Maroc 19, Essaouira, Shanti Town

c0008520_0195182.jpg今日も朝から移動。朝6時半に起き、7時半に朝食を取り、7時45分にチェックアウト。宿の主人のケヴィンにタクシーの値段交渉と荷物運搬を頼むと、ボーイのオッサンに言付ける。するとオッサン何故かはりきりすぎて僕のスーツケースを無理して引っ張って、取っ手の部分の金属を曲げてしまった。更にタクシー運ちゃんが50ディラハム=500円を要求してきたのを値切りもしないで、「50ディラハムだそうです、サー」と真顔で言ってくる。全く、何の為にアンタ呼んでると思ってるんだ。タクシー運ちゃんとは交渉決裂し、次のタクシーを僕が30に値下げ交渉し、それに乗り込む事にした。結局の所、このオッサンは僕のスーツケースを壊すためだけに存在したわけだ。彼とは毎日顔を合わせていて、実直でまじめな人間だと思っていたが、スーツケースの取っ手を壊しても「僕のせいじゃない。壊れてしまったんだ」で済まそうとする。お客の荷物だから大事に扱わなければいけないとも思わないし、元々、人の気持ちを考えるとか、そういう初頭教育を全く受けていないから何を言っても始まらない。日本語で言う所の「糠に釘」ってやつだ。階級によって人間が区分されているヨーロッパやイスラーム教国に来ると、「イイ人」なのかもしれないが、無能な人間、単なる働き蜂、もしくは働き蟻みたいな人間が本当に多い。日本人なら、どんな人でも最低限の教育を受けているから、自分でモノを考えられるのに。あとでケヴィンにメールを入れておこう。ここで忠告しておかないと、いつか同じ事が起きる。欧米人客相手に同じ事をしたらTRIPADVISORに英語で悪口を書かれてしまい、宿は一瞬のうちに閑古鳥になってしまうだろう。そういう時代である。

c0008520_041557.jpgタクシーで10分でマラケシュの鉄道駅裏のスープラトゥール着。バスを待っていると日本人の男性から話しかけられた。デジタルカメラを盗まれてしまい、テレフォンカードを買って現地トラベルデスクに電話をかけてみたのだが、番号が間違っているようで繋がらないので、どうしたら良いのでしょうとのこと。電話番号のプリントアウトを見ると、現地在住の日本人の携帯の番号が書かれていたが、どうみても桁数が一桁足りていない。そこで朝早い時間だったが、お世話になったMさんに電話してみたところ、最初の06に更に6を足すと良いと教えていただいた。6を加えてかけ直してみるときちんと繋がった。しかし、彼も、カメラを盗まれ、その連絡のためにテレフォンカードをわざわざ買って、今やなかなか見つからない街頭の公衆電話を探し、いざかけてみたら、電話番号違いだなんて、踏んだり蹴ったりの気分だろう。とりあえず連絡出来て良かった。お疲れ様でした。

8時半バススタート。東北海道の鈴木宗男ロードを思わせる片側二車線の最新の高速道路に乗り、途中20分の休憩は挟んでも11時10分には早くも大西洋の海と見慣れたエッサウィラに到着した。冬のエッサウィラは寒いと、数年前の正月に訪れた友人達に聞いていたが、逆に今回のモロッコ旅行中最も暑い。Tシャツ一枚でも問題ないくらいの暖かさと強烈な日差しだ。スープラトゥールの停留所からリアド・マライカに電話すると、すぐに手押し車でミルードという男を行かせるとのこと。
待っていると客引きが次々と話しかけてくる。中でもサングラスをかけた若者がしつこい。
「エッサウィラにようこそ。どのホテルでも案内します」
「ありがとう。でも、僕は君が生まれる前、1989年からこの町に来ているので、君よりもこの町について長く知っているから問題ないよ」
「そうですか。でも僕は1983年生まれなんです」
「そうか。君は年より若く見えるねえ」
「僕はマラケシュ大学の学生なんです。だからガイドじゃありません。安心して下さい。どこでも案内しますから」
「1983年生まれなら、28歳だね。そんな年齢の大学生はいない。すると君は嘘つきということだな」
「いえ、実は1988年生まれの23歳なんです」
「いずれにせよ君は嘘つきということだ。学生証を見せてくれよ」

c0008520_052930.jpg10分ほど待っていると白髪交じりのオッサンが青い手押し車を押してやってきた。名前を聞くとミルードと名乗り、リアド・マライカから来たと言う。これをきちんと確認しないといけない。フェズのヴァンサンの話では、携帯電話の会話を横で立ち聞きしてて、名前の書いたホワイトボードまで手配して、全く違う場所に案内する輩がいるらしい。ミルードは僕の取っ手の壊れたスーツケースを乗せて、荷車を押して、ゆっくりとメディナに入る。白い壁に青い扉、魚を焼く香り、グナワとボブ・マーリーが大音量で流れる楽器屋やCD屋、サンドイッチの屋台、なぜかすぐに攻撃的な気分になったマラケシュと違い、エッサウィラはとてもシャンティーな気分になれる。すると、ここ数日の日記で書いてしまったグチはモロッコ人全体ではなく、マラケシュの、そのまた一部の人間についてだったんだと気づいた。例えばイスタンブールでも、旧市街スルタンアフメット地区に滞在した人は、イスタンブールは人間が悪すぎる、良い思い出が全くないと言う。僕達はイスタンブールでは新市街に滞在しているからこそ、良い出会いがあるのだ。マラケシュは外国人旅行者がアクセスする場所が全てイスタンブールのスルタンアフメット地区と同じ状態になっているだけなのだ。それだけを見てモロッコ全体を判断していはいけない。海とグナワの町エッサウィラはマラケシュからずっと戦闘態勢だった僕をほっこり溶かしてくれる。

リアド・マライカは例によってフランス人男女の夫婦によって経営されている全9室の小さなリヤドだ。場所はグナワフェスでは夜のリラの会場となるPlace Chrib Atayの裏。郵便局や日仏学院からも一分の便利な所にある。hotels.comのラストミニッツで70ユーロの部屋が50ユーロにバーゲンされていたので、Tripadvisorの高評価も読んでからここに決めた。若い番頭のハキムが三階の部屋を案内してくれる。ベッドの他に大きめのイスと小さなカフェテーブルが置かれ、なんと外側に開いた窓がある。浴室にも窓がある。しかも、室内灯はボリューム式で、今まで泊まっていた宿の中で一番明るい。これで50ユーロは嬉しい。屋上のテラスは四階で低いため、海は見れないものの屋根にカモメが停まっている。イイ宿だ。

c0008520_0662.jpgお腹が空いていたので、早速メディナに繰り出す。マラケシュのMさんとゆみこさんから、エッサウィラに行くなら是非行って欲しいと言われていた海産物スークの一角の食堂を目指す。海産物スークは知っていたが、その奥に世界が広がっていたとは知らなかった! エッサウィラの和庄市場、売られていたのはイワシ、カタクチイワシ、小鯛、イトヨリ、カサゴ、ホウボウ、マメアジ、シタビラメ、太刀魚、ウツボ、エイ、アンコウ、メルラン(小さなタラ)、コウイカ、ケアシガニ(フランス語では「海の蜘蛛」と言う)、甘エビ、そして僕の大好物シャコ(シャコはフランス語では「海の蝉」と言う)! 

c0008520_065288.jpg僕は魚市場に行くとあまりのうれしさにパニックに近い症状を起こしてしまい、いつまでも何を食べるか決められず、最後には途方に暮れることまであるので、今回は行く前から食べるものを決めておいた。ホウボウ、カサゴ、イカ、シャコである。20cmほどのホウボウとカサゴが一匹で13ディラハム=130円。それからイカのスライスを200g、そしてシャコを5匹で合計50ディラハム買う。すると白衣のガイがそれを受け取り、奥の店へと案内される。エッサウィラらしい青いテーブルとイスの薄汚れた食堂にはオーブンとフライ用の大きな鍋があり、手前に魚の調理台があった。席に座り、周りを見ると、オリーブとパンとサラダ、フライドポテトとコカコーラを頼み、魚をフライかグリルにしてもらっている。僕達はイカのみフライにし、他はマリネ液につけてからグリルにしてもらった。待つこと15分、まずイカリングが登場。レモンをしぼって豆板醤によく似た辛いソースをかけて頂く。久々の海の幸だ! そしてカサゴとホウボウも豪快に頭を取られて焼かれて登場。ホウボウは浮き袋と肝も美味いはずだが、残念ながら捨てられてしまっていた。シャコは背中に縦にはさみを入れてグリルにしてあった。レモンを搾り、やはり豆板醤をつけてチューチューと中身を吸う。美味すぎる! 僕はあらゆる甲殻類の中でシャコが一番好きなのだが、日本では広島あたりに行かないと食べられない。フランスだと500gで50ユーロくらいする。

c0008520_073532.jpgエッサウィラでは思う存分食べることが出来る。1時を過ぎると周りのテーブルが混み出し、家族連れが巨大なお盆に小さな魚、カタクチイワシやコアジ、シタビラメ、エビのフライを超山盛りにしてフライドポテトとともにバクついている。うらやましいなあ。明日も市場に来よう! 食堂はサラダや炭酸水、調理代込みで60ディラハム=600円だった。
午後は小さな町のメディナを歩き、妻が欲しがっていた小さな急須を15ディラハム150円で買い、庶民派のハマムを探し、本屋を見て回る。グナワフェスティバルの会場となるムーレイ・イドリス・ハッサン広場は週末のせいか、外国人観光客、モロッコ人観光客で一杯となっていた。マラケシュなみに観光客は多いのだが、それで荒稼ぎしようという現地人がいないので、静かに過ごせるのだ。広場に近いカフェ・ド・フランスでミントティーを頂く。一杯7ディラハムとマラケシュと比べると安い。

c0008520_082363.jpgハマムは女性用が宿の近くに見つかり、男性用も近くにあるというので、一旦宿に帰り、荷物を置いて、100ディラハムだけポケットに入れて、ハマムへ。入り口から入ると、靴ではなくサンダルを履いてくるべきだった。脱衣場の床は外の泥と風呂場のお湯が混ざってピチャビチャで気持ち悪い。靴を脱いで裸足になり、パンツ一丁になり、荷物は頭上の棚に入れ(日本の温泉と同じような鍵なし、扉なしの棚)、真っ暗なハマムへ。中に入ると夕方早いのに十数人の男性が思い思いに湯を浴びていた。寝っ転がっている人、腕立て伏せしている人、マッサージを受けている人、垢すりを受けている人、日本のサウナのように座って物思いにふけっている人。マッサージのオッサンに床に寝そべっていろと言われたので、床にうつぶせになると、床は垢だらけで、23年前初めてのモロッコでのハマム体験を思い出した。あのときにはうつぶせになったら、ほっぺたに落ちていた陰毛がくっついて、ウエ〜っと思った。今回もあまり変わらないかも。トルコなら庶民派ハマムでも大理石張りで天窓から光が漏れてくる作りなのに、モロッコでは相変わらず真っ暗でキッタネエんだなあと思っていると、横に一人、新たに男が入ってきて、汚い床をお湯でザ〜っと流して、垢をしっかり流してから横になった。なんだ。床を流さなかった僕が悪かったのか。改めて床を流して、横になると、床は白いタイルが下から熱されていて、20年前の薄汚れた床とは違って少しは清潔になっているようだった。しかし、お湯をくむためのヒシャクはミネラルウォーターの瓶の下半分を使っているし、お湯をためるバケツもボロボロだ。

c0008520_085821.jpg10分ほど横になっていると毛穴が開いてくる。垢すりのオヤジが現れ、黒い垢すりグローブを片手に全身垢すりを始めた。石けんを使わずにダイレクトにこするからちょっと痛いくらいだ。それでもすごい量の垢が出てきた。オヤジに「すごい量だ。見てみろ」と言われたので、「モロッコを二週間かけて一周してきたからね」と答えたら、笑っていた。垢すりの後はプロレスの関節技のようなマッサージ。これはいつも背骨とか折られないか心配になるほど痛い。そして最後に石けん洗い。全身を石けんの泡だらけにされ、頭まで洗われ、終了。全行程20分ほど。これで90ディラハムは高いな。現地料金は半額ぐらいかな。マッサージならバリ島やシンガポールやインドに行ったほうが安いし、最近では東京だってダンピングが始まってるから値段は変わらないかも。しかし、ひさびさにたっぷりのお湯と蒸気に包まれて、銭湯に入ったのと同じ状態になった。宿まで二分ほどの距離なのも良い。次回はマッサージや垢すりなどなしで来てみようか。
 夕方、宿に戻り、湯冷めをしないように一休み。日が暮れると突然気温が下がる。

c0008520_095252.jpg夜7時前、妻が行きたがっていたレストランを探しに出かけるが、昼間はあれほど単純に思える道が夜になると途端に迷路のように見えてきて、何も見つからない。件のレストランは住所的には近くにいるはずなのに、見つからない。二回、電話して、誘導してもらうと、2004年に泊まった宿の真っ正面だった。こんな近くの場所を見落としていたなんて。メニューを見ると、それほど特色がなかったのに、電話までしたにも関わらず、他の店にする。夕食はオシャレなラウンジバー&レストランのはしり、タロスへ。いかにもエッサウィラらしいメニューということで、魚とエビとイカのパスティラ、そして魚とジャガイモ、野菜のタジンを頼む。パスティラはみじん切りの魚の切り身やエビやイカが中に詰まったパイ。上にチーズがかけてあって、海の幸のうまみが凝縮されている。魚のタジンも鯛とジャガイモ、ピーマンなどがトマトソースとともに煮込まれた濃い味タジン。なかなかこの町らしい味わいだ。しかし、これまで家庭的な味のものばかり食べていたので、久々にレストランの濃い味は胃にもたれそうだ。
 8時30分を過ぎた途端、突然欧米人の客が増えだした。9時半に宿に戻り、早々と就寝。
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by salamunagami | 2011-01-17 00:10 | エキゾ旅行  

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