでトマトソースのマカロニとポテトフライを作ってくれた。エジプト人、特にアーティストは夜型で、昼に起きだしてくる人が多い。彼らにとって、この午後4時のご飯は昼食とのこと。僕達は昼過ぎに食べたばかりだったが、ちょっと早い夕食を美味しく頂いた。

7時過ぎに彼らの家を退去。タクシーにてギザから市内へと戻る。ピラミッドから続く道は常に渋滞しているようだが、今日は金曜なのでまだ空いているほうらしい。運ちゃんは100kmでかっ飛ばし、往路1時間の道を30分で戻ってしまった。白いタクシーはカウンターを使ってくれて、17LE=250円。20LEの札を渡すと、おおきに!とそのままにされそうだったので、「チェンジ!」と言って、釣りを3LE返してもらい、そのうちの1LEを「シャーイ飲め」と渡すと、にこっと笑われた。

c0008520_1803450.jpg夜9時に昨日訪れたEL TANBOURAホールへ。昨日も来ていたエジプト人のカメラマンや台湾の女性がいたが、今日は地元のお客さんが多い。人気のグループなのかな。
9時半にリーダーのザカリアさんが解説を始め、最初はスエズの伝統楽器でアポロの竪琴に似たシャミシミーヤを二台とカワラ(短い蘆笛)の三人によるインストから。カワラはいかにもエジプト〜ナイル的な音色で、シャミシミーヤはオープンチューニングのストロークでドローンを生みながら、同時にアラブのカーヌーンのような華やかな装飾音を付けることが出来る。

c0008520_182564.jpg2曲目から、ダルブッカ二人と男性歌手が登場。昨晩のRangoはそれなりに全員が民族衣装を着ていたが、今夜はリーダーのザカリアさんからしてブルージーンズにダンガリーシャツ。他のメンバーも黒かブルーのジーンズにダンガリー、そしてナイキ(偽物?)のキャップを被っている。カワラの爺さんだけがガラベーヤを着ていて、トライアングルの爺さんはスーツ姿にフェズ帽を被っている。一体どういう編成なんだ。
歌はエジプトらしく、民謡とアラブ古典の両方から影響を受けていて、更に曲によっては非常にスーフィー的なものを感じる。なかにはお客を笑わせる歌もある。エジプト人のキャラクターと同じくとても親しみ易い。10人のメンバーがそれぞれに歌のアーラープを歌い、メロディーを歌い、客席から女性達を引き上げダンスさせる。昨夜も来ていた英語がきれいなインテリ女性や、こちらでベリーダンスを習っているのだろう白人女性、エジプト人の少女、そしてうちの妻まで客席にいた女性達を楽しく踊らせてるうちに一部終了。
休憩時間にニコンの一眼を下げたちょっと垢抜けた現地の若者に声をかけられる。カリム君はシステムエンジニアをやっているが、仕事の後にコンサートを定期的に聞きにきているという。明日はハーン・ハリーリー、明後日はMAKAANに行くとのこと。僕と似たような動きをしている。イスタンブールや東京ではごく当たり前の音楽好きの社会人という層がカイロでも育ってきているのか....と断言するにはまだ早い。それはこれから自然に見えてくるはずだ。

c0008520_1823347.jpg第二部は最初からダンス大会。10人のメンバーはプロの歌手や詩人、漁師、大工、会社員の集まり。リーダーのザカリアはポート・サイド〜スエズのシャミシミーヤ音楽が絶滅に瀕している事に気づき、9年かけて地域の老名人達から曲を採集し、彼らと若い世代の音楽家とともにEl Tanbouraを結成した。イギリスでもCDをリリースし、WOMADやWOMEXにも出演し、僕が定期購読しているイギリスの音楽雑誌でもCDが推薦されていたらしい。知らなかった! 昨日のRangoはスーダン〜ブラックアフリカに繋がっていたが、今夜のEL TANBOURAは紅海〜アラブへ繋がる音楽だ。会場に来ていた女性達はなぜか全員がいわゆるベリーダンスが上手かった。妻は「エジプトがベリーダンスの中心地と言われる理由が初めてわかった。トルコでも一般女性はここまで踊れない」と言う。しかし、この会場に来ている人達はいわゆる一般ではなく、カイロの音楽通と考えたほうがいいかもしれない。
エジプトに来るまで、「アラブの音楽は商業主義のポップ「シャバービー」ばかりで、もはや面白いものは見つからないのでは?」と懸念していたが、実際来てみるといわゆる新しい音には出会わないものの、経済成長とともに忘れ去られた地方の伝統音楽の復興運動、そして芸術音楽の世界標準化(面白いかつまらないかは別として西洋クラシックやジャズとのフュージョン)は盛んに行われていることがうっすらと感じられる。現に、僕達のカイロ滞在中の夜の予定は既に音楽鑑賞で全て埋まってしまっているのだ。ポップ歌手のコンサートも一度くらい見たかったが。
コンサートは11時20分に終了。ザカリアやカリムに現地携帯の番号を渡し、何か面白い事があったら電話してくれと告げて、お暇する。宿まで歩いて三分。途中オヤジカフェは何軒も開いているが、今夜はちょっと冷えるので、そのまま部屋に戻り、歯を磨くと、電気を点けたまま眠ってしまっていた。
まだ三日目だが、エジプト、なんで15年も来ていなかったんだろうと思うくらい肌に合う。カイロ人は大阪の人達みたいにオープンで陽気だ。
毎日使うアラビア語「アンタ・ラティーフ!(アンタ親切ね)」。モロッコでは「Don't Talk to Me! 」が基本だったのに。
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by salamunagami | 2011-01-22 18:07 | エキゾ旅行  

Egypte 02, Musique Nonstop re-starts @Cairo

c0008520_17134813.jpg明け方のアザーンで目を覚ます。宿から近い所にモスクがあるのだろう。爆音だ。しかも、エジプトのアザーンはトルコとは異なるが非常に音楽的で美しい。モロッコでド田舎仕様のアザーンばかり聞いていたので、耳が現れるようだ。聞き終えると二度寝してしまい、結局朝8時起き。宿のサロンで朝食。モロッコのリヤドは朝食時間が早くとも朝8時半スタートで、下手をするとお昼すぎまでそのまま朝食を取り続けているフランス人達ばかりだったが、ここエジプトの宿では朝食は6時半から9時までと、日本のビジネスホテルみたいに早い。朝食はモロッコ同様のクレープとピタパン、それから普通の西洋パン、ジャムにヨーグルトにジュース、そしてインスタントコーヒーかシャーイ。あまり嬉しくないが、このくらいのほうが昼と夜に腹が空いてくれていい。

c0008520_17143121.jpg食後、たまっていた洗濯物を済ませ、カイロ在住のベリーダンサーのミレイユさん、そして国際交流基金のSさんに連絡するとすぐに会いましょうということになる。妻が部屋で用を済ませている間に、僕は一人近くのVodaphoneに行き、現地のSIMカードを手に入れる。パスポートのコピーが必要で、開通まで15分ほど。SIMカードは15LE(エジプトポンド)=220円。チャージは取り急ぎ25LE=370円分行う。待っている時間に並んでいる携帯端末を見ると、ブラックベリーやNOKIA、サムスンのスマートフォンが日本で買うより、随分安い。しかもキーボードは仮名表記なしで、英語とアラビア語並列表記だ。一台買っちゃおうかな。
宿に戻り、12時に妻と外出。お昼は宿のナビールに勧められた、宿の斜め前のファラーフェル屋でファラーフェルサンド。軽い昼食程度の量だが、一つ1LE=15円。これを向かいのいぶしたマクハ=カフェに持って入り、路上の席でシャーイを頼んでパクつく。シャーイは一杯1LE=15円。ということで、今日の昼食は4LE=60円。昨日の1/50の金額だ。この差は一体なんなんだ?
午後、宿からすぐ近くにある国際交流基金に行き、Sさんに挨拶する。彼はカイロ赴任三年が経つので、少ない情報ですが、と言いながら、沢山のライブ情報とライブベニュー情報を用意していてくれた。中には西洋クラシックもあるし、民族音楽、宗教音楽、ロックバンドまで含まれている。早速今夜も宿の近くのEl Tanboura Hallという場所でスーダン〜ヌビア系のバンドRangoのコンサートがあると教えてもらう。宿が近いとは嬉しい。他にもババズーラのムラットにも紹介されていたライブヴェニューのMakanや、芸術家が新たに開いたculture wheelという場所などの今月公演内容までプリントアウトしてくれていた。これらを全て見ているだけで僕の今回のカイロ滞在は終わってしまいそうだ。今週は忙しいという彼とは、日曜にあるコンサートで再会することにした。

c0008520_17151363.jpg一旦宿に戻り、荷物を置き、今度はタクシーに乗り、日曜のチケットを買いにザマーレクにあるオペラハウスに行く。白いタクシーはカウンターを使ってくれるらしいので、白いタクシーうを選んで声をかけるが、一台目はオペラハウスという英語を聞いて、わからないと逃げてしまった。二台目は、オペラまでなら20LEと、昔ながらのボったくり運ちゃんだったので、こちらが無視。三台目で「オベラ」と強く発音したら、初めて通じた。乗り込むと、日本のタクシーのようにカウンターボタンを押してくれて、出発。とは言え、宿から歩いて5分のタハリール広場を越え、歩いて5分のナイル川の橋を越えた所がザマーレク島で、そこの目の前がオベラだった。運賃は4LE=60円。オベラはコンサート会場だけでなく、音楽ライブラリーやカフェやミュージアムなどが集まった文化施設。ちょうどカイロ・ビエンナーレでナラヨシトモの個展が開かれていた。チケット売り場に行くが、昼休みの最中だったので、庭園のカフェで一休みしてから出直すことにする。カフェにはいかにも芸術家っぽい若者達が集い、外の喧噪が嘘のように緑に囲まれ、静かな場所だ。シャーイを二杯とミネラルウォーター小で8LE=120円。4時半にチケット売り場に戻り、「エッディーニ・イトニーン・タザーケル、フィー・ホブ・アッラー、タラータ・ワ・アシュリーン・ヨーメル・ハッド、アッサート・タマニャー(23日日曜8時のFi Hob Allahのチケットを二枚下さい)」とアラビア語で話しかけると、「クワイエサ!(最高)」と拍手された。もちろん、そこから先、会場のどの辺りの席が良いか、この席は売り切れ、などの込み入った話は英語で行ったが、3週間モロッコでアラビア語を聞いてきたので、耳が慣れてきて、二種類の「A」や数種類ある「T」や「H」などを発音し分けることが出来るようになっている。このまま少しは覚えてしまえると良いのだが。
チケットを買い、宿にタクシーで戻るが、運転手が新米で宿の近くに来ながらも一方通行に苦しめられ、30分近くも行ったり来たりしてしまう。宿に戻るとすぐに日暮れのアザーンが鳴った。屋上に登るとスモッグに覆われた町が早くも闇に溶け始めている。
c0008520_17161478.jpg宿の番頭、笑顔がインド人のように素敵なハレッドに昨夜行けなかったレバノン・レストランTaboula を予約の電話を入れてもらう。すると午後7時に簡単に予約が入った。
宿から徒歩15分でタッブーラ。午後7時だというのにロウソクの灯りの店内が既に1/3は埋まっている。頼んだのは店名にもなっているタッブーラ、ブドウの葉のマハシー、揚げたキッベー、ナス入りのファッター、そしてメインにシシ・タウックのレモンソース和え。前菜四種にメイン一種、そしてステラビールを二本。テーブルにはまずお通しのレブナー、トルコのベヤズ・ペニールと同じ白い酸っぱいチーズとピタパンが届いた。そしてすぐに前菜類がどっと届く。量はどのくらいなのだろう、まあ前菜だから四品頼めるでしょうと、頼んでしまったが、写真を見ての通り、二人では食べきれない量が来た。しかし、全てがレモン大量投入で酸っぱすぎる。レバノン本国のレバノン料理を思い出す味だ。レバノン料理は一旦海外に出ると酸っぱさが半減するのだ。タッブーラはパセリとトマトと少々のクスクス、そこにレモンという胃に優しそうなサラダなのだが、実際はこの組み合わせからよくぞここまで攻撃的な味わいに出来るなあ。トルコ料理にもあるブドウの葉でご飯を包んだ料理もレバノン料理になるとレモンたっぷり。そしてファッターというパンと揚げナスをヨーグルトに沈めた料理も酸っぱい。酸っぱくないのは揚げキッベーだけ。メインの鶏のケバブもフライドポテト、マッシュルームを大量のレモン汁に沈めたものだった。これは鶏の出汁とレモンが強烈に溶け合っているが、酸っぱすぎて痛いくらいだ。だが、僕にはこれは癖となる味だった。肉を食べ終わり、残った強烈なレモンソースをスプーンで一口ずつ口に運ぶと、漢方を飲んでいる気分になった。良薬は口に苦し、いや良薬は口に酸っぱし。食べ終わる頃には周りのテーブルは完全に埋まっていた。早い時間はアメリカ人とイギリス人が目立ったが、8時を過ぎると現地人ばかりになった。そして僕達以上に豪快に料理を沢山頼んでいる。エジプトも随分豊かになったんだなあ。モロッコならこんな高級店で現地人を見ることはないのに。食後のシャーイはどうせリプトンのティーバッグだろうと思い、パスしたが、妻が頼んだ所、案の定リプトンのティーバッグだった。お茶、チャイ、シャーイは中東全域で飲まれているが、やはりトルコのサモワール式のチャイが一番美味い。ティーバッグを高級店で平気で出しているのを見ると、やはり中東では料理もお茶もトルコが一番だと思わざるを得ない。
「お勘定」という言葉はトルコ語と同じく「ヘサップ」。「時間」もトルコ語と同じく「サアト」、色々な語彙がトルコ語と共通しているのが助かる。トルコ語がアラビア語から取り入れたもののほうが多いとは思うが。

c0008520_17165672.jpg食後、一旦宿に戻り、荷物を整理し、いざエル・タンブーラ・ホールへ。実はここへの行き方も番頭のハレッドが電話してくれて、チケットを予約してくれ、宿からすぐの距離と聞いていた。9時前に出発。宿をいつもとは反対の南側に下り、東西に走る通りを東へバラディーン宮殿方角に歩く。ここら辺は下町で、夜になってもオヤジ茶屋が沢山並んでいて、通りに席を並べて、オヤジ達が水タバコを吹かしている。東洋人が歩いてくるのが珍しいのか、みんなこちらを凝視する。目が合う度に「アッサラーム・アレイクム」と挨拶すると、「ワアレイクム・サラーム」と返事が返ってくる。モロッコ人と比べてエジプト人、カイロ人は本当にオープンだ。モロッコ人の持つ閉鎖的な雰囲気、ポウル・ボウルズの小説の登場人物のような不条理さはみじんも感じられない。その中から50m行く度に、人の良さそうなオヤジを見つけ、「エル・タンブーラ・ホールはどこですか?」と聞きながら進む。ちょっと通りを引き返し、左折して、細い路地を進み、東西に走る大通りを横切り、更に北に斜めに入る。するとローカルな路地の奥に煌々と照らされたにわか作りのホールが現れた。入り口で名前を告げると、「どうやってこの公演を知ったのですか?」と英語で係りのアニキに話しかけられた。チケットは20LE=300円。横で今夜のRangoではなく、ホールの名前にもなっている別のグループEl TanbouraのCDを売っていたので40LE=600円で一枚頂く。
ホールに入ると、東洋人の若い女性から話しかけられた。台湾から半年間音楽の留学に来たばかりの琵琶奏者のミーアさん。まだ着いたばかりで地下鉄も乗れないとのことだが、よくぞまあこんなディープな場所に女性一人で来ているものだ。

c0008520_17173385.jpg公演は9時半にスタート。Rangoはヌビアとスーダンとエジプト人の混成バンドとのことだ。一曲目はエチオピアのリラと同じハープをオヤジが弾き語る。二曲目からは二人のバタ・ドラムが加わり、いきなりグルーヴィー。エジプトの音楽ではなく完全にブラックアフリカの音楽だ。次の曲ではでっぷりしたオバチャンが加わり、アラブっぽいコブシ回しの歌から始まり、そのままトランシーな太鼓でオバチャンが頭を前後に振り出した。ザール(エクソシスト)である。着いて早々にこんな音楽が1m以内の至近距離で聴けるとは、カイロ滞在さい先良さそうだ。
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オバチャンの後はメンバーがフルに登場し、それぞれにジェンベやお手製のシェケレ、腰ミノなど鳴り物を用い、アフロなポリリズムを作り出す。金のブレスレットや虎柄のシャツで決めた長身のアニキはいかにもアフロなフレーズでお客にコール&レスポンスを強制する。お客さんが十数名しかいないのが残念だが、音楽家はそんなこと関係なしに全力で演奏してくれる。隣の席に座っていたエジプト人インテリ系女性やうちの妻らは手を引かれ、ステージで踊らされた。一時間の演奏後、10分の休憩を挟み第二部。再びオバチャンのザールから始まり、9人のメンバーがそれぞれに歌い、主役となり、最終的には大ダンス大会となり、11時過ぎにコンサート終了。終了後ミーアさんと連絡先交換をし、何か演奏する機会があったら是非呼んでくれと伝える。出口ではEl Tanbouraホールの主催者で、明日演奏するEl Tanbouraのリーダーのザカリアさんと話をする。このホールは民謡系のグループばかり12組が出演しているとのこと。Rangoは200年ほど前にスーダンやヌビアからカイロに移住してきた人達の音楽だが、明日のEl Tanbouraはポート・サイードの民謡であり、第三次〜第四次中東戦争時には戦争の舞台となった地域のプロテスト音楽であるという。CDも買ったので明日が楽しみだ。モロッコ旅行の間、久しく忘れていた都会の生活が再び始まった。

c0008520_1719012.jpg帰り道、もしかして目の前の大通りはタハリール広場から宿まで繋がる、いつも歩いている道「シャーリア・モハマッド・マフムード」じゃないかなと思ったら、案の定そうだった。宿までの距離たった三分強。なんだこんなに近くだったのか。往路は大回りをしていたのだ。
宿に戻りマネージャーのナディーンにEl Tanbouraホールの事を話すと、そんなに近くにあったのに全く知らなかった。他の宿泊客にも是非教えたいので連絡先を教えてという。是非是非。今夜もお客が少なかったし、是非宿をあげてお客を送り込んで欲しいものだ。問題は、この町に来ている観光客のほとんどは現在のエジプトではなく、古代のエジプトを見たいということだ。もちろん僕は古代エジプトなんて全く興味ない。
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by salamunagami | 2011-01-21 17:19 | エキゾ旅行  

Egypte 01, Goodbye Maroc, Salaam Egypte

c0008520_1717562.jpg朝四時くらいに隣の部屋の騒音で起こされた。
朝7時に起きると、カサブランカもまだ夜が明けていない。アラームはセットしたが、電話でのモーニングコールも鳴った。特に頼んでいないのに、こういう気遣いがこの宿をTripadvisorのカサブランカで一位にしているのかもしれない。8時15分前には今からタクシーを呼ぶよと電話があり、8時ジャストにはタクシーが来たよとそれぞれ連絡を受けた。
タクシーに乗り込むと、昨夜はゴミだらけだった路上がさっぱり、ゴミがほとんど全て片付けられている。清掃は夜のうちの仕事なのか。コロニアルで煤けた町並みが朝一番だけは元々の一世紀前の姿を取り戻すのか。
早くも渋滞が始まっている市内を抜け、空港に近づくと濃霧が出ていた。これで飛行機は問題ないのか。それとも朝だけなのか。空港着は8時50分。ターミナル番号がわからないので運転手は一番国際線の多いターミナル2に案内してくれた。確かにそこはロイヤル・モロッコ航空が多いが、僕達の乗るカイロ行きの飛行機が案内版に載っていない。インフォメーションの女性に聞くと、朝から如何にもめんどくさそうな顔をしながら、その飛行機はターミナル1で、黄色い線に沿って進めば着くわよと、教えてくれた。荷物を転がしターミナル1に向かうがエスカレーターのところで黄色い線が切れてしまう。エスカレーターは登りしか動いていないので重たい荷物を持って階段を下りる。ターミナル1の奥に進むと、制服の男性がそこじゃない、二階だと言うので、二階に行くと、今度はチェックインは一階の奥だと言われる。またまた重い荷物を持って階段を下り、一番奥にあるチェックインカウンターを発見するが、カイロ行きの文字が見あたらない。係の女性に聞くと、15~16番カウンターで受け付けていますと言われ、言われた通り16番に並ぶと、飛行機はリヤド(サウジアラビア)行きで、途中にカイロを経由する便だった。列に並び、僕達の番になると、我々はコンファームされていないという。コンファームされているよ。僕のコンピューターにコンファームドとちゃんと入っているじゃないか!と大声でクレームを入れると、僕ではどうにも出来ないので二階のロイヤル・モロッコ航空のオフィスに行き、何かの手を打ってもらってくれ、幸いまだ時間は一時間以上あるのだからと言われる。ガーン、これで飛行機に乗れないかもと思いつつ、またまた重たい荷物を引きずり、二階に上り、オフィスに行き、状況を説明すると、係の女性がその場でチケットを発券してくれた。それを持って三度階段を荷物を持って降り、チェックインカウンターに並び直す。係のアニキはまだ新米らしく、自分の権限で何も決めたくなかったらしく、僕達のチケットを見ながらも上司を呼び、一々説明を受けてから、初めて席を用意してくれた。そこまで空港到着から一時間。本当にどっと疲れた。
出国審査を受け、ゲートまで行き、そこで水を買い、時刻どおりの飛行機に乗り込む。フライト時間は4時間45分。モロッコの時間で午後4時、エジプトの時間で午後6時過ぎにカイロに到着する。飛行機はボーイング737-800と最新の機材だが、トイレは30年落ちかと思うほど汚れている。長距離バスの移動が続いたので4時間半の飛行機など別にたいしたことはないのだが、チェックイン時のトラブルで身体は疲れきってしまった。

c0008520_1718599.jpg午後6時半にカイロにランディング。眼下に広がる大都会は東京なみに大きい。伝統的なオレンジ色の街灯にLEDや蛍光灯の白昼色の光が加わって、ドバイよりも未来的、というかトロンの世界である。
空港でまず両替、ビザを取得、それから入国。モロッコでのチェックイン時が嘘のようにあっけなかった。空港の出口にはタクシードライバー、アシュラーフが僕の名前を書いた紙を持って待っていてくれた。空港からの道は片側4車線もあるのに夜の渋滞でなかなか先に進まない。道路脇には観光客を迎える意味を込めてか、大きな看板に古代エジプトの神殿などの絵が妙に往年の少女漫画趣味(ニューエイジ入ってるような)で次々に続いている。交通標識はこれまでのアラビア語とフランス語の並行表記ではなく、基本的にアラビア語だけ。町に近づくとモスクとミナレットの形がこれまでのトルコやモロッコとは全く違う、繊細なキャンドル型なのに気づく。「マスル・マスゲッド・ジャミーラ(エジプトのモスクはきれいですね)」とアシュラーフに言うと、それまで言葉が少なかった彼も、道々の説明をアラビア語で始めた。ハーン・ハリーリー広場の近くで突然地下のバイパスに入ると、そこは地上道以上に渋滞していた。空港から既に45分、10分ほど渋滞を抜けると突然カイロの中心のどこかの広場に出た。「トンネルを抜けると」の世界である。そこから5分ほど走り、下町の電気街のど真ん中でタクシーは停まり、「この建物の12階がホテルだよ」と言い残し、そのまま行ってしまった。

c0008520_17264390.jpgおんぼろのエレベーターに乗り、12階に上る。受付のハレドはとても腰の低い、上品な感じのエジプト人男性、そしてマネージャーの女性ナディーンはどこの国籍だろうか? 人気の宿で一番高い3人部屋しか空いていなかったが、部屋の作りや設備はホステルというかゲストハウス、安宿の一番イイくらいのレベルだ。それでもネットの口コミで信頼され、マネージメント側の対応も丁寧なので、値段を少々上げてもお客が離れないのだろう。一年前に泊まったデリーの日本人宿を思い出した。あそこも日本人しか泊まらせないのと、信頼度の高さで、宿の設備は3000ルピー程度だったが、値段は一泊6000ルピー、12000円だった。デリーではその後、もっと安くて設備の良い宿を見つけた。これまで3週間、フランス人のゲイカップルの美意識によって徹底的に磨かれたリヤドにばかり泊まり続けてきたので、この男子校仕様の宿はなんとも無粋に見えてしまう。和光大学キャンパスにあるコンパ室じゃないんだから。

c0008520_17194546.jpgまあ少々高くとも、部屋に置いた荷物の鍵を閉めなくても問題なさそうなのはうれしい。屋上のテラスもカイロの下町が360度見渡せる。(しかもここはビールもワインも置いてある!)オーナーのナビールもとても大阪のオッチャンぽい親しみ安いキャラだし。

c0008520_17281328.jpgナビールに近くのレストランを紹介してくれと言うと、すぐに通りの反対側にあるファラフェルサンド屋をあげた。でも今夜はもっと豪華な飯が食べたい。というとちょっと歩くがレバノン料理があると言われ、地図までもらったので、そこを目指す。通りに出ると歩いて5分ほどで、15年前にも立ち寄ったマクドナルドを発見し、そこがタハリール広場であることに気づく。アメリカン大学、インターコンチネンタルホテルの裏側まで歩くと、通りは警官がいっぱい立っていて、やたらと物々しい。アラビア語表記されたレストランの住所を見せると、そのまままっすぐ行って、左と、皆さん親切だ。目当てのレストランは見つかったが、今夜はフルとのこと。妻がどうしてもここで食べたいと言い出したので、翌日の夜7時に予約したいと言うと、若い店員が、フっと鼻で笑い、「明日の7時なんて無理。団体客でいっぱいだよ。予約したければ10時半以降だね」と軽くなじるように口にした。
仕方ないので、地球の歩き方エジプト編08~09年版(一年半前に来る予定で買っておいたもの)を広げ、カイロのレストラン情報ページに一番最初に載っていた高級エジプト料理店とその隣にあるはずの韓国料理店どちらかに行ければイイと、タハリール広場まで戻ることにする。夜のタハリール広場を半周するのは、広い道路を何度も横断歩道と信号なしに横断しなければならないので消耗する。タハリールを渡りきり、地図に載っているレストランの場所にたどり着くと、再開発の工事が大々的に進んでいて、その辺りは根こそぎ掘り返されていた。仕方ない、15年前にも何度も寄った中級レストランfelfelaに行こうか。ターラト・ハルプ通りを歩き、フェルフェラのサンドイッチ専門別店舗を横切り、次の角を右折し、フェルフェラ本店に到着する。既に9時半、一時間も宿を出てから歩いていたことになる。ステラビールを頼み、前菜にフール、メインは鳩の詰め物焼きを頼んだが、今日は既に売り切れとのこと、ではフェルフェラソーセージという店の名前のついた料理を頼む。妻はファッタ・ウィズ・ライスというを頼む。

c0008520_17272426.jpg午前中のチェックイントラブルに続き、カイロの夜道を一時間さ迷ったので身体は心底疲れ、よく冷えたステラビール500ccをあっという間に飲み干してしまい、僕としては珍しく二本目も頼んだ。というのもフェルフェラ・ソーセージが濃密で、ビールのつまみによく合うのだ。フェルフェラは改装され、夜10時を過ぎても外国人、現地人客がひっきりなしに現れる。以前はいぶしたファミレスのようだったが、今ではちょっとコージーな感じだ。モロッコと比べると、こういう店に現地のカップルやオッチャン、オバチャンが多いのは内需が発展している証拠だ。エジプトは巨大な観光地だが、それ以上にアラブの経済の中心地なのだ。
10時半に宿に戻り、ネット環境を確認し、歯を磨くと、モロッコ時間はまだ午後8時半だが、もう起きていられない。原稿は明日やろう。申し訳ないTSCHDT君。ベッドに入ると、一瞬で眠りについてしまった。
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by salamunagami | 2011-01-20 17:28 | エキゾ旅行  

Maroc 22, Casablanca The Big City

c0008520_9141051.jpg今日はモロッコ最後の大移動。チャーミングな港町エッサウィラから殺伐とした大都会カサブランカへ。朝7時に目覚ましで起き、荷物を詰め込み、8時半に朝食。リアド・マライカの朝食は毎朝、少しずつ内容が違っているのが嬉しい。今日はモロッコのクレープ二種。インドのロティのようなこのクレープも今日が最後か。ゆで卵が付くのも久しぶりだ。マラケシュの宿もこのくらい気を遣ってくれれば良かったのに。9時に来た時と同じミルードの荷押し車に荷物を載せられ、宿を離れる。町を歩いて15分かけて、スープラトゥールの停留所へ。エッサウィラでは旅の疲れが出てしまって、結局夜遊び出来ずグナワを聞くことが出来なかった。もっともきちんとしたグナワは儀式などがないと聞く事が出来ないことはわかっていたのだが。それにグナワはこれまでに三度もフェスティバルに来てたっぷり聞いているから、逆にフェスティバル中は忙しくてよく見ることの出来なかったエッサウィラのメディナを堪能出来た。庶民派ハマムも一旦重い腰を上げてみると、もっと前から試してみれば良かったと思うくらいだ。それでも、エッサウィラに3泊だけでは少なかったなあ。ラバトを1泊にして、こちらを増やせば良かった。フェズ5泊も多かったかな? いや、旅とは、ああすれば良かった、こうすればもっと良い思いが出来た、そういう無駄の積み重ねなのだ。

c0008520_9152492.jpg9時半にバス出発。30分も走らないうちに内陸に入り、空気が急に乾燥し、大地が赤茶色になる。モロッコの面白さはたった200kmくらい走っただけで、海が砂漠になったり、高山になったり、盆地になったりと大地が変化に富んでいる事だ。所変われば音楽が変わることは以前から知ってはいたが、所変われば料理が微妙に変わることも今回学んだ。11時前に往路にも立ち寄った道の駅に着く。20分休憩を挟み、出発すると、エアコンが必要なくらいバスの車内温度が上がっていた。マラケシュの40km手前で高速道路に乗り、20km分くらいをショートカット。これで12時過ぎにはマラケシュのスープラトゥール停留所に到着。そのまま荷物を引きずり、隣の国鉄駅に。電車は午後1時なので、50分の時間がある。すっかりきれいに生まれ変わった国鉄駅内にはマ@ド、KFC、セガ@レッドが入っていた。マ@ドは漂ってくる油のニオイを嗅いだだけでゲップがしたので、隣のセガ@レッドに入った。コカコーラとサンドイッチで45DHというセットを頼むが、七面鳥ハムのサンドイッチはパンはパサパサで、ハムは何も味がしない、ヒドイ味だった。今回のモロッコ旅行で最悪の飯だ。インドのアーメダバードでは、町で一番美味いのはサ@ウェイのサンドイッチというのは僕の周りの人間の共通する意見だ。フランスのパリに住むギタリストの友人は僕からその話を聞いて、サ@ウェイはパリで一番不味いものですよと笑っていた。所変われば味変わるのだ。まあ、本当の所を言えば、移動中は基本的に腹など減らないのだから、何も食べる必要はないのだ。それを頼んだ僕が悪かったのだ。

c0008520_9161640.jpg午後1時前に電車に乗る。通常一等車は列車の一番後ろに着いていて後ろから1号車、2号車となっているのだが、今回だけは一番後ろが二号車で、その前が一号車だった。しかも一号車にその表示が貼り付けられてない。なので、電車の乗り込み口は混乱した乗客でパニックが起きていた。乳母車をもったお姉さん、大型スーツケースの僕達、隣の車両に移りたい駅員で立ち往生。「一号車と二号車の接続の順番を間違えちゃった」「まあ気にすんな」くらいの事から始まった事だろうが、その混乱が意味なく連鎖拡大するのがモロッコ人の気質である。
座席を確保し、三時間ふかふかのシートでうつらうつらしているとカサブランカ・ヴォワヤジュール駅に到着。そこから赤いプチタクシーに乗り、ヌーヴェル・メディナを通り、町の中心にあるホテル・アムードに着。ここもリヤドではなくホテル。評判の良い三つ星だ。夕方5時前に部屋に入ると、新しい町に着いたというのにもう一歩も外に出たくなかった。メールをチェックし、原稿を書き、しばらくすると外が暗くなってきた。カサブランカは海が近いせいか、湿度が高く、妙な冷え込みかたをする。妻はインドのカルカッタに似ているという。確かに旧植民地時代の建物が修復もされずに湿気によりズタボロに朽ちていくような風情はカルカッタに似ている。

c0008520_9172446.jpg昨日も夕飯をかたつむりとイチゴだけにして、今日もお昼はちょっと食べただけで残りは捨てていたので、夕方になると腹が減ってきた。7時前に外出し、ロンプラに載っていたレストランを物色する。これがモロッコ最後の晩だ。モロッコ料理もしばらく食べ収めだ。そこで中央市場北の飲み屋街にあるL'Etiole de Marocというモロッコ料理店に入る。フェズのリアド・エル・ガリアやマラケシュのブシュラーさん宅のサロンを思い出す、欧アラブ折衷型の低いテーブル&ソファが部屋を取り囲み、壁には色とりどりの幾何学模様。目が回りそうだ。アルコールは置いていないが、今夜は原稿仕事もあるのでちょうど良い。僕は食べ収めにクスクス・ロワイヤル、妻は仔羊とプルーンのタジンを頼む。20分ほどで出てきたクスクス、マトンと鶏肉が野菜と一緒に煮込まれ、上に仔羊のケバブが乗っかっていた。これまで食べた店では見ることのなかったひよこ豆が入っていた。ソースも僕が日本で作っていたようなオレンジ色のちょっとスパイシーで絡めのスープ。今回二カ所でクスクスを習ったが、どちらもポトフやおでんのスープのように澄んだ色のスープだった。オレンジ色で、少々濃度が高いスープは3週間目にして初めてだ。
一方、仔羊とプルーンのタジンも、今回は鶏肉のタジンばかり頼んでいたので、実はこれが最初だった。仔羊の強すぎない出汁がプルーンに溶け合って、濃密過ぎず、弱すぎず。なかなかに美味い。食後にこれまた最後となるだろうアッタァイ(ミントティー)を飲んでいると、8時過ぎにフランス人の高校生団体が20人ほど一気に現れた。こちらのリセの生徒だろうか。ウェイターが彼らに構いっきりになる前にお暇しよう。料理二品とミントティー、そしてオレンジジュース二杯とウルメス(モロッコの天然炭酸水)で249ディラハム=2490円。豪華な店内にしては安めの値段設定なのも嬉しい。

c0008520_9181719.jpg帰り道、町の中心にも関わらず、街灯が少なく、やたらと暗いし、人出が全くない。その上道路の端にはこれまでモロッコのどの都市でも見たことないほど、いや、世界のどの都市でも(いや、イエメンのサナアと同じくらいか)見たことないほどありとあらゆるゴミが溜まっている。夜のうちに掃除人が来るのかもしれないが、マラケシュでもフェズでもラバトでもこんな大量なゴミは見たことない。一体どういうことなのだろう? と歩いていると、たった五分ほどの距離なのに、ホテルまでの道を見失った。鋭角の角が次々と連なっているため、一本入る道を間違えると全く別の方角に行ってしまうのだ。それでも地図を見ながら、ホテル街にたどり着く。すると多くのホテルは一階部分がバーになっていて、いぶした店内からアラブ音楽が流れ、いぶした不良オヤジ達が顔を覗かせている。幸いにして我がホテルを発見し、部屋に戻る。明日はモロッコを発つ。荷物を必要以上に広げないようにしながら、日本の雑誌の原稿を書いていると、いつのまにか夜中になってしまった。そろそろ眠ろう。3週間もメディナの中のリヤドに泊まっていたので、夜は全くの無音だったが、ここは大都会のホテル。隣の部屋からはテレビの音が聞こえ、反対側の部屋からはオバチャンの怒り声が響き渡る。壁が薄いなあ。耳栓して寝ようかな。

c0008520_9191110.jpg写真は7年前に買い、これまで日本とモロッコを四回も往復した03年版のロンリー・プラネット・モロッコ編。今回回った旅路を赤ボールペンでなぞってみた。03年版なので、さすがに物価や情報は古くなっていたが、最新情報はネットで手に入るので、基本情報のために今回も持ってきた。十分役目は果たしてくれた。しかし、荷物がどうにも増えてしまったので、ここで宿に置いていくことにしよう。人知れず捨てられるのではなく、ここを読んでくれた皆さんの心に残るのだから、置いていかれたとしても本望だろう。
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by salamunagami | 2011-01-19 09:21 | エキゾ旅行  

Maroc 21, Hammam & Argan Oil Massage

c0008520_613432.jpg朝起きると全身が筋肉痛。さすがに3週間も移動を続けてきたのと、毎日、日本の生活では考えられないくらい歩き回っているから身体にたまった疲れが抜けないのだ。20代の頃のようなハードな旅はしているつもりはないし、普段からこのために身体を鍛えているのに、ダメダメだなあ。妻も同じ症状なので、今日はのんびりしようということになる。
朝飯を9時過ぎに取ると、9時半くらいになってサロンが一番混み合った。なんだ僕達は普段からだいぶ早く朝食を取っていたのか。

c0008520_6141854.jpg午前中は日記を書き、昨夜買ったグナワのCD40枚ほどの包装ビニール袋をはがし、CDケースを捨てる。グナワのCDは正規盤すらCDRで、ジャケットの印刷物は4割近くが端が悪意ある程折れ曲がっていたり、破けていたりする。「ジャケットなんて意味ないよ、CDだってリッピングして聞くんだから、CDRだろうがなんだろうが関係ないだろ!」という制作者からの心意気が伝わってくる。買ったうち一枚はシールドされていたのに中身のCDが入っていなかった。これで二回目だ。約250枚CDを買って、そのうちの二枚が中身無しだったので、モロッコ盤は1%弱がこういう仕様になっているということだ。

c0008520_6171041.jpg12時過ぎに下に降り、オーナー夫妻に、身体が疲れたと告げると、ハマムに行って、それからマッサージベルベルという店に行くと良いと勧められる。マッサージベルベルは妻が先日、内容と値段を確かめに行って、ちょうどマッサージにかかろうかと思っていたので、その提案を受け入れる。
まずはCD屋に行き、中身無しCDを交換してもらう。もちろんすぐに交換してくれた。次は妻が夕食にと考えていたイタリア料理店を探すが、またまた見つからない。月曜休みだったのかもしれない。仕方ないのでムーレイ・イドリス・ハッサン広場近くのサンドイッチ屋台に行くが、これまたハズレの屋台で買ってしまい、全然美味くなかった。目の前のカフェ・ド・フランスで一休みし、宿に戻る。

c0008520_6153717.jpg垢すり用のグラブとサボン・ノワールというモロッコ独特の天然石けんを買い、足下はクロックスに履き替え、財布も宿に置き、先日行った庶民派ハマムを再訪。今度はマッサージも垢すりも要らないというと、なんと10ディラハム、100円だった。日本だって銭湯は450円だから、モロッコは100円くらいだよね。あとで妻に聞くと、200円とぼられたとのこと。月曜の昼間からハマムにいるのはオッサンばかり。先日よりゆったり場所を使えた。一人で床に横になり、汗がじと〜っと出てくるまで待ち、自分で垢すりをし、今度は座って出来るヨーガを一人20分ほど行う。周りのオッサン達に好奇の目で見られた。もちろん床が滑るので太陽礼拝なんてのは出来ないけど。

c0008520_6175624.jpg4時前に宿に戻り、今度は5時に宿の番頭ハキムに連れられ、マッサージベルベルに。二時間のアルガンオイルマッサージが350ディラハム=3500円。妻とともに個室に案内され、服を着替えさせられ、まずは乾燥薔薇を入れた足湯。そのまま足裏のマッサージ、そして寝台に横になり、アルガンオイルをたっぷり使ったリンパ腺系のゆるいマッサージが続く。スネの裏側をゆるゆるマッサージされ、僕はいつの間にかいびきをかいて寝てしまったらしい。そのまま背中、両手、肩、頭、そしてひっくり返され、両足、両手、お腹、胸、首と丁寧にもみほぐすされ、あっという間に二時間が経っていた。バリ島のリンパ系マッサージ、シンガポールの足裏、タイマッサージ、インドのアーユルヴェーダ等と比べても二時間3500円ならお得な内容だ。トルコのハマムに行って、オッサンに無理矢理ゴリゴリ身体をひねられ、「どうだ、最高だろ?」と強制され、7000円くらい取られることを思えば、モロッコでこの内容はえらい!
c0008520_6183155.jpgマッサージベルベルを出ると、もう夜7時過ぎ。メイン通りにはカタツムリスープの屋台が出ていて、女性ばかりが集まっている。もうすぐモロッコの旅も終わる。ここらでカタツムリ行っておく? カタツムリの身はフランスのものと比べると小さくて、泥臭いが、クローブと胡椒が強烈に効いたカタツムリの出汁のスープは身体がとても温まる。疲れた胃袋をカバーしてくれそうだ。
今夜は写真のバックアップと原稿書きのための資料ダウンロードのため、wifiが強い一階の暖炉で作業中。
明日はバスと電車を乗り継いでの長時間移動だ。
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by salamunagami | 2011-01-18 06:19 | エキゾ旅行